2014年12月31日

第1章の結びに代えて

 ふう。何とか予告どおり、年内にポーツマス編を仕上げることが出来ました。

 書き始めから丸2年。たった1ヵ月の出来事を書くのに、こんなにかかるとは思ってもみませんでした。

 しかし参考文献を調べる内に、外交の奥深さを知ることが出来たのは成果でした。彼らの持つ知識や外交センス、胆力や駆け引き上手には本当に驚かされました。今も、世界中でこんな外交が展開されているのでしょうか?

 なお、参考文献は(記憶にあるのだけですが)以下の書籍、HPになります。実際には今後の話の展開で参考としたものも含んでいますが、ご了承下さい。

吉村昭「ポーツマスの旗」(新潮社)
黒木勇吉「小村寿太郎」(講談社)
外務省 編「小村外交史」(原書房)
前坂俊之「明治37年のインテリジェンス外交-戦争をいかに終わらせるか」(祥伝社新書)
小林道彦「桂太郎-予が生命は政治である」(ミネルヴァ書房)
板谷敏彦「日露戦争、資金調達の戦い-高橋是清と欧米バンカーたち」(新潮選書)
若狭和朋「日露戦争と世界史に登場した日本」(WAC)
清水美和「『驕る日本』と闘った男-日露講話条約の舞台裏と朝河貫一」(講談社)
ドミニク・リーベン(小泉摩耶 訳)「ニコライⅡ世-帝政ロシア崩壊の真実」(日本経済新聞社)
伊藤之雄「山県有朋-愚直な権力者の生涯」(文春新書)
井上寿一「山県有朋と明治国家」(NHKブックス)
松元崇「山縣有朋の挫折-誰がための地方自治改革」(日本経済新聞出版社)
伊藤之雄「伊藤博文-近代日本を創った男」(講談社)
小林道彦「日本の大陸政策 1895-1914」(南窓社)
石井寛治・原朗・武田晴人 編「日本経済史2 産業革命期」(東京大学出版会)
ワシーリー・モロジャコフ(木村汎 訳)「後藤新平と日露関係史」(藤原書店)
天野博之「満鉄を知るための12章」(吉川弘文館)
読売新聞取材班「検証 日露戦争」(中公文庫)
ピーター・E.ランドル「ポーツマス会議の人々-小さな町から見た講和会議」(原書房)
長瀬隆「日露領土紛争の根源」(草思社)
小林道彦「児玉源太郎-そこから旅順港は見えるか」(ミネルヴァ書房)
千葉功「桂太郎」(中公新書)
伊藤之雄「元老西園寺公望-古希からの挑戦」(文春新書)

ロシアのHP ロマノフ王朝(14)~~ 1905年革命鎮圧とストルイピンの改革 ~~
http://www11.atpages.jp/te04811jp/page1-1-4-13.htm
サハリンの陸上油田開発から陸棚開発プロジェクトに至る歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt/75/4/75_4_296/_pdf
もう一人のポーツマス講和全権委員─高平小五郎・駐米公使─
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/06_1_2.pdf
日露戦争史
http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/seiji08_detail.html
近代日本の七つの戦争「第3章 日露戦争」
http://www.inahodou.co.jp/index.Q.html




 ところで、講和談判を一度決裂させたことには、意見をお持ちの方もいるでしょう。
 日露戦争関連本の多くが、「クロパトキン軍は散々なやられ方をしたが、欧州方面の精鋭部隊であるリネウィッチ軍は戦意も高く、もし再戦となれば、やられるのは日本軍の方だっただろう」というような書き方をしています。
 しかし、本当にそうだったでしょうか。

