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Posted by みやchan運営事務局 at

2018年07月16日

防災省設置の提言を支持します 後編

前回からの続きです。

これまでの話は【前篇】【中編】をご覧ください。


さて、なまくら提案の「防災環境省」ですが、防災部門の職員や予算、権限などは、他省庁から移管されることになります。

当然ながら、内閣府の防災担当部署は防災環境省に移管となります。

また、国土交通省の水管理・国土保全局についても、大部分が移管されることになるでしょう。
特に、治水課、防災課、砂防部は堤防やダムをはじめ、砂防ダムなど各種土砂災害防止施設の整備・管理を司っており、ハード部門の主軸としてなくてはならない部署です。
そして、全国に約1万人が隊員登録しているTEC-FORCE(テック・フォース:緊急災害対策派遣隊)は、災害時の実働部隊として欠かせない存在です。

気象庁は現在、国交省の外局という位置づけですが、防災に必要な一次情報として気象や地震に関するデータは無くてはならないものであるので、これも当然、防災環境省の外局に所管替えします。

農林水産省も無関係ではありません。
農林振興局の防災課地すべり対策事業を行っており、国土交通省の砂防部とともに防災環境省に移管・統合することで、縦割りの弊害を無くし、効率的な施策が実行できるようになります。
同じく、農林振興局や水産庁が所管している海岸事業も、津波や高潮から国土を守る防潮堤や護岸、海岸浸食から国土を守る離岸堤や突堤など、国土交通省の海岸事業とともに移管・統合することが可能です。
そして、ため池や農業用ダム。これらについても、国交省所管の治水ダムや多目的ダムと一緒に管理することができるかもしれませんね。
また、最近はあまり注目されていないけれども、古来から洪水より多くの人々を苦しめてきた「渇水」への備えとして重要であることから、やはり移管するにこしたことはありません。

農水省の外局である水産庁の事業も、前述した海岸事業の他に、漁港の防災事業(漁港の堤防を粘り強い構造にするなどの改良)は国交省所管の港湾の防災事業と一元化することができるでしょう。

同じく外局の林野庁の事業では、治山事業や海岸防災林の事業が対象となります。
例えば治山ダムは砂防ダムと見た目や役割がほぼ同じと看做して良いでしょうから、防災環境省に移管・統合すべき事業となるでしょう。

文部科学省は、学校等の耐震化事業などが移管の対象になるでしょうし、防災教育の企画・立案なども移管するのが望ましいでしょう。
また、地震・防災研究課が行っている各種の研究も移管し、気象庁の研究陣とタッグを組ませることで、より成果が出やすくなるのではないでしょうか。

厚生労働省はDMAT(ディーマット:災害派遣医療チーム)を組織するなど、災害時医療を所管しますが、専門性が特に高く、通常医療と所管を分けることで逆に効率が悪くなるおそれがあることから、厚労省はそのままでも良いかも知れません。

総務省は、防災行政無線など、非常時通信網について所管しています。
これも専門性が高い業務ですが、政策立案部門だけ総務省から切離し、技術部隊は総務省に残すのも一案です。

総務省外局の消防庁は、防災環境省に移管すべき組織でしょう。
TEC--FORCEと統合し、発災時の現場スペシャリストとして活躍することを期待します。

経済産業省は、BCP(事業継続計画)を所管しています。
馴染の薄い方も多いと思いますが、発災前に備えておくべきものや発災後にやるべきことを記載したBCPの策定は、東日本大震災時のサプライチェーン崩壊を機に、今や企業活動(農協や漁協などの組合組織も含む)の維持・早期復旧に欠かせないものとなりつつあります。
これを防災環境省に移管することも、重要であると考えます。


こうして見ると、外務省、防衛省、法務省、財務省、宮内庁を除く7省庁から、何らかの組織(外局から課まで)が防災環境省に移管できることが分かります。
当然、既存省庁は反発するでしょう。(特に権限や予算を大幅に失う国交省)
しかし、国土と国民の保護は国家の一大事です。
ここはぐっと堪えて、国民のためを思った組織改編を断行してほしいものです。
(その他の省庁に至っては、殆ど「おまけ業務」的な扱いをされているので、寧ろ切り離した方が良いと思います)


ところで、石破氏は防災省提案を総裁選のネタにするつもりのようですが、前にも書いたとおり、むしろ無かったのが不思議なくらいの省庁なのです。(国防を司るのが格下の防衛庁だったのと同じくらい)
細かい部分での意見の違いはあっても、防災専門の省を創るという大きな枠組みの部分は、争点にしないでほしいです。
というか、国土強靭化を政策目標の1つに掲げる安倍さんが、この部分で反対する、なんていうことはあり得ないと思うのですが・・・
そうないように祈ります。  


Posted by なまくら at 09:11Comments(0)政策一般

2018年07月12日

防災省設置の提言を支持します 中編

さて、前回の続きです。

なまくらが「防災省」ではなく、「防災専門の省庁」を創るべき、と書いたのには訳がありまして。

実は、省庁の数を増やして防災専門の省庁を創ろうとは思っていないのです。

昔、何かで読んだのですが、一人の人間が複数の人の意見に耳を傾けられるのは、せいぜい10人程度、と言われています。

現在、各省庁のトップとしての大臣の数は11人です。(他に「○○担当大臣」が何人か)

上記の説からすると、これ以上省庁の数を増やすのは、あまり好ましいことではないことが分かります。

となると、省庁再編ですが、現在の省庁は平成13年の中央省庁再編により誕生してからまだ17年しか経っておらず、ガラガラポンするには早すぎるため、小規模な再編に留めることが望ましいでしょう。

なまくらが想定するのは、ズバリ環境省と統合して「防災環境省」を設置する案です!

何故、環境省なのか。

1つは、環境省が災害廃棄物の取扱いについての所管省庁だからです。

今回の大災害を見ても分かるように、一たび災害が起きると、大量の災害廃棄物が発生します。
それをいかに迅速に処理するかが、のちの復興スピードを決めると言っても過言ではないのです。

故に、災害廃棄物処理と復旧・復興は密接に関わる事案であり、防災所管省庁がこの2つを兼ねることは意味があるのです。

また、環境省は外局に原子力規制委員会を設けています。

御存じのとおり、原子力規制委員会は東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故を教訓に設立された機関であり、原発の設置・運転において、自然災害をはじめとする外力から安全性を保つために存在しています。

原発の防災を担当する省庁が防災全般を担当する、とても理にかなっているのではないでしょうか。


3つめの理由として、実務的な省庁として役に立ってほしいとの願いからです。

個人的な印象かもしれませんが、環境省って、「環境」を錦の御旗にして綺麗ごとばかり言う小姑みたいな組織、ていうイメージがあるんですよね。(環境省の職員の方、ごめんなさい)
日本がエネルギー安全保障上、重要と思われる石炭火力発電については「Co2が増えるからダメ!」、地熱発電についても「国立公園内だからダメ!」などと、何をするにも邪魔する組織としか思えないんですよね。

そんな環境小姑(失礼!)が防災という人命が関わる役割を持つことになったら・・・
人間、与えられた役割って、どんなに分不相応と思っていても、頑張っている内にこなせる様になっていたりするんですよね。

環境省の人たちだって、国の足を引っ張る為に入省した訳じゃないんだと思うんです。
防災という実務に携わることで、少しでも現実的な組織になってほしいという期待をこめて、敢えて両者の統合を提案します。


4つめの理由として、中央省庁の力関係のバランスを整える、という目的があります。

環境省の職員数は約千人、予算規模は5千億円にも満たないものです。
これが例えば国土交通省だと、職員数は約6万人、予算規模は4兆円、厚生労働省に至っては職員数は約3万人、予算規模はなんと30兆円です。

はっきり言って、他省の出先機関なみの権限しか無いのが環境省。
そのトップである大臣も、やはり地位は低いものです。
ほとんど、大臣1年生もしくは2年生のポストなのではないでしょうか?(1年生は「○○担当大臣」か?)

防災部門を加えることで、省としても、大臣ポストとしても、他省庁と肩を並べる存在にしてはどうかと思うのです。

あと、最後に裏の理由になりますが・・・







現在、マンモス官庁となっている国土交通省のトップは、公明党(創価学会)の出身です。
というか、自公連立となってからずっと、国交大臣の椅子は公明党のものではないでしょうか?

もし、「防災環境省」が誕生し、国交省の防災部門がそちらに移管されれば・・・

考えただけでワクテカものじゃないですかw


ということで、さらに続きます。  


Posted by なまくら at 23:01Comments(0)政策一般

2018年07月10日

防災省設置の提言を支持します 前編

先週末からの大雨で、広島県、岡山県、愛媛県を中心に甚大な被害が出ております。
犠牲になられた方々におかれては、深く哀悼の意を表しますとともに、被災された全ての方々が一日でも早く日常を取り戻せますよう、祈念いたします。

こうした中、ネットでは何かと評判の悪いこの方が、こんな提言をしています。


石破茂氏、「防災省」の創設主張 「自治体の体制整備に必要」

 自民党の石破茂元幹事長は8日、鳥取市で講演し、西日本豪雨災害を踏まえ、復興庁を改組して「防災省」を創設するべきだと主張した。内閣府の防災担当部局については、一定期間で入れ替わる他省庁の出向者で主に構成されていると指摘し「防災の文化が伝承されない。都道府県や市町村の体制を整備するために必要だ」と述べた。

(産経ニュースより)


「防災省」、良いではないですか。というか、この災害大国日本で、今まで無かったのが不思議なくらいです。

ところが、ネット上での評判はイマイチのよう。皆さん、ゲルの発言だからって、否定的に捉えすぎではないでしょうか?

