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Posted by みやchan運営事務局 at

2009年12月08日

何も変わらない日本 他

 今日はあまり時間がないので、コメントはまた後日にさせていただきます。

 11月29日付の産経新聞は気になるコラムがいっぱいありました。

【古典個展】立命館大教授・加地伸行 民主政権は小心者の集まり

 政府の行政刷新会議による事業仕分けの様子がテレビに何度か放映された。会議はインターネットに公開されており、会場での傍聴も自由とのこと。となると、いかにも民主主義的に話しあい、公明正大であるかのように見える。

 しかし、その質疑応答の様子をテレビニュースを通じて見ていると、約40年前の全国の大学紛争を思い出すのであった。当時、私は名古屋大学助教授として勤務していた。

 元はと言えば、共産党系の学生集団と反共産党(新左翼)系の学生集団との紛争であり両者は敵対していたが、共通の敵は大学当局(実質は教授会)であった。そこで学生らは大衆団交なるものを設営し、三者が複雑な〈子どもの喧嘩(けんか)〉をし続けて終わる。

 その結果、大学は荒涼とした非学問的な〈専門学校〉と化し、騒いだ学生集団は雲散霧消し、今や大学生は〈小児化〉した。紛争は何も産まず、かつての大学にあった古き良きものまで失ってしまって今日に至っている。

 口を尖(とが)らせての弾劾、相手の人格罵倒(ばとう)、数の圧力-大衆団交によって狂暴化した学生はハンターとして教授会に襲いかかっていた。その学生とは、まさに団塊の世代、すなわち現在60歳前後の人たちだった。

 事業仕分け人たちは、団塊の世代のすこしあと。おそらくは団塊世代の気分。当局の各省庁は教授会か。議論は、善(よ)きことは問わず、悪しきことばかりの審問。まさにこれは大学紛争時における、学生集団と教授会との大衆団交の再現ではないのか。このような〈暴力〉による獲得からは、建設的なものは何も生まれない。生まれるのは荒涼とした風景だけであり、騒いだ連中は消えてゆく。無責任のまま。

 このような〈暴力〉が横行するのは、どこかにそれを促す独裁権力があるからである。民主的な発言からではない。

 その独裁権力とは、小沢一郎幹事長に他ならない。今の民主党ならびに民主党政府は、だれが見ても小沢一郎独裁である。

 独裁者の本質は、小心者であることだ。小心だから他者からの批判は認めない。どころか、その他者を恐れて憎んで排除する。そこで小心者リーダーの下には必然的に臆病(おくびょう)な小心者が集まる。その典型が鳩山由紀夫首相である。

 首相の発言には、まるで自分というものがない。自分で決めることがない、いや、決める能力がない。すべて他人まかせである。整理することさえできない。これほど無能な首相はないのではないか。その極致は、自民党原因論である。国会での所信表明演説のあと、谷垣禎一自民党総裁の質問への答弁で、今日の政治の困難はすべて、従来の自民党政治が原因だとした。

 悲劇的かつ喜劇的答弁であった。旧政権の欠点に対して新政権の自分たちは新しい政策で是正してゆくのだ、それはこうだと具体的に言い切って示してこそ新政権の宰相たりうるのだ。それを他者のせいにして、何の新政策も示しえないのでは、国民はたまったものではない。小心者は無責任な小人である。『論語』衛(えいの)霊公(れいこう)篇に曰(いわ)く、「君子は諸(これ)(責任)を己(おのれ)に求め、小人は諸を人(ひと)に求む」と。(かじ のぶゆき)




二〇三〇年 ヒルズ、老朽化の先は…


【二〇三〇年】第4部 都市はもちますか(1)住まいを守れ

 威圧感のあるずんどう型の超高層ビルが東京の空に君臨する。経済的な「勝ち組」の象徴として「ヒルズ族」という言葉も生まれた六本木ヒルズ。その中核の54階建て「森タワー」に隠れるようにして、4棟の超高級マンション「六本木ヒルズレジデンス」が建っている。住民は約2千人。43階建て「B棟」に住む主婦、大田登美子さん(53)=仮名=もその一人だ。