 前掲・前坂俊之氏の「明治37年のインテリジェンス外交-戦争をいかに終わらせるか」に、ウィッテの回想録が載っていたのですが、そこにはこうありました。

 前にも言ったとおり、私は、全権の任命を受けて以来、満洲軍総司令官リネヴィッチから、直接にも、間接にも一度も報告を受けたことがない。満洲のわが軍は、奉天合戦から半年を経過しているが何事もない。(中略)彼はその兵力をもって何らか私の外交に協力したことがあるだろうか。「微塵もない」と答えるほかはない。
(中略)それから日本軍は、ハルビンとウラジオストック間の一地点に現れ、わが軍と遭遇したが、わが軍は戦わずして退却した。
その後、講和条約が調印されたが、総司令官は軍隊に革命気分が蔓延するのを防止できなかった。軍隊の崩壊を企てた革命党員の跳梁にまかせて威厳を失墜させ、全く軍隊の秩序を保ち得なかった。
そこでグロデコフ将軍が派遣され、リネヴィッチは召還された。召還された老獪な彼は会う人ごとに、「なんといっても第一の失策はウィッテが講和条約を結んだことだ。これさえなければ、私は日本人に思い知らせてやったのに!」と言っているそうである。
数日前、私は参謀総長バリツィンに会ったので、話のついでに聞いてみた。
「リネヴィッチは講和に反対のようなことを陛下に言明したことがあるのですか?また彼は講和問題が起こってから何事もせずに空しく日々を送っていたのですか?」
「そりゃあ、よくわかっているではありませんか。もう戦はないと決まった以上、講和さえなければ、きっと日本に勝っていたのに、と言う方が、彼にとって都合がいいのは当たり前です。しかしクロパトキンはもっと上手です。彼の言うことを聞いていると、彼以外の者はすべて失策したことになるのです。
リネヴィッチは講和談判の開始に際しても、また談判の進行中でも、一度も意見を言明したことはありません。ただ一度、いよいよ進撃の方略を定めたから陛下の裁可を仰ぎたいと言ってきたので、それは総司令官の決心どおりにすべきだ、と言ってやりました。彼はそれっきり沈黙して講和の決定するまで大人しく待っていたのです」
バリツィンは笑ってこう答えた。リネヴィッチとは、こういう「立派な」総司令官だったのである。


 ウィッテも、他のロシア閣僚・軍司令官などと同じくわが身が大事な人物であり、自身が結んだ講和条約によって祖国が汚名挽回するチャンスを逃したなどとは考えたくないでしょうから、上記は幾分真実から差し引くべきでしょう。
 しかし、リネウィッチがこの回想録のように「大人しく」講和条約締結まで待っていたのは事実です。
 もし、彼に多少の損害を出そうともロシアの威厳を守る気概があったのならば、日露戦争の行方は全く異なったものとなっていた筈です。だが、現実には、そうならなかった。
 ということは、ウィッテの回想録に出てくる上記の発言は、当たらずといえども遠からずといったところだったのではないでしょうか。
 そのような分析を行い、自分は「仮に談判破裂していても、すぐには再戦には至らなかった」と結論付けました。まあ、これだけでは心細いので、10月ゼネストも「少し前倒し」で起こしてみたりもしましたが。

 さて、次回からは新章に入ります。日露講和が成立し、日本はいよいよ大陸に進出していきます。
 中学の歴史教科書あたりは、日比谷焼打ち、日韓併合、そしていきなり第一次世界大戦に突入、となりますが、実際は色んな出来事が起きており、一つ一つが後の満洲事変や日米戦争に繋がる重大事件だったことが、調べていく内に明らかになりました。
 こちらも資料は膨大で、すべてが複雑に絡み合っていますが、少しずつ紐解いて、改変していきたいと思います。



 本年も、残すところあと数時間となりました。
 皆様にとって、来年が良い年となりますように。  


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2014年12月31日

第1章 ポーツマス会議 18.最終会議

 翌6日、両国は最終会議に臨んだ。

 数日前からポーツマスでは雨が降り続いていのだが、今日は久しぶりに雨がやんでいた。まるで、会議の行く末を暗示するかのように。
 
 日本全権は早めに朝食を済ませ、工廠でウィッテ達を待つことにした。

 開始予定時刻は午前10時だったが、9時50分になってもロシア全権は姿を現さなかった。

 小村の脳裏に、嫌な予感が浮かんだ。

 9時58分、硬い表情をしたウィッテ達が、ようやく入室してきた。

 内心ホッとした小村だったが、感情を表に出さぬよう努めながら、軽く会釈した。

 10時00分、ロシア全権が着席して会議が始まったが、先に口を開いたのは小村だった。

 「まずは、昨日の討議に関する貴国の回答を示していただきたい」

 ウィッテは覚書を小村に手渡すと、静かに言った。

 「皇帝陛下は、貴国の要求を全面的に認めた」

 覚書には、ハルビン以南の東清鉄道支線とその付属地を日本に譲渡すること、東清鉄道本線をフランスが参加する国際シンジケートに委ね、ロシアは鉄道管理権を放棄すること、サハリン島を全島日本に割譲すること、如何なる理屈でも金銭の支払いは行わないこと、が列挙されていた。

 「では、我が国の最終的な回答を提示します」

 小村は、無表情でウィッテに覚書を手渡した。

 そこには、償金要求を撤回することの他、樺太、鉄道に関する事項がロシア側の回答に近い形で明記されていた。

 ウィッテは一読すると、
 
「我が国が提示した回答は、貴国の覚書とほぼ同じ内容になります。よって、我が国はこれを受諾するしかありません」

と言って立ち上がり、小村と握手を交わした。そして、随員の控室に入り、静かに口を開いた。

 「諸君、平和が決まったぞ。帰国の準備をしたまえ」

 その言葉には、大仕事を成し遂げた高揚感も、安堵もなかった。交渉の長期化がロシア全土の革命という最悪の事態を招き、日本側の要求を押し切る下地を失ったことに対する自己嫌悪の情が先立っていた。

