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Posted by みやchan運営事務局 at

2009年08月06日

17条憲法の精神へ立ち返れ!

 先週(オイ)火曜日のお題は「民主党がマニフェスト発表」でした。

 武坊さんと長女(中2)がこれに関して、自民党幹部が財源や実現性の点を批判してるニュースを見てたらしいです。で、長女が
「結局さ、相手がやる事は、何でもこうやって文句言うっちゃろ?」
 「どうせ、何をやっても文句言うのよね、この人ら」
と言ったそうで、武坊さん、ハッとさせられたそうです。

武坊
 「そう言われてみれば、そうやねえ。多分、半分くらいは言いたいことは一致しているから、この部分は同じなんだけどね、て言えばいいんだろうけど、言わないんだよね。」

長女
 「でもさ、この人たち頭良いんだよね?私たちはしょっちゅうね、学校の中ではね、学級会とかで話し合いが行われる時に『相手の意見に賛同できるところは素直に賛同しましょう』『相手の足りないところに塩を塗り込んであんたアホやね、て言うんじゃなくて、ここは私がやりましょう、て補いあいましょう』部活だって何だってそうだ。お互いチームプレイでもっと良いものにしよう、というような教育を常に大人から施されているのに、何で大人のトップである政治家は、こんなにも足の引っ張り合いしかしないの?

武坊
 日本は今、二大政党制みたいになっているけれども、これは性善説でいけば、大きな2つの選択肢があって、お互いがライバルとなって切磋琢磨して、より良い物を創っていこうとする、どんどん向上していくから、二大政党制は良い、ていうような言われ方をしているけれども、ウチの娘に言われたのは、大きな2つが、お互い潰し合ってる、と。

淳ちゃん
 力を持ってる、大人同士が、て感じがするよね。

 私はニュース見ながら、童話の世界だな、て思ったの。裸の王様。
 王様が裸で歩いていると、大人たちは「まあ、なんて素敵なお洋服」とか言ってるけど、そこで子供が指さして、「あ、裸だ」
 大人、て色んなものを知りすぎてて、色んな思惑があって、そして色んなものが自分に繋がるように、て思うと、お洋服着てなくても「なんて素晴らしいお洋服なんだ」て言わざるを得なくなってしまうところがあるけど、今必要なのは、「あ、裸だ」ていう子供が指さす方向なのかな、なんて思っちゃう。

武坊
 今、世の中にある2つの選択肢、て“良いライバル関係”よりも、“潰し合いの関係”が多いじゃない?
 はい、宮崎の自民党、どうですか!?中山さんと上杉さん、潰し合いにしか見えないッスよね!?相手に利することしかしてないように思えますよ?
 はい、じゃあその本部はどうですか!?麻生、反麻生で、あれも潰し合いにしか見えない、言わば社内事情でもめてるみたいなもんですわ。
 で、日本国内どうですか!?自民、民主で揉めてるわけでしょ!?
 何をやっても文句を言ってけなし合う、ということなんですね…

 相手の言う事、てのは必ず2面性がありますよね。例えば仕事を一生懸命しましょう、てのと、家庭を大切にしましょう、てのは両方、論は通ってるわ。
 家庭を大切にしましょう、ていう人には「あの人は全然仕事しない」て言えるし、仕事を一生懸命してる人に「あの人は家庭を全然顧みない」と言えるし、二律排反でしょ?
 だから、けなし合いってのは必ず成立するわけですよ。でも、そこをうまくさじ加減する、てのが大人の知恵なわけやろ?

 宮崎に関係の深い農業政策だって、個別所得補償を打ち出してる民主党と、どっちかというと大規模農業を推進して国際競争力をつけようとする(自民党)…、そんなもん両方正しいに決まっとるやん!
 じゃあ、これを足して2で割るしかないですね、ていうのが大人の考えなのに、最後の最後まで譲らんわけやわな。

 で、思ったのよ。あ、そう言えば民間ではキリンビールとサントリーが一緒になろうと考えてるわけやろ?
 それは、国内で切磋琢磨して成長していくのも良いけれども、2つが1つになることでお互い補い合って国際競争力をつけよう、て事やん。
 日本もまさにそうやないの?今、民主党と自民党が大連立、て言葉になっちゃうのかも知れないけれど、1つに知恵を出し合って良いもの創って、G7とかで存在感を出していかないと、首相が代わって名前も覚えてもらえないようじゃ駄目なんじゃない!?それだったら、財界、経団連の会長辺りにG7に行ってもらった方が良いよね?
(以上、引用終わり)