  「引っ越してきて6年たちますが、いまだにフワフワして地に足がつかない。ジャニーズ系タレントや女優とすれ違うこともしばしば。中1の長男はうれしくてしようがない様子だったけど、23歳の長女は友達から『ヒルズに住んでるんだって』といわれるのがいやでたまらないようです。私も買い物は近くの麻布十番の古い商店街へ行きます」

 ヒルズ族といえばホリエモンに代表されるIT長者や芸能人のイメージだが、実際には大田さんのように平成15(2003)年のヒルズ完成前からこの地に暮らしていた約400人の旧地権者も多い。4棟計793戸のうち約4割が地権者所有分だが、一部は中古市場に流れている。残りの賃貸にいわゆるヒルズ族が住む。

 森ビルによれば、B棟と同じ43階建てのC棟は「収益性を高めるため」(住宅営業部)、内装のグレードを上げている。高級賃貸マンション専門の不動産業者によると、C棟は2LDK(110平方メートル)で家賃104万円、3LDK(184平方メートル)で172万円など。敷金は家賃4カ月分、礼金は不要という。

 ≪7割は都市住民≫

 2030年、つまり20年後の近未来をさまざまな立場の方に問いかける本連載で、六本木ヒルズの住人に話を聞いたのには理由がある。わが国の総人口の3分の2が暮らす都市の20年後の姿を、人間にとって最も基本となる「住まい」のあり方から考えてみたいからである。

 国連の人口推計によると、わが国の都市人口は2005年の65%から2030年には73%まで上昇する。一方、総務省の住宅・土地統計調査によればマンションや団地といった3階建て以上の集合住宅は平成20年に全国で1498万戸に上り、全住宅の3割を超えて増え続けている。

 ヒルズがその一つの頂点であることは間違いないが、入居企業の不祥事や倒産も相次ぎ、一部企業は目と鼻の先へ19年にオープンした「東京ミッドタウン」へ移転するなどブランド力に陰りが出ている。最近話題に上ったのは元俳優、押尾学元被告(31)による麻薬取締法違反事件の舞台としてだった。

 ≪100年住宅めざす≫

 森ビルが音頭を取る「六本木ヒルズ自治会」の会長でB棟高層階に住む原保さん(79)。天保11(1840)年創業の金魚卸商の5代目だったが、再開発を機に店を閉じた。「この6年、いやなこともいろいろあった。逮捕者も出て本当に残念だが、よりよいヒルズであり、よりよいヒルズ族であってもらいたい」

 コミュニティー作りのため、自治会は夏祭りやハロウィーンを主催する。毎月の清掃活動のほか防災訓練では隣人同士で声をかけ合い、一緒に豚汁を食べた。

 原さんに20年後のヒルズの姿を尋ねると、「私はもうこの世にいないだろうが、娘一家も弟夫婦も妹もここに住んでいる。原家が住み続けているのは間違いない」とし、こう語った。

 「ご質問は20年後だが、私どもは『100年住宅』を目標にしている。品格は銀座に、コミュニティーとしては浅草に近づきたい。ロサンゼルスのビバリーヒルズの上を行きたい。20年後はまだ通過点だと思う」

 だが2030年、六本木ヒルズは築27年。マンション建て替えの検討開始期といわれる築30年を目前にし、老朽化が始まる。ホリエモンら賃貸の住人は入れ替わっているかもしれないが、大田さんや原さんの家族はこの地にあって住まいとコミュニティーを守らなければならない。それはわが国の都市住民に共通する課題でもある。

                   ◇

 ■司馬さんのいた“ヒルズ” 高齢者7割、目立つ空室

 作家、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」が産声を上げたのは公団住宅の2DKだった。司馬さん夫妻は結婚した昭和34(1959)年から5年間、大阪市西区にある11階建ての「西長堀アパート」で暮らした。日本住宅公団(現UR都市再生機構)が前年に建設した公団初の都市型高層住宅だった。

 家賃は2DK(46平方メートル)で共益費込み1万6500円と、当時の大卒初任給の1・4倍。女優の森光子さん(89)やプロ野球南海の選手だった野村克也さん(74)らが暮らし、エレベーター2基に専用のタクシーサービスまであった。現在の高級タワーマンションに近い。いわば「50年前の六本木ヒルズ」である。

 司馬さんと同じ産経新聞大阪本社の文化部記者だった妻、福田みどりさん(80)は「私は一戸建てよりも、鍵一つで出入りできる合理的な家に住みたかった。司馬さんは青い木を眺めたりするのが好きだったから、私に合わせてくれたのかもしれません」。