 (屈辱的な外交を強いられる結果とはなったが、落ち込んでいる場合ではない)

 彼は軽く首を振ると、すぐに気を取り直して言った。

 「休んでいる暇は無いぞ。次は宮廷に巣食う守旧派との戦いが始まるんだからな」




 日露両全権は短い休憩を挟んだ後、両軍の満洲からの撤兵方法や東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議を行った。

 撤兵方法に関しては、撤兵期限や鉄道守備兵力の扱いについて議論した。

 日本側は条約批准後10ヵ月以内の撤兵完了を提案したのに対し、ロシア側は在満の日露両軍司令官の協定に任せれば良い、との考えを示した。

 また、鉄道守備兵を1kmあたり5人以内に限定するとの日本側提案に対しても、ウィッテは

「両国共、事情は異なる訳ですから、具体的な兵数を定めるのは難しいと思います。満洲の現状に鑑み、それぞれが適当と思われる兵力に制限すれば良いのではないでしょうか」

と反対した。

 このようなロシア側の不明瞭な態度に、小村は不信感を抱いたが、結局、撤兵期限18ヵ月、鉄道守備兵1kmあたり15人以内とし、細目は現地軍司令官同士の協定に依ることで妥協が成立した。

 続いて、東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議に移った。

 「まずは、この講和会議を斡旋したアメリカに花を持たせるべきだと思います。また、アメリカの鉄道技術は本家イギリスを追い越す勢いであり、資本力も十分であります。アメリカを筆頭株主とすることを提案します」

 小村が提案すると、ウィッテは

「同意します。ただ、フランスには、アメリカに匹敵する資本参加を求めたい。洋の東西を結ぶ大動脈が出来れば、西側の終点がパリになるのは必然です。また、世界一周輸送路が出来るとするならば、欧州からアメリカに渡る起点もやはりフランスになるでしょう。よって、アメリカとフランスは同列に近い出資とすることを希望します」

と言った。

 ウィッテの提案がロシアの債権国フランスに対する配慮であることは明らかだったが、小村はそこには触れずに頷いた。

 「了解しました。但し、その場合はイギリスも資本参加させるべきでしょう。昨年、協商が成立したとは言っても、長年対立してきた英仏どちらか一方を参加させてもう一方を排除するのは、両国の対立を再燃させるようで好ましくありません」

 勿論、これは同盟国イギリスに対する日本の配慮であった。

 「また、清国領内を通る鉄道であることから、清国も入れざるを得ないでしょう」

 審議の結果、シンジケートの予定比率をアメリカ40、フランス35、イギリス20、清国5の割合とし、日露は資本参加しないことで決定した。その他、樺太に軍事基地を設けないこと、間宮海峡と宗谷海峡における両国船舶の自由航行を承認し合った。

 午後5時に全討議が終了し、後は条文の作成を残すのみとなり、最終的な講和締結は1週間後の9月13日に行われることとなった。

 両国全権はホテルに到着すると、講和成立を知った記者や避暑客達の拍手によって迎えられた。

 小村もウィッテも笑顔で彼らと握手しながらホテルに入った。

 たった数週間で小村がアメリカ世論の操縦方法を体得した事に、高平は内心呆気にとられていた。記者達が会議前半に抱いていた日本全権に対する不満や不信感は、今や完全に払拭されていた。

 両国全権は本国へ至急電を打ち、それからバーに入ってシャンパンを開け、日露両国とアメリカの繁栄を祈って祝杯をあげ合った。

 夜も更け、ようやく散会して部屋に戻る途中、高平は小村が呟いた言葉に、思わず吹き出しそうになった。

 「今日だけは我慢して付き合ったが、帰国したら二度とこんな真似はせんぞ」




 こうして、動員兵力100万人以上、戦死傷者50万人以上、戦費15億円以上という代償を支払った一大戦争は終結したのである。
  


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2014年12月30日

第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落

 「侵略とは、大国が小国を脅かす行為を言うのでしょう。清は先の戦争で我が国に負けたとは言え、今でもアジア一の大国であります。大国・清を小国・日本が侵略するなど、あべこべも良いところではないですか。御心配には及びません」

 それに、と続けた。

 「満洲の門戸開放はアメリカ合衆国やイギリスが望むものです。仮に、それに反するような講和を結べば、欧米列強の反発は必至でしょう。ところが、南部支線の我が国への譲渡という条項に対し、今のところ列国からの抗議は一切ありません。つまり、国際社会は日本による満洲の排他的領有はあり得ない、と信じているからこそ、南部支線の譲渡を容認しているのです」