 1400年以上前、聖徳太子が作った17条の憲法には、こう書いてありました。

一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)う事なきを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず。又隣里に違(たが)う。しかれども、上和らぎ、下睦(むつ)びて、事を、論(あげつらう)に諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事かならざらん。
(口語訳)
和をもっとも大切なものとし、争いをおこさぬことを根本としなさい。人はみな集団・徒党を組むものである。また悟りきった人格者は少ない。その結果、君主や父親に従わないことが発生する。あるいは、近隣同士でのいさかいが起きるのである。しかし、上の者も下の者も和睦して議論するならば、おのずから道理にかなった決定がなされ、何事も出来ない事などはないのである。

 太古の日本の政治家たちは、分かっていたのです。そして、中2の女の子でも分かっているのです。
 民主党が問責決議案とかで自民党の足を引っ張った結果、北朝鮮への制裁決議の履行を担保する、貨物検査法案は廃案になりました。
 足の引っ張り合いが国際的な信頼、国益を大きく損なった瞬間でした。


 ところで、このブログを書いている、まさに絶妙なタイミングで、とあるブロガーが17条憲法について、こんな事を書いているのを見つけたので、引用させていただきます。
(以下、引用)
どんな言論戦であれ、会議であれ、戦いであれ、その根本のところに、「協調・親睦の気持ち」が大切と説いている。
まさにこれが“日本精神の柱”なのではないかと思います。
ねずきちには、いわゆる共産主義や社会主義などの階級闘争主義、あるいは欧米型契約主義に、どうしてもなじめないところがある。
それが、この部分です。
根っこのところに「互いに協調・親睦の気持ちを持って」というところがない。
ただ非難し争うだけ。ただ言い張るだけ。そこに互譲の精神というものがない。
階級闘争主義者にあるのは、ただ“闘争”だけです。
契約主義者にあるのは、ただ“条項”だけです。
そこに“心”がない。
だから馴染めない。
契約を守ることはもちろん大事だけれども、たかが一片の文書に書かれたことより、互いの和のほうが、よっぽど大事だと思う。
(“ねずきちの ひとりごと” http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-582.htmlより引用終わり)

 激しく同意します。階級闘争主義者が多数紛れ込んだ民主党に、なまくらも馴染むことができません。

 ただ、自民党内にも足を引っ張る輩が多いのは、どういう理由からでしょうか?
 なまくらは、現在の選挙制度にも問題があるのではないか、と思うのです。
 衆議院420議席の内、7割以上を占める小選挙区制は、わずか1票の差で勝敗が決してしまう厳しい制度です。
 議員心理としては、一人でも多くの有権者から票を得るため、常に世論の動向に神経をピリピリさせ、自分たちのボスに少しでも非があると狂ったように(身内を)批判して有権者の関心を誘おうとするのは、ある意味当然でしょう。
 “和の精神”とか“切磋琢磨”なんて言っていたら、アホ有権者は票を入れてくれません。
 1位になれなくても、2,3位であれば議員になれた中選挙区時代とは大違いなのです。
 おかげで、保守派政治家は左翼マスコミに洗脳されたアホ有権者の票を失うのを恐れ、外交、安全保障などの重要課題を公約に挙げたがらなくなりました。
 あと、政党中心の制度のため、選挙対策委員長が絶大な権力をふるうようになり、党執行部の独裁体制が強化されました。
 それによって、党公認を失うことを恐れるあまり、政治姿勢が全く異なる議員が同じ政党に属する、という奇妙な現象が生まれてしまいました。
 確かに、中選挙区制度は金権政治を招くなど、様々な問題を指摘され、今のような形になりましたが、なまくらは、上記より、むしろ小選挙区制度の方が弊害が大きいと思っています。

 今の制度のままだと、今後、自民党と民主党、2つの政党以外、例えば改革クラブや国民新党などが3ケタの候補者を擁立することはほぼ不可能でしょう。いわば、なんだかよく分からない2大グループがよく分からない政治を行う、ということが今後続くのです。そして、有権者はますます政治から遠ざかる…
 これは、日本の国政の死を意味するのではないでしょうか?

 なんだか、よく分からない方向に話が飛びましたが、要は、17条憲法の精神に立ち返れ、と言いたかったのです。(本当かよ)
  


Posted by なまくら at 02:12Comments(0)