>内閣府の防災担当部局については、一定期間で入れ替わる他省庁の出向者で主に構成されていると指摘し「防災の文化が伝承されない。都道府県や市町村の体制を整備するために必要だ」と述べた。

この部分については、全く同意です。
基本的に、内閣府は各省庁からの出向者で構成されており、数年で元の省庁に戻ってしまいます。
その為、継続して1つの政策を継承・発展させるということが他の省庁に比べて難しいのです。
また、複数の省庁にまたがる案件や比較的新しい政策課題などは、全部内閣府に押し付ける傾向があり、過度な負担が懸念されてもいるのです。

ネット上では、「自衛隊に任せれば良い」なんて発言もありますが、浅はかな意見と言う他ありません。

自衛隊は基本的には外敵から国を守るのが主任務です。
勿論、サバイバルに長け、自立して行動できることから、災害派遣にはうってつけなのですが、当初の設立趣旨からは外れていることを忘れてもらっては困ります。
災害派遣に人出が取られた結果、外敵の侵入を許してしまっては本末転倒なのです。

また、実は体力仕事には自信があっても、重機の動かし方などには不慣れな一面もあり、かえって地元の建設業者の方が効率的に復旧作業ができたりもするのです。
それに、現場で的確な指揮が出来る人間は、そういった経験や訓練を積んだ人間です。
あと、最も重要な点として、自衛隊は「発災後」に必要とされる人材であり、「発災前」には不要な人材なのです。すなわち、「災害を防ぐ」という意味での防災には、やはり自衛隊は不向きなのです。

以上のことをもって、なまくらは既存の組織ではなく、新たに防災専門の省庁を創るべきだと強く思うのです。
では、具体的にはどんな組織か?続きはまた後日。  


Posted by なまくら at 07:28Comments(0)政策一般

2018年05月06日

与党は今解散して勝てるのか?

2年以上放ったらかしにしていたブログですが、久しぶりに更新したいと思います。
とは言っても、再開するという程のことではなく、単にまとまった時間が取れたことと、何となく書きたいことがあったから更新するだけでして・・・(汗

最近、急に騒がれ始めた「衆議院解散」。
飯島さんをはじめ、自民党内部からも解散風が吹き始めた今日この頃ですが、およそブラフの領域を出ないような感じ・・・
まあ、前回の選挙から1年も経っていませんからね。今年の解散総選挙が本当にあるのかどうか、なまくらは懐疑的に見ています。

そこで気になるのは保守系ブログの動向ですが、
「今解散すれば、民主系を壊滅させられる」
「反日野党が『国民の審判を仰げ』と言っていないことから、嫌がっているのは明らか」
「審議拒否し、税金泥棒を続ける反日野党の所業に、国民も呆れている」
など、「今解散すれば自民圧勝」のようなムードが漂っています。

しかし、本当に彼らが言うように、今解散すれば与党圧勝でしょうか?

ここで、ちょっとデータから考察してみました。
前回総選挙である第48回衆院選の結果は以下のとおりです。

 ・与党 313議席
 ・日本維新の会 11議席
 ・希望の党 2議席
 ・(比較的)保守系無所属 2議席
 (※5月の野党再編を考慮しています)

憲法改正に対するスタンスから、上記議席を「改憲勢力」とするのであれば、
改憲勢力の合計は328議席で、衆院議席の71%を占めます。
それに対し、「非改憲勢力」(要するにサヨク)は

 ・立憲(笑)民主党 55議席
 ・共産党 12議席
 ・社民党 2議席 
 ・国民(笑)民主党 48議席
 ・サヨク系無所属 20議席

合計137議席で、衆院議席の29%を占めます。

一方、前々回の第47回選挙(平成26年実施)では
改憲勢力376議席 対 非改憲勢力99議席です。
これを割合で見てみると、

         第48回   第47回  増減率
改憲勢力    71%     79%   -8%
非改憲勢力  29%     21%   +8%

となります。
与党圧勝と言われた前回選挙ですが、前々回の総選挙と比べ、実は改憲派の割合は10ポイント近く減少しているのです。

また、それぞれの選挙における公示直前の政党支持率も比較してみました。

         第48回   第47回
自民党     31%     38%
非改憲勢力  14%     17%
支持政党なし 39%     26%
(※NHKの「政治意識月例調査」より)

ここで注目してほしいのは、非改憲勢力と「支持政党なし」の合計値です。

                  第48回   第47回  増減率
自民党              31%     38%   - 7%
非改憲勢力+支持政党なし  53%     43%   +10%

第47回選挙では非改憲勢力と「支持政党なし」の合計値が43%であるのに対し、第48回選挙では53%と、10ポイントの増加となっております。
非改憲勢力と「支持政党なし」の合計値の増加率がそのまま改憲勢力の議席減少率となっているのです。
偶然なのかどうか、2回の選挙結果だけからは考察が不十分なのは重々承知しておりますが、何か不気味なものを感じます。

では、仮にこの結果が次回も反映されるものとして、次期総選挙を占ってみると・・・

今月解散があるとした場合の直近(4月)の政党支持率を見てみると、
自民党 14%、非改憲勢力 14%、支持政党なし 39%(合計 53%
となっています。
あれだけ滅茶苦茶やっている非改憲勢力の支持率が、第48回選挙の時と同率というのが恐ろしいですが、まあ、国民の1割程度、サヨクがいても不思議ではないし、むしろこれ以上下がらないところまで下がりきったとも言えるでしょう。

かわりに「支持政党なし」が増えたことで、非改憲勢力と「支持政党なし」の合計値も第48回選挙の時と同率となっています。
仮に、今回の政党支持率の結果が前回同様に改憲勢力の議席占有率に反映されるとすると、選挙をやる意味がほとんど無いことに気付かされます。
否、今年に入ってからの自民党支持率が低下傾向にあることや、マスゴミによる政権への更なる誹謗中傷を考えると、ヘタすると改憲勢力の減少、なんて事態に・・・

このまま選挙に突入しても、保守系ブロガーの夢は夢のままで終わりそうですね。

  


Posted by なまくら at 08:45Comments(0)政局

2016年01月02日

新年の御挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。

例年、元日に投稿するのが常になっていましたが、今年から実家で新年を迎えるようになった関係上、御挨拶が遅れることとなります。

昨年は実生活に力を入れてた関係上、ブログの更新が完全にストップしてしまい、皆さまにはご迷惑をおかけしました<(_ _)>

今年も相変わらず仕事も家庭もごちゃごちゃしていますが、年内に更新を再開したいと思っております。

さて、何年振りかに実家で新年を迎えたなまくらですが、久しぶりに童心に帰って満喫できた気がします。
母の作る雑煮やおせち料理。あと何年食べられるか分かりませんが、1年1年、しっかりと親が存命であるありがたみを噛みしめたいと思います。
また、こうして平和な正月を迎えられるのも、大変有り難いことだと思います。
なかなか上向かない景気や緊迫する東、南シナ海情勢など、難しい問題は多々ありますが、去年より今年、今年より来年が良い年になるよう、自分も頑張りたいと思います。

では皆様、今年もよろしくお願い致します。


皇期2676(平成28)年1月2日  


Posted by なまくら at 23:57Comments(0)

2015年02月08日

第2章 日露戦の善後 3.鉄道王の来日

 騒擾事件は一段落したが、桂にはもう1つ、急いで片付けなければならない案件があった。

 時を遡って9月4日。ポーツマス講和会議が再開されようとしていた、まさにその時、東京では駐日米公使グリスコムが主催する園遊会が開かれていた。

 政財界からの出席者が1千名を超える盛大なものとなったこの会に、1人の米国人実業家が招かれていたのだが、その男が席上でとんでもない構想をぶち上げたのである。

 エドワード・H・ハリマン。ニューヨーク出身の銀行家であり、ユニオン・パシフィック鉄道を経営する鉄道王として名を轟かせている人物だった。




 ハリマンの構想は、極東からシベリア鉄道を経てヨーロッパへ至る、ユーラシア横断鉄道を建設するというものであった。

 そして7日、曾禰蔵相の晩餐会にも招かれたハリマンは、より具体的な計画を披露した。

 まず東清鉄道の経営に参画し、次いでロシアとの契約でシベリア鉄道の運営・運行権を獲得することで、自身の持つアメリカ大陸横断鉄道及び太平洋郵船と接続し、大連から満洲、シベリアを経由してバルト海まで結ぶ、というものだった。

 更には、日本内地鉄道の合同とその広軌化(国際標準軌:軌間幅1435mm)工事への出資や満洲に於ける炭鉱への経営参加、韓国鉄道との接続等、計画の内容は多岐に亘るものだった。

 家族旅行という名目で来日したハリマンの真の目的は、大陸利権の分け前に与る為の一連の協定を、日本政府と結ぶことだったのである。

 「東清鉄道はいずれ世界的交通の主要幹線となるのは明らかであり、早急に大改良を行う必要があります。しかし短期間の内にそれを可能にするのは、潤沢な資金と技術そして経験を有する私の会社をおいて他にありません。貴国との協定が成立した暁には、直ちに東清鉄道、安奉線及び京義・京釜両路線の改築に取りかかり、3年以内に釜山からハルビンを経て満洲里に至る直通列車を走らすことが可能です」

 安奉線とは、戦争中に日本軍が清韓国境の安東県から奉天南郊の蘇家屯の間に敷設した軌間幅762mmの軍用鉄道のことである。

 ハリマンは東清鉄道を発展させる為に何を行うべきか、完璧に理解していた。

 ハリマンは、その後10日間にわたって伊藤や井上、桂等と会談し、持論を力説して回った。

 「日本政府と我が社は、鉄道本体と附属財産に対して共同かつ均等の所有権を有することとしましょう。また、戦時には軍隊及び軍需品の輸送に関して常に日本政府の命令に従い、日本がロシアまたは清国と再戦となった場合の軍事輸送に支障を来さぬようにするつもりです。それだけではありません。国際共同管理となる東清本線は決してロシア軍の輸送を認めないつもりですから、万が一にも日露が再戦となることはないでしょう。ここに、東亜の永久平和が訪れるのです」

 桂はハリマンに言質を与えなかったが、伊藤ら元老の反応を見て、ハリマンは大体において成功を確信したのか、19日、南満洲の実状を視察する為、後をグリスコムに任せて戒厳令下の東京を発った。

  


Posted by なまくら at 09:42Comments(0)創作

2015年01月03日

第2章 日露戦の善後 2.騒擾(2)

 こうして迎えた9月13日午後1時、東京市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 日比谷公園では、これまでで最大規模の抗議集会が開かれていた。