 司馬さんが「梟(ふくろう)の城」で直木賞を受賞した際、電話を受けたのは当時の日本人にはなじみの薄かった「食事の場でもある台所」ダイニングキッチン(DK)だったという。福田さんは「すべてが機能的にできていて、新鮮だった。何かエネルギーに満ちた、新しい時代がやってきたと思いました」と振り返る。

 戦後の住宅難解消のため、30年に住宅公団を設立したのは鳩山由紀夫首相の祖父、鳩山一郎内閣だった。農村から都市へ流入する勤労者の住まいとなり、近代的な生活は「団地族」と呼ばれ庶民のあこがれの的だった。一方でDKの間取りは「食寝分離」や、夫婦と子供の「分離就寝」といった新しい生活スタイルを生み出し、核家族化を推し進めることにもなった。

 ≪2つの「老い」≫

 なにわっ子から「マンモスアパート」の愛称で呼ばれた西長堀アパートは、UR西長堀団地として今も健在だった。外壁に無数の小窓が整然と並ぶモダンなデザインは築51年には見えず、オフィスビルを思わせる。自治組織は「西長堀マンモス会」。シンボルマークは園山俊二さんの漫画「ギャートルズ」から拝借している。現在の家賃は2DK(46平方メートル)で共益費込み7万3090円。

 マンモス会の会長で元会社員、小谷周弘さん(67)によると、老朽化で耐震性に問題があるとして4年前から新規入居が停止され、全263戸のうち76戸が空室。住民は65歳以上が7割を占め単身者が多い。先月も独り暮らしの90代の女性が病院で亡くなり、身寄りがないため区の福祉担当者がトラックで家財道具を引き取っていった。

 小谷さんは「皆さん、死ぬまで住み続けたいと言わはりますが、耐震のことはいかんともし難い。大規模な耐震化工事か、建て替えか、売却か。URの結論を待っている状態です」。

 西長堀ほど築年数を重ねた建物でなくとも、昭和40~50年代に建てられた全国のニュータウンなどでは建物の老朽化と住民の高齢化が同時に進んでいる。農村で65歳以上が5割を超え、冠婚葬祭など共同体の維持が難しくなった限界集落にならい「限界団地」という言葉も生まれた。

 一方で、集合住宅では空室が急増している。総務省の平成20年住宅・土地統計調査によれば、総住宅数5759万戸のうち空き家は755万戸と13%を占め5年前より96万戸増えた。これは一戸建ても含んだ数字だが、同年の国土交通省のマンション総合調査によると、一室でも空室があるマンションの割合は5年前の47%から56%に増加した。

 ≪スラムか廃虚か≫

 群馬県高崎市のJR高崎駅周辺。東京から新幹線で1時間という好立地のため、民間デベロッパーによる分譲マンションが林立したが、ここ数年、供給過剰で空室が急増した。夜になると窓の明かりがまばらなマンションが目立つ。

 その一軒、築30年の8階建てマンションは、24戸のうち入居が6戸。1階の集合ポストは18戸分が粘着テープでふさがれ、荒涼とした雰囲気が漂っていた。管理組合の理事長で元会社員の男性(70)は13年前、2LDKを1千万円弱で購入し、夫婦で暮らす。3年前から理事長を引き受け、「定年後の社会奉仕と思ってやっているが、もう疲れ果てました」。

 入居者が少ないため管理費や修繕積立金が絶対的に不足しており、水道タンクやエレベーターが老朽化しても直せない。2年前に60代の無職男性が孤独死したが、周囲が空室だったため2カ月間気づかれなった。夕方になると高校生の男女が入り込みあいびきを始める。駅に近いため盗難自転車が乗り捨てられる…。

 男性は「こんなマンションでも、私の年齢ではもう新たなローンは組めない。最期までここに住み続けるしかない。ついのすみかとして暮らし続けるほかない」。

 マンション問題に詳しい高崎健康福祉大学の松本恭治教授(66)=都市問題=は「現在はまだ地方圏の現象だが、今後は少子化と人口減少により、大都市圏でもマンションなどの空き家率は確実に上昇する」と指摘し、こう警告する。

