2013年05月03日

第1章 ポーツマス会議 10.ウィッテの計略

 8月23日、日露両国全権は13回目となる最終会議に臨んだ。

 小村は、樺太を二分し、その代償金として12億円の支払いを要求する覚書をウィッテに渡した。ウィッテはそれに目を通すと

 「12億円はサハリンの北半分を返還する代償、とあるが、それは償金の名目を変えたに過ぎません。我がロシア政府は、一切の金銭支払いに絶対に応じられません。日本は償金の考えから一切脱却して、何らかの妥協案を成立させることが出来る考案をすべきであります」

と答えた。小村は

 「我々が提出した方案は、樺太島譲与と軍費払戻の二大問題の解決に関する一切の難題を排除する為に作成されたものです。一方において我が国がその領有を重要視し、しかも現に占領中である事実に鑑み要求している樺太島問題に関する妥協となり、他方においては貴国が償金名目で支払うことが出来ない、とする軍費問題に関する妥協となります。なおかつ本案の形式は、貴国が頗る強固に維持している異議を排除し、同時に樺太島北部を貴国に還付する一方法であります。そして日本はその還付に関し妥当な金額を要求しています。よって軍費払戻要求の撤回は、覚書にも書いてあるとおり、本妥協案の受諾を条件としなければ行われないものであることを省慮して下さい」

と述べ、

 「要するに我が方においてはこれ以外に妙案が無いのであって、もし貴国に案があれば喜んで考量を加えたいと考えます」

と続けた。

 「本国政府の承認を経た考案は何ら持ってはいませんが、わたし個人があくまで参考として問いたい点があります」

 ウィッテはそう言い、小村を見据えた。

 「もしサハリン全島を日本に譲った場合、貴国は金銭の支払い要求を撤回する意思はありませんか」

 これはウィッテの策だった。

 彼は、日本は軍費支払い要求を絶対に放棄しないだろう、と確信していた。ならば、日本側から償金放棄を拒否するという言葉を引き出そうと考えたのである。彼の提案を本国政府が了承する見込みは無かった。だが、ロシアが最後の妥協を試みたことは事実として残り、日本が金銭の為に戦争をしたのだ、と全世界に宣伝出来る。

 つまり、講和破綻の全責任を日本に押し付け、世界中の世論をロシア寄りにさせる為の一大演技だったのだ。

 (そう来たか)

 小村は眼前の大男の提案に、内心小躍りした。

 もとより償金放棄は東京からの指示である。しかも、同時に放棄を指示された樺太島については全島の領有まで視野に入ってきたのであるから、何ら異存は無かった。

 だが、彼はまだ首を縦に振る気は無かった。ウィッテの示した案は彼個人の提案であり、ロシア政府からは何の許可も得ていないものである。易々とそれに乗っかり、梯子を外される愚は避けたかった。それに、本国から支持された再交渉については、まだ何も提示していない。

 小村は暫く考え込んだ後、答えた。
  


Posted by なまくら at 09:25Comments(0)創作