 当初、芳川顕正内務大臣はこの集会を禁止し、公園を封鎖するつもりだった。しかし、桂の

「大衆の不満の捌け口も少しは用意してやらねば、暴発してしまうぞ」

という意見に、集会を認めたのだった。

 その結果、集会に参加者した人数は空前の3万人となった。

 公園の周囲では、サーベルを帯刀した警官隊350人余りが睨みを効かせ、更に警官隊を取り巻くように、近衛師団が配置された。




 集会は30分程で散会したが、群衆はそのまま公園を出て行進を始めた。

 「弱腰政府!」「講和条約破棄!」「打倒ロシア!打倒桂内閣!」

 口々にスローガンを叫びながら行進する群衆に、警官と軍は手を出さずに見守っていた。

 省庁や官邸、教会、各国公使館は、近衛師団と第1師団による厳重な警備がされていたおかげで、群衆は侮蔑の言葉を投げかけて通り過ぎるだけだった。

 しかし、警備が手薄な国民新聞社の前を行列が通りかかった時、1人の男が隠し持っていた石を投げたのである。

 講和反対の世論が沸騰する中にあってただ1紙、講和条約支持を唱えていた国民新聞社は、「政府の御用新聞」、「非国民新聞」と痛罵され、集会関係者から秘かに標的とされていたのだった。

 男の投石を切っ掛けに、周囲の者が次々に身近にある物を投げ始めたので、派遣されていた30名の警官が慌てて制止に入ったが、興奮した男達が先頭の警官を殴り倒し、腰のサーベルを奪い取ったものだから、ついに警官隊も抜刀、群衆に斬りかかった。

 暴徒は全く怯まずに応戦し、一帯は大乱闘の場と化した。

 社の入口は破られ、輪転機が破壊された。

 それに飽き足らない暴徒は、社内に居た数名の社員や警官をステッキや素手で殴打して重傷を負わせた上、書類等を床や路上に放り出して火を点けた。

 1時間程して、ようやく第1師団の1個中隊が応援に駆けつけると、暴徒は

「陸軍万歳!」

と叫んで散り散りになった。

 その後も、幾つかの派出所、市電等が襲撃され始めたので、政府は午後4時、ついに戒厳令を敷き、新聞・雑誌の発行停止、夜間の外出禁止措置を執った。

 しかし、騒擾は横浜や神戸等にも飛び火した。

 騒ぎは1週間程続き、安立警視総監と芳川内務大臣が責任を取る形で辞任することで、ようやく全国の騒擾は収まった。

 この騒擾で検挙されたのは800人を越え、重傷者も20名程出たが、死者は出なかった。

 幸い、このことで日本の評価が大きく損なわれて日本公債が急落することは無かったが、この騒擾事件は桂を始めとする政府首脳に民衆の力を思い知らせたのであった。
  


Posted by なまくら at 08:19Comments(0)創作

2015年01月02日

第2章 日露戦の善後 1.騒擾(1)

 講和成立の知らせは、日本時間の7日朝、桂の下に届いた。

 桂は諸元老と閣僚を招集し、伊藤や山縣らが固唾を飲んで見守る中、小村からの電文を一読した。

 彼が電文を読み終えると、皆は一斉に立ち上がり、万雷の拍手を沸き起こした。

 桂は彼らと手を取り合い、涙を流して喜びあった。




 「しかし、今になってみれば、賠償金を獲れなかったのは惜しかったですな」

 「何を言う、賠償金を放棄し、国際世論を味方につけたからこそ、講和を結べたのではないか」

 「左様、ロシアも我が国同様、外国からの借金で戦争をしていた以上、賠償金支払いなど最初から無理だったのだ」

 「それにしても、小村君の胆力には恐れ入った。交渉が決裂した時は、日本もこれでお終いだ、と思ったものだ」

 「しかし、樺太も放棄せずに、うまくやったものだ。彼の活躍は10個師団、否、20個師団に匹敵しますぞ」

 好き勝手なことを言うのは新聞も閣僚も同じだな、と内心苦笑しながら口々に雑談をする閣僚達を見ていた桂は

「本当に厳しいのはこれからですぞ」

と言って閣僚達を見渡した。

 「まずは莫大な額に膨れ上がった戦時外債を整理し、財政の立て直しを図らなければなりません。次に、韓国における支配権確立と満洲の処理、国内にも戦時下に繰り延べになっていた諸案件が山積みです。しかし、何よりも急務なのは・・・」

 「民衆の不満を抑えることだな」

 伊藤がすかさず口を挿むと、桂は大きく頷いた。

 「既に講和反対の集会が各地で起きています。講和が締結される13日には、更に大規模な集会が開かれるでしょう。暴動が起きる可能性もあります。警察は東京市を中心に厳戒態勢で挑んでほしい」

 「各警察署には、署と各省及び首相官邸の警備を命じましょう」

 「それだけでは足りません。外国人関係施設、とりわけ教会の警備も必要です。一部のキリスト教布教者が、『ロシアが償金を支払わずに済んだのは、神がロシアを救い給うたからだ』などと触れ回り、人々の神経を逆撫でしているそうです。教会が襲撃されたとあっては、人種戦争をひたすら否定してきた金子君らの努力が水泡に帰します。これだけは防がなければなりません。あと、小村君の家族も警護する必要があるでしょう」

 「必要とあらば、陸軍も動かそう」

 山縣の提案に、桂は首肯した。

 「是非、お願いします。最悪の場合は、陛下に戒厳の勅令をお願いする必要があるかも知れません」

 戒厳、の言葉に一同がざわつき始めた。

 「戒厳令を敷くとなると、かなり物々しいな。相当の覚悟が必要になるぞ」

 「伊藤さん、ロシア国内の騒擾がどのように諸外国に伝わっているか、考えてみて下さい。『血の日曜日事件』以降、ロシア公債の価格は暴落し、ロシアは外債の調達が困難になりました。今、日本で同じような騒擾が起きて諸外国の信頼を無くせば、二度と海外から資金調達が出来なくなるかもしれません。日本はロシアと違い、節度をわきまえた国家と国民であることを示す必要があるのです」

 桂の説明を聞き、伊藤は分かった、と答えた。
  


Posted by なまくら at 08:57Comments(0)創作

2015年01月01日

平成27年が始まりました

 今年も宜しくお願い致します。

 昨年は「甲午(きのえうま)」ということで、「午尻下がり」の経済となってしまいましたが、今年はどんな年でしょうか?

 ちょっと調べてみたところ、今年の干支は「乙未(きのとひつじ)」と言うらしいです。

 「乙という文字は草木の芽が曲がりくねっている象形であるため、新しい改革創造の歩は進めるけれど、まだまだ外の抵抗力が強いという意味」であり、「甲に一陽来復して冬の間陽気を待っていた芽が、乙の年になって殻を破って伸び出したものの、まだ陰気が強く残っているために冷気もあり春寒が残っており、伸びた芽も歪曲し曲がってしまいがちなため、その伸び方が”乙々(ああでもないこうでもないと非常に苦労し、悩む)”としてしまう傾向にある」だとか・・・
 また、「未」という文字も、「未は上の短い”一”と”木”から成っていて、”一”は木の上層、つまり枝葉の繁栄・繁茂を表しますが、枝葉が繁茂すると暗くなることから、未を”くらい”とも読み」「未は昧に通じますので、暗く曖昧にしてはいけない、要は”不昧”でなければならないということです。
不昧とは、
・繁茂した枝葉末節を払い落として、生々たる生命を進展させる必要があり
・いろいろな真実、法則、道というものを明らかにし
・曖昧にして見失わない
ということ」
なのだそうです。
(参考:「知命立命 心地よい風景 」様の記事 http://shutou.jp/blog/post-177/

 相場の世界でも、「未辛抱」という格言があるとか。

 要は、何かと我慢を強いられる年になるようです。そう言えば、某オバちゃんの占い本でも、なまくらは「大殺界」の年なんだって(*_*)

 気を取り直して、明るいネタはないかと探していたら、ありました。

 未こと羊は、吉祥動物で、シナでは「羊致清和」と言って、羊は天下太平をもたらす動物なのだそうです。
 この言葉どおり、平和で安泰な年になってほしいですね。
 また、「群れをなす羊は家族の安泰、財を表す」とも言われているそうです。家族だけでなく、国や地域も安泰な年だと良いですね。
(参考:「そらぶろ!」様の記事 http://blog.livedoor.jp/subesube5-sora/archives/41299585.html

 以上のことから、
・繁茂した枝葉末節、つまり戦後70年で増えすぎた自虐的な歴史認識や財政認識をバッサリ切り落とし、
・歴史の真実を明らかにし、法に則って尖閣、竹島、北方領土の問題に対処し、
・人道を明らかにして拉致問題に毅然とした態度を示
すと、中露米韓など、外からの抵抗は激しく、内でも紆余曲折を強いられるが、
・曖昧にして見失わ
ず、樹木にとって良くない陰気なものやジメジメしたもの、つまり自虐的、日教組的なものを取り払えば、天下太平が訪れ、日本は安泰、財も増えて景気が回復する
、ということになるのでしょう。

 安定した巨大与党の力を上手く利用して、以上のような「真の改革」を実現してくださいね!安倍さん!!

皇期2675(平成27)年1月1日

  


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2014年12月31日

第1章の結びに代えて

 ふう。何とか予告どおり、年内にポーツマス編を仕上げることが出来ました。

 書き始めから丸2年。たった1ヵ月の出来事を書くのに、こんなにかかるとは思ってもみませんでした。

 しかし参考文献を調べる内に、外交の奥深さを知ることが出来たのは成果でした。彼らの持つ知識や外交センス、胆力や駆け引き上手には本当に驚かされました。今も、世界中でこんな外交が展開されているのでしょうか?