 「問題は行政、住民とも無関心なことだ。20年後、建て替えも解体もできず、スラムどころか廃虚として放置されるマンションがあちこちに残る可能性が極めて高い。この国の都市の風景は大きく変わっているかもしれない」



【外信コラム】イタリア便り 娘たちに起きた惨劇

 数カ月前、イタリア北部の小さな町で18歳のモロッコ人の娘が31歳のイタリア人の恋人と一緒に車に乗っているところを、父親に待ち伏せされ、男性の方は軽傷で済んだものの、娘は首と胸を刺されて死亡した。

 娘の父親は、コック助手として働いていたモロッコからの移民労働者で敬虔なイスラム教徒。娘とは宗教が違い、年齢差もある男性との仲を絶対に許すことができなかったのだという。

 こうした事件は何回も起きており、2004年には伊北部パドバ市で、親が定めたイスラム教徒のモロッコ人男性との結婚を拒んだ娘が父親に殺されている。

 また、06年にはイスラム教徒であるにもかかわらずイタリアの生活習慣に染まり過ぎたという理由で、父親と親族に殺害された娘のケースもある。これらの父親たちとしては、イスラム教徒としての名誉を守るには、実の娘を殺しても仕方がなかったというわけだ。

 こうした父親たちは、祖国を離れてイタリアに職を求めて来たのに、自分の宗教と生活習慣は守り続けてきたのだ。その結果、イタリア社会に溶け込めず、絶えず不満をくすぶらせて生活していたことになる。

 イタリア内務省のある高官は、移民先の社会になじめない外国人不満分子が、宗教団体内部で過激思想を吹き込まれてテロリストになっていったりするのが最も懸念され、実際にこうした例が多いとしている。(坂本鉄男)


【昭和正論座】進行する「無為の蓄積」

■京大教授・高坂正堯 昭和51年11月9日掲載

 ≪差し迫った問題が解決し≫

 「万能の幻想」と「無為の蓄積」が、サイクルをなしてくり返すとは、アメリカの国際政治学者スタンリー・ホフマンが、アメリカの外交について述べたことである。アメリカ外交は、その国力に自信を持ち、使命観に駆られてなんでもできると考え、外交を活発化する時期と、こうして手を拡(ひろ)げて失敗し、その結果「孤立主義」的傾向が強まり、外交が消極化するため、問題が解決されずに蓄積して行く時期がある、というのである。

 その内容はやや異なるが、同様のサイクルは、大体すべての国に見られると思われる。少くとも、日本にも同様のサイクルがある。ただ、日本はアメリカと比べてその姿勢が全体として受け身で、種々の理由からその日暮らしになり、その間に問題が蓄積される時期のあと、状況に迫られて懸命に問題解決に努力する時期がくるといえるだろう。現在の日本は、明白に「無為の蓄積」の時期にある。

 おそらく「無為の蓄積」が始まった理由は、差し迫った問題が、一応なくなったことに求められるであろう。中国問題は五年前には解決を要する重要な案件であった。しかし、四年前に、日中国交が回復し、日中関係はかなり調整された。また、三年前には、石油ショックで国際経済と日本経済が混乱を始め、その後、インフレと、つづいて不況にいかに対処するかが緊急の課題となった。しかし、「狂乱物価」は一応抑制され、つづいて不況の方も、なんとか景気が上向くということになった。

 ≪中途半端な対中・対ソ外交≫ 

 それと同時に「無為の蓄積」が始まった。まずそれは外交の面でみられる。過去三年ほどの間、日本の対中・対ソ外交はまことに中途半端な状態で停滞してきた。日中間の国交回復がなされた後、日中平和条約も、日ソ平和条約も結ばれていない。もちろん、それは日中関係、日ソ関係の困難性に起因するところが大きい。中国は日中平和条約のなかに「覇権条項」を入れることを、強く要求しているが、その条項は事実上、日本が中ソ関係において中国寄りになることを意味するし、そうでないにしても、日本が抽象的ではあるが、かなり重要なコミットメントをすることになるが故に、日本としては容易に受け入れ難いものである。ソ連の集団安全保障体制に、日本が積極的な態度を示せば日ソ関係は進展するだろうが、これまた「覇権条項」とほとんど同様の意味で、日本としてコミットすることはできない。