 なお、参考文献は(記憶にあるのだけですが)以下の書籍、HPになります。実際には今後の話の展開で参考としたものも含んでいますが、ご了承下さい。

吉村昭「ポーツマスの旗」(新潮社)
黒木勇吉「小村寿太郎」(講談社)
外務省 編「小村外交史」(原書房)
前坂俊之「明治37年のインテリジェンス外交-戦争をいかに終わらせるか」(祥伝社新書)
小林道彦「桂太郎-予が生命は政治である」(ミネルヴァ書房)
板谷敏彦「日露戦争、資金調達の戦い-高橋是清と欧米バンカーたち」(新潮選書)
若狭和朋「日露戦争と世界史に登場した日本」(WAC)
清水美和「『驕る日本』と闘った男-日露講話条約の舞台裏と朝河貫一」(講談社)
ドミニク・リーベン(小泉摩耶 訳)「ニコライⅡ世-帝政ロシア崩壊の真実」(日本経済新聞社)
伊藤之雄「山県有朋-愚直な権力者の生涯」(文春新書)
井上寿一「山県有朋と明治国家」(NHKブックス)
松元崇「山縣有朋の挫折-誰がための地方自治改革」(日本経済新聞出版社)
伊藤之雄「伊藤博文-近代日本を創った男」(講談社)
小林道彦「日本の大陸政策 1895-1914」(南窓社)
石井寛治・原朗・武田晴人 編「日本経済史2 産業革命期」(東京大学出版会)
ワシーリー・モロジャコフ(木村汎 訳)「後藤新平と日露関係史」(藤原書店)
天野博之「満鉄を知るための12章」(吉川弘文館)
読売新聞取材班「検証 日露戦争」(中公文庫)
ピーター・E.ランドル「ポーツマス会議の人々-小さな町から見た講和会議」(原書房)
長瀬隆「日露領土紛争の根源」(草思社)
小林道彦「児玉源太郎-そこから旅順港は見えるか」(ミネルヴァ書房)
千葉功「桂太郎」(中公新書)
伊藤之雄「元老西園寺公望-古希からの挑戦」(文春新書)

ロシアのHP ロマノフ王朝(14)~~ 1905年革命鎮圧とストルイピンの改革 ~~
http://www11.atpages.jp/te04811jp/page1-1-4-13.htm
サハリンの陸上油田開発から陸棚開発プロジェクトに至る歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt/75/4/75_4_296/_pdf
もう一人のポーツマス講和全権委員─高平小五郎・駐米公使─
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/06_1_2.pdf
日露戦争史
http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/seiji08_detail.html
近代日本の七つの戦争「第3章 日露戦争」
http://www.inahodou.co.jp/index.Q.html




 ところで、講和談判を一度決裂させたことには、意見をお持ちの方もいるでしょう。
 日露戦争関連本の多くが、「クロパトキン軍は散々なやられ方をしたが、欧州方面の精鋭部隊であるリネウィッチ軍は戦意も高く、もし再戦となれば、やられるのは日本軍の方だっただろう」というような書き方をしています。
 しかし、本当にそうだったでしょうか。

 前掲・前坂俊之氏の「明治37年のインテリジェンス外交-戦争をいかに終わらせるか」に、ウィッテの回想録が載っていたのですが、そこにはこうありました。

 前にも言ったとおり、私は、全権の任命を受けて以来、満洲軍総司令官リネヴィッチから、直接にも、間接にも一度も報告を受けたことがない。満洲のわが軍は、奉天合戦から半年を経過しているが何事もない。(中略)彼はその兵力をもって何らか私の外交に協力したことがあるだろうか。「微塵もない」と答えるほかはない。
(中略)それから日本軍は、ハルビンとウラジオストック間の一地点に現れ、わが軍と遭遇したが、わが軍は戦わずして退却した。
その後、講和条約が調印されたが、総司令官は軍隊に革命気分が蔓延するのを防止できなかった。軍隊の崩壊を企てた革命党員の跳梁にまかせて威厳を失墜させ、全く軍隊の秩序を保ち得なかった。
そこでグロデコフ将軍が派遣され、リネヴィッチは召還された。召還された老獪な彼は会う人ごとに、「なんといっても第一の失策はウィッテが講和条約を結んだことだ。これさえなければ、私は日本人に思い知らせてやったのに!」と言っているそうである。
数日前、私は参謀総長バリツィンに会ったので、話のついでに聞いてみた。
「リネヴィッチは講和に反対のようなことを陛下に言明したことがあるのですか?また彼は講和問題が起こってから何事もせずに空しく日々を送っていたのですか?」
「そりゃあ、よくわかっているではありませんか。もう戦はないと決まった以上、講和さえなければ、きっと日本に勝っていたのに、と言う方が、彼にとって都合がいいのは当たり前です。しかしクロパトキンはもっと上手です。彼の言うことを聞いていると、彼以外の者はすべて失策したことになるのです。
リネヴィッチは講和談判の開始に際しても、また談判の進行中でも、一度も意見を言明したことはありません。ただ一度、いよいよ進撃の方略を定めたから陛下の裁可を仰ぎたいと言ってきたので、それは総司令官の決心どおりにすべきだ、と言ってやりました。彼はそれっきり沈黙して講和の決定するまで大人しく待っていたのです」
バリツィンは笑ってこう答えた。リネヴィッチとは、こういう「立派な」総司令官だったのである。


 ウィッテも、他のロシア閣僚・軍司令官などと同じくわが身が大事な人物であり、自身が結んだ講和条約によって祖国が汚名挽回するチャンスを逃したなどとは考えたくないでしょうから、上記は幾分真実から差し引くべきでしょう。
 しかし、リネウィッチがこの回想録のように「大人しく」講和条約締結まで待っていたのは事実です。
 もし、彼に多少の損害を出そうともロシアの威厳を守る気概があったのならば、日露戦争の行方は全く異なったものとなっていた筈です。だが、現実には、そうならなかった。
 ということは、ウィッテの回想録に出てくる上記の発言は、当たらずといえども遠からずといったところだったのではないでしょうか。
 そのような分析を行い、自分は「仮に談判破裂していても、すぐには再戦には至らなかった」と結論付けました。まあ、これだけでは心細いので、10月ゼネストも「少し前倒し」で起こしてみたりもしましたが。

 さて、次回からは新章に入ります。日露講和が成立し、日本はいよいよ大陸に進出していきます。
 中学の歴史教科書あたりは、日比谷焼打ち、日韓併合、そしていきなり第一次世界大戦に突入、となりますが、実際は色んな出来事が起きており、一つ一つが後の満洲事変や日米戦争に繋がる重大事件だったことが、調べていく内に明らかになりました。
 こちらも資料は膨大で、すべてが複雑に絡み合っていますが、少しずつ紐解いて、改変していきたいと思います。



 本年も、残すところあと数時間となりました。
 皆様にとって、来年が良い年となりますように。  


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2014年12月31日

第1章 ポーツマス会議 18.最終会議

 翌6日、両国は最終会議に臨んだ。

 数日前からポーツマスでは雨が降り続いていのだが、今日は久しぶりに雨がやんでいた。まるで、会議の行く末を暗示するかのように。
 
 日本全権は早めに朝食を済ませ、工廠でウィッテ達を待つことにした。

 開始予定時刻は午前10時だったが、9時50分になってもロシア全権は姿を現さなかった。

 小村の脳裏に、嫌な予感が浮かんだ。

 9時58分、硬い表情をしたウィッテ達が、ようやく入室してきた。

 内心ホッとした小村だったが、感情を表に出さぬよう努めながら、軽く会釈した。

 10時00分、ロシア全権が着席して会議が始まったが、先に口を開いたのは小村だった。

 「まずは、昨日の討議に関する貴国の回答を示していただきたい」

 ウィッテは覚書を小村に手渡すと、静かに言った。

 「皇帝陛下は、貴国の要求を全面的に認めた」

 覚書には、ハルビン以南の東清鉄道支線とその付属地を日本に譲渡すること、東清鉄道本線をフランスが参加する国際シンジケートに委ね、ロシアは鉄道管理権を放棄すること、サハリン島を全島日本に割譲すること、如何なる理屈でも金銭の支払いは行わないこと、が列挙されていた。

 「では、我が国の最終的な回答を提示します」

 小村は、無表情でウィッテに覚書を手渡した。

 そこには、償金要求を撤回することの他、樺太、鉄道に関する事項がロシア側の回答に近い形で明記されていた。

 ウィッテは一読すると、
 
「我が国が提示した回答は、貴国の覚書とほぼ同じ内容になります。よって、我が国はこれを受諾するしかありません」

と言って立ち上がり、小村と握手を交わした。そして、随員の控室に入り、静かに口を開いた。

 「諸君、平和が決まったぞ。帰国の準備をしたまえ」

 その言葉には、大仕事を成し遂げた高揚感も、安堵もなかった。交渉の長期化がロシア全土の革命という最悪の事態を招き、日本側の要求を押し切る下地を失ったことに対する自己嫌悪の情が先立っていた。

 (屈辱的な外交を強いられる結果とはなったが、落ち込んでいる場合ではない)

 彼は軽く首を振ると、すぐに気を取り直して言った。

 「休んでいる暇は無いぞ。次は宮廷に巣食う守旧派との戦いが始まるんだからな」




 日露両全権は短い休憩を挟んだ後、両軍の満洲からの撤兵方法や東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議を行った。

 撤兵方法に関しては、撤兵期限や鉄道守備兵力の扱いについて議論した。

 日本側は条約批准後10ヵ月以内の撤兵完了を提案したのに対し、ロシア側は在満の日露両軍司令官の協定に任せれば良い、との考えを示した。

 また、鉄道守備兵を1kmあたり5人以内に限定するとの日本側提案に対しても、ウィッテは

「両国共、事情は異なる訳ですから、具体的な兵数を定めるのは難しいと思います。満洲の現状に鑑み、それぞれが適当と思われる兵力に制限すれば良いのではないでしょうか」

と反対した。

 このようなロシア側の不明瞭な態度に、小村は不信感を抱いたが、結局、撤兵期限18ヵ月、鉄道守備兵1kmあたり15人以内とし、細目は現地軍司令官同士の協定に依ることで妥協が成立した。

 続いて、東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議に移った。

 「まずは、この講和会議を斡旋したアメリカに花を持たせるべきだと思います。また、アメリカの鉄道技術は本家イギリスを追い越す勢いであり、資本力も十分であります。アメリカを筆頭株主とすることを提案します」