 こうして、日本は日中・日ソ関係を慎重に扱ってきたともいえる。そして、中国も日米安保体制を暗黙のうちに、かつ非公式にはかなり明示的に、認めているのが現状であれば、下手に急がないほうがよい、と論ずることも可能である。しかし、そう困ったものでないにしても、日中・日ソ関係は、客観的には「行き詰まり」の状態にある。それはいわば「等距離行き詰まり」である。そして、日本の政府は、その困難性を認めて、そうした状況を直視するようでもあり、また、問題の解決は可能と考えて、甘い期待を抱いているようでもあって、まことに中途半端なのである。それは、とくに日中平和条約に対する態度に現れているといえる。

 ≪病後に漂流する経済活動≫ 

 その間に、「等距離行き詰まり」の困った面が、徐々に出てきているのではなかろうか。例えば、日本に対するソ連の態度を見ると、ミグ25機事件をきっかけに硬化し、日ソ関係は悪化したが、それはミグ25機事件故にそうなったというより、この数年間の日本の態度にソ連が不満をつのらせてきたことの現れと見る方が正しいように思われる。

 このように、日ソ関係が困難なものになりつつあったとき、中国で毛沢東が死去し、つづいて政変が起こった。その結果、中国の対外政策、とくに対日政策が変わる様子は目下のところないが、しかし、やがて外交政策にも変化が起こり、日中関係が難しくなることもありうる。

 「無為の蓄積」は、国内政策、とくに経済政策に関してより明白である。というのは、いわゆる「全治三年」の病からなんとか回復したあと、今後の日本経済の方向づけがほとんど出されないまま、日本経済は漂流しているからである。著しい不況からは脱出したけれども、その後、経済活動が真実に活発にならないのは、そのためと考えられる。経済の専門家の多くが指摘しているように、企業の収益性は低いままであるし、設備投資も、一九七三年のオイル・ショック以前のレベルに戻ってはいない。ただ、電力と鉄鋼の設備投資だけがかなりの規模のものに戻っただけである。国内の消費は余り伸びず、かえって減退気味なので、昨年来の景気の回復は輸出の伸びによってもたらされたところが多い。しかし、日本が輸入を増やさずに輸出を急増させたことに対して、アメリカやヨーロッパでは批判が強まりつつあるので、輸出に頼ることは、そう続けられそうもない。そこで、早くも来年には景気が逆戻りして、かなり深刻な不況が再来する可能性も小さくない。

 ≪与党は舵とりの責任果せ≫ 

 もちろん、一年に一〇%以上も経済が成長する時代は過ぎた。しかし、急激に低成長に移るならば、失業問題の出現、福祉政策の頓挫に加えて、変化する国際経済情勢への対応力の喪失といったことが起こるであろう。

 しかし、それを現実化するための施策はとられていない。一時的な減税や重点的な分野への資金供与などを説く人々もあるけれども、それはまだ一部の人々の議論にとどまり、政府はその日暮らし的な経済政策に終始している。それでは必要な成長率も達成できない恐れがある。

 こうした「無為の蓄積」は、差し迫った仮題が一応解決されたあと、ロッキード事件で与党の内情が混沌(こんとん)としたものになり、リーダーシップが目立って減少したためのものであろう。従って、与党である自民党は間もなく行われる選挙あたりをきっかけに、日本の舵とりとしての責任を想起し、党内の混沌の克服のために努力しなければ、「無為の蓄積」はまだ二、三年はつづくであろう。現在の形勢では、後者の可能性の方が強そうなのが残念である。(こうさか まさたか)

                   ◇

 【視点】米国外交は「万能の幻想」と「無為の蓄積」が繰り返される傾向があるという。米国は使命感に駆られて軍事介入するが、その手を広げすぎると一転して孤立主義に陥ることになる。多かれ少なかれ、どこの国にもあるが、日本の場合は、どちらかというと無為の蓄積に陥ることが多いのではないか。

 政策判断がその日暮らしになり、その間に問題が蓄積されて、土壇場で難しい判断に追い込まれてしまう。高坂正堯氏は中ソ対立のはざまで、日本が「等距離行き詰まり」になる可能性を指摘する。それを切り開くのは、政治指導者のリーダーシップにあるが、日本政治の病理は少しも変わらない。(湯)

(産経ニュース、iza!より転載)
(つづく)  


Posted by なまくら at 06:18Comments(2)