 小村が提案すると、ウィッテは

「同意します。ただ、フランスには、アメリカに匹敵する資本参加を求めたい。洋の東西を結ぶ大動脈が出来れば、西側の終点がパリになるのは必然です。また、世界一周輸送路が出来るとするならば、欧州からアメリカに渡る起点もやはりフランスになるでしょう。よって、アメリカとフランスは同列に近い出資とすることを希望します」

と言った。

 ウィッテの提案がロシアの債権国フランスに対する配慮であることは明らかだったが、小村はそこには触れずに頷いた。

 「了解しました。但し、その場合はイギリスも資本参加させるべきでしょう。昨年、協商が成立したとは言っても、長年対立してきた英仏どちらか一方を参加させてもう一方を排除するのは、両国の対立を再燃させるようで好ましくありません」

 勿論、これは同盟国イギリスに対する日本の配慮であった。

 「また、清国領内を通る鉄道であることから、清国も入れざるを得ないでしょう」

 審議の結果、シンジケートの予定比率をアメリカ40、フランス35、イギリス20、清国5の割合とし、日露は資本参加しないことで決定した。その他、樺太に軍事基地を設けないこと、間宮海峡と宗谷海峡における両国船舶の自由航行を承認し合った。

 午後5時に全討議が終了し、後は条文の作成を残すのみとなり、最終的な講和締結は1週間後の9月13日に行われることとなった。

 両国全権はホテルに到着すると、講和成立を知った記者や避暑客達の拍手によって迎えられた。

 小村もウィッテも笑顔で彼らと握手しながらホテルに入った。

 たった数週間で小村がアメリカ世論の操縦方法を体得した事に、高平は内心呆気にとられていた。記者達が会議前半に抱いていた日本全権に対する不満や不信感は、今や完全に払拭されていた。

 両国全権は本国へ至急電を打ち、それからバーに入ってシャンパンを開け、日露両国とアメリカの繁栄を祈って祝杯をあげ合った。

 夜も更け、ようやく散会して部屋に戻る途中、高平は小村が呟いた言葉に、思わず吹き出しそうになった。

 「今日だけは我慢して付き合ったが、帰国したら二度とこんな真似はせんぞ」




 こうして、動員兵力100万人以上、戦死傷者50万人以上、戦費15億円以上という代償を支払った一大戦争は終結したのである。
  


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2014年12月30日

第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落

 「侵略とは、大国が小国を脅かす行為を言うのでしょう。清は先の戦争で我が国に負けたとは言え、今でもアジア一の大国であります。大国・清を小国・日本が侵略するなど、あべこべも良いところではないですか。御心配には及びません」

 それに、と続けた。

 「満洲の門戸開放はアメリカ合衆国やイギリスが望むものです。仮に、それに反するような講和を結べば、欧米列強の反発は必至でしょう。ところが、南部支線の我が国への譲渡という条項に対し、今のところ列国からの抗議は一切ありません。つまり、国際社会は日本による満洲の排他的領有はあり得ない、と信じているからこそ、南部支線の譲渡を容認しているのです」

 小村はウィッテの渋面を見据えた。

 「また、東清鉄道本線が国際管理に委ねられるということは、貴国にとっても悪い話ではない筈です。鉄道技術や資本力に優れた列国が資本参加するならば、線路改良が進み、輸送力は飛躍的に強化されるでしょう。東アジアと欧州を結ぶ主交通路はスエズ運河経由から東清・シベリア両鉄道経由に移行し、輸送量は今の数倍になる筈です。鉄道収入の増加により、貴国は外債償還が容易になり、我が国も南部支線を経営することで利益を得られます。日露両国が恩恵を受けるのですから、反対する理由などありますまい」

 「では、既に決着の着いた長春-大連間だけで十分ではないですか」

 「主要都市や港湾を結ぶ鉄道という性質上、日本経営線の起点は長春ではなくハルビンの方が妥当であります」

 「長春-ハルビン間は未だ我がロシアの支配下にあります」

 なおも食い下がるウィッテに、小村は冷ややかな視線を向けた。

 「戦端が開かれれば、我が方の支配下に置かれるのは時間の問題でしょう。何故、リネウィッチ大将は動かないのですか?」

 ウィッテは顔を顰めた。

ゼネストの噂は日本軍と対峙するリネウィッチ軍兵士の間にも広まり、士気は極度に低下していた。上官命令への不服従や吊し上げが少なくない部隊で行われ、遂には脱走兵すら出てくる始末となっていた。

 加えて債権国フランスからは、講和に応じない場合の債務即時返還を要求されており、担保としてのシベリア鉄道接収やイギリスとの共同出兵まで示唆されていた。露骨な終戦圧力が宮廷にもたらされていたのである。

 「戦端が開かれれば、たった1本の線路を巡って再び双方に夥しい犠牲が生じるでしょう。しかも、戦闘経験豊富で士気も高い我が軍が有利なのは各国が認めるところです。力尽くでハルビンまでの線路を奪うのは容易です。しかし今、我々の外交努力だけでこの問題が解決すれば、日露双方、合わせて数十万の将兵の命が助かります。どうか、熟慮されて下さい」

 ウィッテは小村から視線を逸らした。

 「我が国は抑留艦艇の引き渡しや海軍力制限だけでなく、償金支払まで取り下げました。圧倒的優位の状況にも関わらず、決裂前と同じ条件の提示に終始し、ひたすら和平への道を模索しているのです。真に平和を愛する貴殿であれば、我が方の善意を汲み取っていただけると存ずるが、いかがか」

 暫く無言で机を眺めていたウィッテが、ついに口を開いた。

 「一日も早い和平を望むのは、我々も同じです。・・・・・・本国に最終確認をしたいので、もう1日だけ時間をいただけませんか」

 こうして、この日の会議は終了した。
  


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2014年12月29日

第1章 ポーツマス会議 16.会議再開

 9月5日。霧雨が降る中、日露両国の全権は再びポーツマスに戻ってきた。

 小村の目には、僅かな期間でウィッテが随分窶れたように見えた。

 多分、自分の姿も同じように見えているだろう、と彼は思った。ロシア国内の攪乱工作や各国の調停努力によって、戦端は開かれないだろうと予想はしていたが、人生最大の賭けの結果が出るまで、彼は生きた心地がしなかったのだ。

 そして、彼は賭けに勝ったのである。




 討議はまず、樺太問題からだった。

 ウィッテが先に切りだした。

 「先日わたしが提案したとおり、日本が償金要求を撤回するのであれば、サハリンは北部も含めて全島割譲する用意があります」

 「それは本国の裁可を得たものですか」

 「そうです」

 ウィッテの口調は淡々としていた。

 懸案の1つだった樺太割譲要求は、あっさり受け入れられたのである。小村は、ロシアが真に呑めない条件が償金だけであることを確信した。

 「ならば、樺太割譲と償金の条項についてはお互い相違が無くなった為、決着することになります。それでは、東清鉄道の放棄に関してはどうでしょうか」

 「東清鉄道本線、即ち満洲里-綏芬河間を国際管理するという提案ですが、当該線路は我が国にとって死活的に重要な路線であるので、受け入れることは出来ません。但し、ハルビン以南の支線の国際管理であれば、受け入れ可能です。日本に譲渡することで妥結済みの長春-大連間はそのままに、残りのハルビン-長春間を国際管理としてはどうでしょう。日露間に中立地帯を設けることで、両国が再度衝突する危険も無くなります」

 小村はすかさず切り返した。

 「それならば、やはり本線を国際管理とし、支線全てを日本に譲渡すべきであります。その理由は、第一にロシアにとって死活的に重要な線路が清国領内を通過し、しかもロシアの実質的な管理下に置かれている状況は、どう考えても不自然であるからです。第二に、真に日露再戦を予防するならば、ロシア軍の輸送に制限を加える必要がありますが、一番その効果を発揮するのが、本線を国際管理に委ねることだからです。第三に、当初の我が国の要求は南部支線全線の譲渡でありました。償金要求を放棄した今、ハルビンまでの鉄路を手に入れることは経済上、重要なことなのです。また、本線が国際管理になれば、日本がハルビンまでの鉄路を入手しても、貴国に対する驚異にはならない筈です」

 「しかし南部支線は現在、日本軍の輸送に使われています。いざとなれば、日本軍は“中立地帯”を突破して我が国領内に雪崩れ込むのではないですか」

 「現在はまだ戦争中でありますので、軍の輸送は当然でしょう。ロシアが行ったように、我々も占領地の鉄道を軍事輸送に使用しているまでです。だが戦争が終結すれば、南部支線は両国の交易の為に使用される筈です。それは両国にとって利益になるのではないですか?」

 「南部支線が国際管理でも両国に利益を生む筈です。貴国が支線の取得に拘るのは、満洲に侵略の野心を抱いているからではありませんか」

 小村は大笑いした。

  


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2014年12月28日

第1章 ポーツマス会議 15.ゼネスト

 そもそもロシアでは、開戦の前から革命が起こり得る土壌があった。

 農民の多くは零細で困窮していたし、労働者は低賃金で働かされており、経営者に怒りを覚えていた。

 国民の3分の1を占める非ロシア系民族の間では、ロシア語強制やロシア正教布教などの同化政策が、彼らの民族感情を逆撫でしていた。

 こうして、不平不満はロシアの下層社会や地理的縁辺部において醸成され、政治問題と化していた。

 しかし、ニコライⅡ世は専制君主であることを神から与えられた使命と捉え、国民に政治的自由を与えることや代議政治を行うことを拒否した為、それが社会と権力との対立点となった。

 この状況は、戦争によって先鋭化した。

 農民や労働者はもとより、企業家、知識階級といった広範な社会層が、専制体制の廃止、議会政治の確立、民主的権利や自由の付与、民族問題の解決、地主所有制度の撤廃を求めて、積極的に革命に参加した。



 最初の大規模な衝突は、1905年1月9日(旧暦=ユリウス暦。新暦=グレゴリオ暦の1月22日。以下同じ)に発生した血の日曜日事件であった。この事件は、未だ皇帝に尊崇の念を抱いていた一部の素朴な国民に衝撃を与えた。

 同年6月14日(6月27日)には戦艦ポチョムキンにおいて水兵の反乱が起きた。軍隊内で起きた革命運動に、政権は震え上がった。

 そして8月13日(8月26日)、ポーツマス会議決裂を知ったモスクワと首都ペテルブルクの印刷工の間にストライキが発生し、モスクワでは警官隊との衝突が起きた。

 8月15日(8月28日)にはモスクワ市内や近郊の鉄道にも飛び火し、翌日には革命政党の影響を強く受ける全露鉄道同盟によるストライキになった。

 戦争継続の生命線であるシベリア鉄道も動かなくなり、総攻撃準備を行っていたリネウィッチ軍に衝撃が走った。

 ストライキは燎原の火の如く全業種に伝わり、電信・電話、郵便、ガス灯などが停止するゼネストに発展した。

 後の世に言う、8月ゼネストの発生である。

 120の都市で200万人の労働者がストライキに参加した。50以上の都市や労働者居住地区で労働者評議会「ソヴィエト」が設立され、革命闘争を指揮するとともに実質的な行政機関として機能した。印刷工のストライキから1週間後、ソヴィエトはペテルブルクにも現れた。

 初等、中等学校、大学の授業は中止され、銀行や商店は閉店した。

 多くの著名な画家、詩人、作家は、専制を批判する作品を創ることで革命に参加した。

 ゼネスト中、「皇帝政府打倒!」「戦争反対!」「民主共和国万歳!」のスローガンが叫ばれた。

 首都の治安は極度に悪化し、港には皇帝がデンマークに亡命する為の駆逐艦が秘かに用意される事態になった。

 一方、戦費調達に関しても、何より、フランスからの外貨導入が困難になり始めていた。

 最早、戦争継続など不可能であった。



 9月3日。未だニューヨークに留まっていたウィッテら元ロシア全権の下に、本国から電文が届いた。

 「速やかに日本との交渉を再開し、講和を成立させて帰国すべし」

 そして、電文には続きがあった。

 「償金には1カペイカたりとも応じないが、サハリン割譲には応じる準備がある。鉄道に関してはなるべく我が国に有利な条件で妥結せよ。兎に角、一刻も早く講和をまとめて帰国し、国内の治安回復に力を貸してほしい」

 皇帝自ら、講和締結を認め、ウィッテに助けを求めた内容であった。実はウィッテ起用を進言したのは皇太后マリアであったのだが、勿論ウィッテ達は知る由も無かった。

 交渉決裂以来1週間、ウィッテは押しつぶされそうな不安感の中で日々を過ごしていたが、それが一気に消え去ったのを感じた。すぐさまローゼンがルーズベルト大統領と会談し、交渉再開を告げた。

 「皇帝陛下は未だ戦端が開かれていない今が、和平への最後の機会だと申しております。日本に平和への意志があるのであれば、再度ポーツマスに戻って会議を再開したいと考えております」

 この内容はルーズベルトから金子を通じ、小村の下に伝えられた。

 「これで随分、楽に交渉できるぞ」

 金子からの電文を受け取った小村は高平にそう言うと、窓際に立って外を眺めた。

 窓の外では、ニューヨーク市民が忙しそうに歩き回っていた。

  


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2014年12月26日

第1章 ポーツマス会議 14.戦闘再開か?

 翌日の米紙上には、「講和会議決裂」の見出しが躍っていた。

 どの新聞も、戦闘再開となった場合の日露双方の出方や被害等の予測記事を掲載している他、会議決裂について、頑ななロシアを責める新聞があれば、ロシアを挑発し、尊厳を傷つけた日本を責める新聞もあった。また、自国での講和会議を斡旋しておきながら何の調停努力もしなかったルーズベルト大統領に対する批判記事も散見された。

 このような最新のアメリカ世論は駐米公使を通じ、日本にいる桂の下にも届けられた。

 「見て下さい。どの新聞も『日本は少なくとも沿海州全部を占領するだろう』と書いてあるらしいですぞ」

 桂は閣僚達にそう言って高平からの電文を渡した。

 「勝手なことばかり書きよって…新聞の商業主義は万国共通ですな。煽るだけ煽って、責任は取らなくて良いのだから、気楽な商売です」

 寺内陸相は苦笑しながら答えたが、すぐに表情は強張った。

 「しかし、拙いことになりました。ロシア軍の精鋭部隊に対し、我が方は兵員も弾薬も補充が追い付いていません。これではハルビン占領どころか、既占領地の防衛すらままなりませんぞ」

 山縣も苛立ちの表情を見せた。

 「小村君は一体どういうつもりだ?ウィッテが償金放棄と引き替えに樺太全島割譲を提案してきた時点で交渉をまとめておけば、こんなことにはならなかった。欲を出して東清鉄道の全線放棄など迫るものだから、かえってロシアの反発を招いたではないか。こうなったら、交渉を決裂させた小村君には即刻辞表を出させ、高平君を立てて会議再開を請うしかないのではないか」

 「そんな事をしたら、益々ロシアが増長するに決まっているじゃないですか」

 「では、この難局をどうやって乗り切れと言うのだ!いくら海軍が制海権を確保しても、我が方には輸送出来る弾薬も兵員も無いのだぞ!」

 山縣は山本海相を一喝し、返す刀で桂にも食ってかかった。

 「大体、ハルビンまでの南部支線取得を再交渉せよ、と命じたのは桂君ではないか!まさか、小村君には本線の放棄要求まで指示していたのか!?」

 「いえ、そこまでは」

 桂は首を横に振り、続けた。

 「本線放棄の要求は小村君の独断ですが、なかなか巧妙な提案だったのではないでしょうか。巧くいけば、向こう30年間はロシアの南下を恐れずに済みます。まあ、会議が決裂してしまっては元も子もありませんが、きっと小村君は打開策を考えている筈です。あっさり交渉決裂に至らせたことが、何よりの証拠です」

 「随分と小村君を買い被っているようだが、確証はあるのかね?ルーズベルト大統領の調停を考えているとするならば、とんだ期待外れになるぞ。ロシア皇帝は既に誰の意見も聞く耳持たなくなっているようだからな」

 睨め付ける山縣に、桂は涼しい顔で答えた。

 「しかし、兵站と軍資金の補充が出来なくなれば、流石のニコライも調停に応じる他ないでしょう」

 「何か、策があるのか?」

 訝りながら訪ねる伊藤に、桂は不適な笑顔を見せた。

 「見ていて下さい。数日後には、ロシア側から会議再開を請うてくる筈です」
  


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2014年12月23日

平成26年下半期の総括

暫く更新を放ったらかしにしていたら、また世の中が変わりましたね(汗

衆院選、知事選と、立て続けに選挙がありました。
知事は河野さんが再選されるのは分かり切っていたのですが、衆院選は残念な結果になってしまいました。
次世代の党が壊滅的な打撃を被り、民主、共産が議席を増やしてしまったことです。

共産党の議席が増えるということは、有権者の多くが安倍・竹中内閣の新自由主義路線に「NO」と言っているということではないかと思います。自民党は、このことを真摯に受け止めてほしいと思います。
また、与党が2/3の議席を確保しましたが、護憲派の公明=創価学会党を入れて、の話なので、次世代が壊滅的打撃を受けた今、改憲発議はかえって難しくなったのではないでしょうか。中・韓に対する外交の腰砕けも気になるところです。

さて、次世代の党、解党の話まで飛び出していますが、ここは踏ん張ってほしいと思います。
元々、小さな政党でしたし、結党から日がなく、認知度も低いままだったのが、今回の敗因だと思います。自民党の新自由主義路線をきちんと批判できなかった為、他の野党の中で埋没してしまったのではないでしょうか。
党首の平沼さんや、今回残念ながら落選してしまった田母神さんは保守でありながら、新自由主義には批判的でデフレ脱却への道を正しく理解している人たちです。(というか、本当の保守であれば、新自由主義やグローバリズムには批判的である筈なのですが・・・)
今回の選挙を機に、アントニオ猪木など、「なんでこの人が?」と思うような人物がいなくなったことを奇貨として、党の綱領を見直し、より「平沼色」を強めてはどうでしょうか?
今までは石原さんの顔色を見て、行政改革など緊縮財政的政策も盛り込んでいましたが、平沼さんが思うように党を再編し、「この指とまれ」的に人を集めなおせば、いずれ党勢回復の機会があったとき、真の意味で自民党の右に立つ柱になり得るでしょう。
それまでは我慢の時です。郵政解散以来、10年近く野党暮らしをして信念を曲げない人です。たった1回の敗北にめげずに、頑張ってほしいと思います。



話は変わりますが、ガソリンが安くなってきましたね。
ウクライナでの新冷戦勃発を機に、アメリカ・サウジ連合が原油安を仕掛けている(減産の拒否)からだそうですが、ガソリンだけではなく、原発が再稼働していない今、天然ガスの価格低下を通じて貿易赤字の縮小に役だってほしいです。(日本が輸入する天然ガスの価格は原油価格に連動している)
ところで、川内原発、いつ再稼働するのでしょう?さっさと国主導で再稼働してもらいたいものです。


またまた話は変わりますが、いよいよリニア新幹線が着工しました。
構想以来40年以上が経過しましたが、ようやく日の目を見ることになった中央新幹線。完成すれば、国土開発のみならず、世界中に再び衝撃を与えることになるでしょう。
そして忘れてはならないのが、中央新幹線への乗客のシフトによって生まれた東海道新幹線の余裕を使って、大規模修繕工事が実施できる、ということです。
東海道新幹線は、開業から50年が過ぎ、施設の老朽化が顕在化していますが、超過密ダイヤのおかげでなかなか橋梁架け替えなどの大規模修繕工事が難しい状況にあります。
中央新幹線開業後、減便が実施できれば、ダイヤを規制しつつ、工事を行うことができます。
また、生まれた余裕を利用して、貨物新幹線を走らせることも出来るかもしれません。そうなれば、東海道の物流コストは大幅に低減できるでしょう。すなわち、生産性の向上です。
問題は、既存新幹線に比べて高い輸送コストとトンネル掘削に伴う地下水変動などの環境問題、そして安全性です。
輸送コストの大部分は超電導状態を保つ為にコイルを冷却する電気代でしょうが、高温超電導物質の開発に期待したいところです。
また、環境問題も、試行錯誤しながらクリアしていかなければならない問題でしょうが、解決は可能でしょう。
問題は、安全性です。
超電導の磁場が人体に与える影響は、これまでの試験でクリアできたでしょうが、問題は、中央新幹線が日本有数の断層地帯を通過するということです。
時速500kmで走行中に断層帯を震源とする地震が起き、軌道がずれるようなことがあったら、大事故はまぬがれないでしょう。トンネルだと、崩壊まで至らなくても、覆工コンクリートの剥離くらいはあるでしょうから、これが走行中のリニアに当たれば、やはり大事故は避けられません。
未知の新技術であるリニアには、隠れたリスクが潜んでいないとも限りません。いたずらに開業を先延ばしするべきではありませんが、様々な角度からリスクを洗い出し、対策を講じてもらいたいものです。
いずれにせよ、開業の暁には鉄道業界のみならず、土木建築業界にも金字塔を打ち立てるでしょう。
無事開業することを祈ります。

更新をさぼっていた間に思っていたことを一度に吐き出して(まだ吐き出しきっていませんが)しまいましたので、なんだかまとまりのない文章になりましたが、これで終わります。

次回からは、これまたさぼっていた小説書きに戻ります。年内にはきりのいいところまで書き終えたいです。
それではまた。  


Posted by なまくら at 08:26Comments(0)

2014年10月06日

無法国家に舐めれれている安倍内閣

 今朝の産経ニュースに秀逸な記事がありましたので、転載します。

【野口裕之の軍事情勢】
「空の腹切り」「肉攻」に学ぶ対露戦略

 (問)戦車とは何ですか?

 (答)ソ聯(れん)が友好諸国への友好的訪問に利用する乗り物です。

 ネット上で見付けたジョークは上デキだが、笑えない戦史に感じた。ソ聯軍が日ソ中立条約(1941年署名・発効)を一方的に破り、滿(まん)洲や北方領土になだれ込んだのは大東亜戦争(41~45年)終戦直前~終戦後にかけて。ソ聯を継承国ロシアに置き換えても十分通用する。ソ聯同様、クリミア併合やウクライナ侵入という国際法違反を犯しているからだ。もっとも、置き換えたところで、ソ聯軍の違法侵攻以来一本の歴史が刻む、わが国がジョークとして笑えない紛争。が、露側には「笑っている」ように映るだろう。安倍晋三首相(60)は「力による現状変更は断じて認めない」と9月、米国で記者会見した際に改めて述べた。ただ「力でしか現状変更しない国」への非難にしては余(あま)りに虚(みな)しく響く。しかも▽ウクライナ侵入を受けた欧米の対露制裁には腰が引け▽国会の所信表明演説では「対話」を強調。「日露平和条約締結」さえ呼び掛け、北方領土問題解決に意欲を示してもいる。北方領土などに対するソ聯軍侵攻での死傷者8万4000。過酷な強制労働により屍(しかばね)の山を築いたシベリア抑留者110万。安倍氏は、祖国に生還寸前だった同胞に想(おも)いをはせていない…。

○必要な畏怖させる覚悟

 「軍事は外交の一部」との国際常識を日本に求めるには、日本の国情は極端に国際とかけ離れている。領土問題で、ロシアが日本を交渉相手と扱ってきた理由は、日米同盟を意識してのこと。軍事が外交とリンクできない圧倒的不利な前提に目をつぶって尚、軍事・外交面で世界屈指の薄汚い手法を用いるソ聯→ロシアと外交決着を図るには、彼の国を畏怖させる覚悟だけでも示唆しておかねばならない。以下に触れる逸話とまでは昇華できずとも「平時の覚悟」は為(な)せば成る。

 昭和20(1945)年8月、大日本帝國(こく)陸軍の軍人が示した覚悟は、ソ聯軍将兵を震え上がらせ、絶望的状況を挽回した。

 滿洲防衛を担う關(かん)東軍の一部に終戦を潔(いさぎよ)しとせず、徹底抗戦も辞さぬ不穏な動きが察せられた。このため、大命=勅命により明治天皇(1852~1912年)の孫・竹田宮恒徳(つねよし)王(1909~92年)は聖旨(せいし、天皇陛下の思(おぼ)し召(め)し)を伝達すべく滿洲に赴かれた。滞在中の3日間、宮御(ご)搭乗機を4機の戦闘機・隼(はやぶさ)が護衛した。担任したのは全員教育飛行隊教官で、生き残った戦闘機操縦者の中では抜きんでた技量の持ち主だった。

 4機は奉天=瀋陽の飛行場に帰還せんとするが、ソ聯軍が占領。地上では虐待や法外な勝者の要求を繰り返していた。

 飛行場上空で、編隊は悠悠(ゆうゆう)と雁行(がんこう)形を保ちつつ、滑走路に沿い超低空で通過した。慌てふためくソ聯軍将兵。屈辱に耐えていた帝國陸軍将兵は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した。大きく反転した編隊は再度、反対方向から通過し、今一度大反転して、またも超低空で進入してきた。

○天晴れ凄絶な最期

 と突然、編隊長機がグイグイと機首を持ち上げた。見る間に飛行場中央で4機は一糸乱れぬ垂直上昇を始める。上昇力が尽きるや、そのまま2機ずつ左右へと、正確に上昇反転(宙返り)。全機唸りながら真っ逆さまに地面に迫る。見事等間隔を保ったまま、天地を裂く大爆音を立てて大地に砕けた-隼たちの最期であった。見苦しく動揺するソ聯軍将校の問いに帝國陸軍将校は説明した。

 「日本では古来、武運拙(つたな)く負け戦(いくさ)となりし時、武士(もののふ)として腹を切る。今のは、飛行機乗りによる腹切りの作法である」

 ソ聯軍は肝を潰し傲岸無礼(ごうがんぶれい)が影を潜めた。四烈士は「切腹」前、未占領の飛行場で真新しい下着に替え、整列して遠く東の空に向かい宮城遙拝(きゅうじょうようはい)し「天皇陛下萬歳(ばんざい)」三唱を済ませていた。何と天晴(あっぱ)れ凄絶(せいぜつ)な覚悟か。

 ソ聯軍将兵は意気地がない。戦車に守られて、160万もの大軍で滿洲や北方領土などに奇襲攻撃したにもかかわらず、各地で帝國陸軍の猛反攻に遭い、恐ろしくて逃げた者は少なくなかった。そもそも露帝國→ソ聯軍の将兵は日露戦争(1904~05年)やノモンハン事件(39年)における帝國陸海軍の精強振りがDNAに染み付いている。雲霞のごとき大軍投入は、恐怖の産物といえた。

○爆雷ごと戦車に体当たり

 数ある激烈な防衛戦の中で、陸軍石頭予備士官学校の幹部候補生ら3600名が行った《対戦車肉薄攻撃=肉攻》は、後の世に伝え継ぐべき戦史であり、民族史だと考える。小欄は、内920名が48時間を戦い抜き、600~700名が散華した磨刀石方面での戦闘を記す。

 戦況悪化に伴い、關東軍の戦力は逐次南方戦線に転用され兵器・弾薬は実(まこと)に貧弱。「主力兵器」は工事用ダイナマイトをランドセル大に束ねた急造爆雷に決まる。幹部候補生は爆雷を抱え、小さな壕=タコツボで待ち受ける。

 敵戦車が近付くや、爆雷ごと体当たりを敢行する。《肉攻手》による《肉攻》だ。世界に冠たるソ聯陸軍戦車63輌を葬る戦果を挙げた。戦果には、敵戦車を分捕り、砲撃して粉砕した数輌が含まれる。

 「極めて残酷な命令」

 左翼や戦後の敗戦史観教育にどっぷりと汚染された日本人は嫌悪感を抱く。確かに命令は下達された。だが、生き残った幹部候補生が残した複数の著書や記録を読み、口をつぐもう。

 彼らは無謀に死に急いではいない。開拓などに従事した在留邦人が少しでも早く、少しでも遠くの非占領地に逃げ延び、帰国を果たしてもらいたい一心。斯(か)くなる戦略目的に得心し、命ある限り敵戦力を漸減させ、侵攻速度を削ぎ、後方の友軍が防御陣地を完成するまで時間を稼ぎたい一心だった。そしてもう一つ。石頭予備士官学校幹部候補生・南雅也氏(1925~95年)が著書《この壮烈な戦士たち》などを通し、絞り出すように語っている。

 《死とひきかえに日本の栄光を、条約を蹂躙(じゅうりん)した暴虐ソ連軍に目にもの見せてやらねばならぬ。日本人の心意気を後世に残すために死など眼中にない》

 安倍氏は9月、国連総会で安全保障理事会常任理事国入りを目指すと表明したが、安保理と関係部局は《条約を蹂躙した暴虐》国に対する武力行使を決定し、作戦を練る「軍議の場」ともなる。無法国家を畏怖させられる覚悟を決めて後、常任理事国に手を挙げてはいかが。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)



 関東軍と言えば、張作霖爆殺事件や満州事変を起こして満州国を建国したり、と、「侵略戦争の首謀者」のように見られがちで、おまけに終戦間際のソ連侵攻に対しては民間人を見捨てて逃げ出したように言われますが、実際はこのように勇猛果敢に戦い、民間人を守りながら散っていったのですね。彼らは本物の武士(もののふ)でした。軍人さん達に感謝!!

 さて、記事中にもあるように、安倍内閣のやり方はまるで的外れです。
 クリミア併合に対し、強い姿勢を打ち出せず、どうして北方領土返還交渉が出来るでしょうか。
 両事例とも、ロシア(ソ連)の無法によるものであるにも関わらず、一方を半ば容認するような軟弱姿勢でいれば、それこそロシアの思うつぼです。
 しかし、これは安倍内閣のみならず、アメリカやEU諸国にも言えることです。
 今のクリミア情勢は、ナチスのラインラント進駐やズデーデン地方併合に匹敵するものです。これらナチスの無法に対する軟弱姿勢が、どのような結果をもたらしたのか、我々は歴史に学ぶべきでしょう。

 それにしても安倍内閣、すでに保守政権の体を為していないと思うのは、なまくらだけでしょうか。  


Posted by なまくら at 11:41Comments(0)大東亜戦争

2014年08月25日

第1章 ポーツマス会議 13.講和会議決裂

 翌日の最終会議で、ウィッテは開口一番、言い放った。

 「貴殿は昨日の会議の後、新聞記者達に我が国のことを侵略国家だと触れ回ったそうですな。これは全くの事実誤認であるだけでなく、我が国に対する重大な侮辱だ。このような扱いを受けた以上、我々は名誉の為に戦う他無い」

 怒りに震えながら拳で机を叩くウィッテに、小村は冷然と答えた。

 「会議中、何度も申しましたとおり、我が国は、樺太は奪われたもの、と認識しております。貴殿が読まれた新聞がどういう書き方をしていたのかは存じ上げないが、島を奪った行為を侵略と呼ぶのは普通の考えではないでしょうか」
 
 「では、日本が清から台湾を割譲させた、あの戦争はどうだ。あれこそ侵略戦争ではないのか」

 「日清戦争は朝鮮を独立国と認めるか否かの戦いでした。台湾は戦争の結果、講和会議で割譲された島であり、我が国が台湾に武力侵攻して戦争を起こしたのではありません。樺太の場合とは全く違うことを理解していただきたい」

 ウィッテは溜息を吐いた。

 「どのように抗議しても、貴殿は考えを改める気はないようですね。かくなる上は、ここでお互い袂を分かち、本国に引き上げる他ないでしょう」

 「それもやむを得ないでしょう」

 小村が静かに答えた後、暫し沈黙が流れた。

 重い静寂に包まれた後、先に声を発したのは、やはりウィッテの方だった。

 「我々は明日、ポーツマスを発ってニューヨークに向かいます。こうなることは予想しておりましたので、昨夜の内にニューヨーク市内にホテルも取っております。後でローゼンの方からホテルの住所と部屋番号を書いた紙を渡させますので、もし貴殿が考えを改めるようなことがありましたら、至急そちらに連絡をいただきたい」

 「了解しました。我々も一旦ニューヨークを経て、西海岸まで移動してから船に乗ります。明日までに、我々の方も滞在するホテルの連絡先をお伝えしましょう。この会議で和平を達成出来なかったのは至極残念でありますが、お互い譲れない部分がありましたので、仕方ありません。出来れば、ここにいる我々だけでも、悪感情を残さないように別れたいが、どうでしょうか」

 「勿論、そのつもりです」

 ウィッテはそう言って、右手を差し出した。小村は一回り大きいその手をしっかり握りしめ、高平とローゼン、他の随行員達もそれに倣った。

 1905年8月24日10時45分。予備会議から数えて16日目、延べ10回に渡るポーツマス会議は、こうして決裂したのである。

 小村はホテルに戻るとすぐに本国に電報を打った。

 「交渉は決裂。速やかに戦闘再開に備えられたし」

  


Posted by なまくら at 04:46Comments(0)創作

2014年08月24日

第1章 ポーツマス会議 12.新聞操作

 滞在先のホテル、ウェントワース・バイ・ザ・シーの外には、いつものように新聞記者達が記事のネタを取りにやってきていたが、いつも饒舌なウィッテは

 「お互い、平和への最後の望みをかけた交渉を行った」

とだけ伝え、追いすがる記者達を振り切ってさっさと部屋に帰ってしまった。

 続いて、日本全権が到着した。

 数名の記者が無駄だと思いつつも、小村達を取り囲んだ。

 身長160cmに満たない小柄な小村を白人達が取り囲む。小村は自分より背の高い男達を見上げながら口を開いた。

 「ロシアは償金放棄を条件に、樺太全島の割譲を提案してきたが、樺太は古来より、我が国の領土であります。日露の外交関係が始まった頃、ロシアは軍事力が未整備という我が国の弱味を巧みに利用し、平和的手法を装って島を強奪しました。30年後の現在、日本はロシアと軍事的に対等になり、この度の戦争で漸く島を奪還することが出来ました。我が国としては、是非ともこの機会に、ロシアが過去の過ちを謝罪し、島を日本に返還してほしいのだが、仮にロシア皇帝が謝罪も返還も拒否するのであれば、戦争は続くことになるでしょう」

 珍しく口を開いた小男の言葉に、記者達は一様に驚きを隠せなかった。更に数名の記者が小村達のところに駆け寄ってきた。

 「島に関するそのような話は初めて耳にしたのですが、それは事実ですか?」

 記者の1人が訊ねてきたので、小村は大きく頷いた。

 「詳しく知りたければ、間宮林蔵という日本人のことと日露外交の歴史を外務省に問い合わせてみて下さい。わたしの言ったことが間違いないことが分かるでしょう」

 また別の記者が訪ねた。

 「償金は放棄するのですか?」

 「日本は金欲しさに戦争をしたのではありません。ロシアが侵略行為を深く反省し、二度と極東に戦争の惨禍を巻き起こさないと約束するのであれば、日本、いや世界は償金以上のものを手に入れることが出来るでしょう」

 必死にメモをとる記者達の目が輝いていたのを、小村は見逃さなかった。



 一方その夜、ウィッテは酷く憔悴していた。

 夕刻、会議の状況を本国に伝えた後、彼のもとに届いた返電には

 「謝罪及び東清鉄道放棄の要求には応じない。領土は寸分たりとも割譲しない。貴殿は交渉決裂を告げ、速やかに帰国すべきである」

とあり、更にこう続いていた。

 「貴殿は先の皇帝陛下の勅命を無視し、あろうことか領土割譲の提案を行った。陛下はたいそうお怒りである」

 ウィッテは絶望的な気持ちになった。

 「閣下の秘策は日本側に逆手に取られたようです。明日の朝刊は、我が国に講和を強く迫る内容になるでしょう。しかし、交渉打ち切りの勅命がある以上、我々はこれ以上会議を続けることが出来ません」

 傍らのローゼンは溜息を吐いた。

 「どう考えても、八方塞がりだ。しかし、考えようによっては、本国が真剣に講和を考える契機になるかもしれん」

 「そうなることを願いたいですね。ただ、どんな形で講和をまとめようと、我々は銃殺かシベリア送りでしょう」

 「しかし、それでもわたしは愛するロシアと皇帝陛下の為に少しでも有利な条件で講和を結びたい。まあ、陛下がわたしを解任してしまえば、それも叶わないが……」

 暫し沈黙が流れた後、ウィッテは力なく言った。

 「明日、会議の終結を宣言し、帰国しよう。但し、その行程はゆっくりで良い。取り敢えず一旦ポーツマスを出てニューヨークまで引き返し、暫くそこで滞在しよう。その間に事態が好転するのを待つ他ない」

  


Posted by なまくら at 05:46Comments(0)創作

2014年08月23日

第1章 ポーツマス会議 11.小村の反撃

 このブログも随分放置してしまいました。その間にも、世間では台風や豪雨などの自然災害が猛威を振るっており、大勢の方が亡くなりました。心よりお悔やみ申し上げます。また、政府においては、国土強靭化の速やかな実行をお願いします。



 さて創作の方ですが、ポーツマス会議編もようやく終わらせる目途が付きましたので、再開です。最終更新から1年以上経過していたのですね(^_^;)

 また、ポーツマス会議編がやたら長くなってしまいましたので、過去の記事も章立てを変更しました。

 ポーツマス会議編はあと5,6回で終わると思います。第一次桂内閣が退陣するのは・・・あと10回くらい後でしょうか?

 それでは、再開です。


第1章 ポーツマス会議 11.小村の反撃



 「それは、貴国が強圧的な方法で我が国から奪い去った樺太を返還する意思がある、と解釈してよろしいか」

 「奪ったのではありません、条約によって国境を画定したものです」

 「我が国民の多くは奪われたものと考えております。貴国が我が国に行った侵略を悔い改め、謝罪の上で全島返還するとおっしゃるのであれば、我が国はこれ以上金銭の支払いを要求するつもりはありません」

 「サハリンは平和友好的な条約により、我が国の領土となった島であります。よって謝罪もしませんし、返還という言葉は馴染みません。ロシアは侵略国家ではない」

 むっとした表情でウィッテは応えたが、小村は平然とした口調で言い放った。

 「いいえ、侵略国家であります。現に東清鉄道、あれはれっきとした満州への侵略行為の証ではありませんか。ロシアが真に侵略国家でないとおっしゃるのであれば、東清鉄道は全線放棄すべきであります」

 「曲解するにも程がある!東清鉄道は侵略の為に造った鉄道ではない!ロシア極東地域の発展の為に必要だったもので、たまたま最短コースが清国領内を通っただけのこと。仮にこれがなければ、ウラジオストックを始めとする諸都市の発展は望めなかったでしょう。東清鉄道は、まさに極東地域の命綱なのです」

 「だが、他国の領土内にロシア管理下の鉄道があるのは、いかにも不自然であります。しかもそれが命綱ですと?更に、南部支線は極東地域の開発には何の関係もない筈です。やはりロシアは、満州を併合する意図が有った、と受け取られても仕方ないのではないですか?」

 詭弁だ、とウィッテは立ち上がった。

 「貴殿こそ、東清鉄道放棄を迫る意図は何だ!逆に、日本が東清鉄道を抑え込むことで、ロシア極東地域への侵略を企てているのではないか!?」

 「我が国にそのような意図はありません。東清鉄道も、何も全線日本に割譲せよとは申しておりません。南部支線は当初要求どおりハルビンまでの割譲を再要求するが、本線は清国に返還するか、国際共同管理とすべきだと申しておるのです。清国の鉄道管理能力等を鑑みれば、国際共同管理が最も妥当なところだと考えます。いずれにせよ、謝罪とその証としての東清鉄道放棄が受け入れられないのであれば、貴殿の提案に応じるわけにはまいりません」

 ウィッテは暫し拳を振るわせていたが、やがて冷静になったのか、再び椅子に腰を下ろして考え込んだのちに答えた。

 「皇帝陛下が同意なさるとは到底思えないが、本国に伝えましょう」

 こうして、この日は散会し、最終会議は明日に持ち越されることとなった。
  


Posted by なまくら at 12:24Comments(0)創作