 小村はウィッテの渋面を見据えた。

 「また、東清鉄道本線が国際管理に委ねられるということは、貴国にとっても悪い話ではない筈です。鉄道技術や資本力に優れた列国が資本参加するならば、線路改良が進み、輸送力は飛躍的に強化されるでしょう。東アジアと欧州を結ぶ主交通路はスエズ運河経由から東清・シベリア両鉄道経由に移行し、輸送量は今の数倍になる筈です。鉄道収入の増加により、貴国は外債償還が容易になり、我が国も南部支線を経営することで利益を得られます。日露両国が恩恵を受けるのですから、反対する理由などありますまい」

 「では、既に決着の着いた長春-大連間だけで十分ではないですか」

 「主要都市や港湾を結ぶ鉄道という性質上、日本経営線の起点は長春ではなくハルビンの方が妥当であります」

 「長春-ハルビン間は未だ我がロシアの支配下にあります」

 なおも食い下がるウィッテに、小村は冷ややかな視線を向けた。

 「戦端が開かれれば、我が方の支配下に置かれるのは時間の問題でしょう。何故、リネウィッチ大将は動かないのですか?」

 ウィッテは顔を顰めた。

ゼネストの噂は日本軍と対峙するリネウィッチ軍兵士の間にも広まり、士気は極度に低下していた。上官命令への不服従や吊し上げが少なくない部隊で行われ、遂には脱走兵すら出てくる始末となっていた。

 加えて債権国フランスからは、講和に応じない場合の債務即時返還を要求されており、担保としてのシベリア鉄道接収やイギリスとの共同出兵まで示唆されていた。露骨な終戦圧力が宮廷にもたらされていたのである。

 「戦端が開かれれば、たった1本の線路を巡って再び双方に夥しい犠牲が生じるでしょう。しかも、戦闘経験豊富で士気も高い我が軍が有利なのは各国が認めるところです。力尽くでハルビンまでの線路を奪うのは容易です。しかし今、我々の外交努力だけでこの問題が解決すれば、日露双方、合わせて数十万の将兵の命が助かります。どうか、熟慮されて下さい」

 ウィッテは小村から視線を逸らした。

 「我が国は抑留艦艇の引き渡しや海軍力制限だけでなく、償金支払まで取り下げました。圧倒的優位の状況にも関わらず、決裂前と同じ条件の提示に終始し、ひたすら和平への道を模索しているのです。真に平和を愛する貴殿であれば、我が方の善意を汲み取っていただけると存ずるが、いかがか」

 暫く無言で机を眺めていたウィッテが、ついに口を開いた。

 「一日も早い和平を望むのは、我々も同じです。・・・・・・本国に最終確認をしたいので、もう1日だけ時間をいただけませんか」

 こうして、この日の会議は終了した。
  


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2014年12月29日

第1章 ポーツマス会議 16.会議再開

 9月5日。霧雨が降る中、日露両国の全権は再びポーツマスに戻ってきた。

 小村の目には、僅かな期間でウィッテが随分窶れたように見えた。

 多分、自分の姿も同じように見えているだろう、と彼は思った。ロシア国内の攪乱工作や各国の調停努力によって、戦端は開かれないだろうと予想はしていたが、人生最大の賭けの結果が出るまで、彼は生きた心地がしなかったのだ。

 そして、彼は賭けに勝ったのである。




 討議はまず、樺太問題からだった。

 ウィッテが先に切りだした。

 「先日わたしが提案したとおり、日本が償金要求を撤回するのであれば、サハリンは北部も含めて全島割譲する用意があります」

 「それは本国の裁可を得たものですか」

 「そうです」

 ウィッテの口調は淡々としていた。

 懸案の1つだった樺太割譲要求は、あっさり受け入れられたのである。小村は、ロシアが真に呑めない条件が償金だけであることを確信した。

 「ならば、樺太割譲と償金の条項についてはお互い相違が無くなった為、決着することになります。それでは、東清鉄道の放棄に関してはどうでしょうか」

 「東清鉄道本線、即ち満洲里-綏芬河間を国際管理するという提案ですが、当該線路は我が国にとって死活的に重要な路線であるので、受け入れることは出来ません。但し、ハルビン以南の支線の国際管理であれば、受け入れ可能です。日本に譲渡することで妥結済みの長春-大連間はそのままに、残りのハルビン-長春間を国際管理としてはどうでしょう。日露間に中立地帯を設けることで、両国が再度衝突する危険も無くなります」

 小村はすかさず切り返した。

 「それならば、やはり本線を国際管理とし、支線全てを日本に譲渡すべきであります。その理由は、第一にロシアにとって死活的に重要な線路が清国領内を通過し、しかもロシアの実質的な管理下に置かれている状況は、どう考えても不自然であるからです。第二に、真に日露再戦を予防するならば、ロシア軍の輸送に制限を加える必要がありますが、一番その効果を発揮するのが、本線を国際管理に委ねることだからです。第三に、当初の我が国の要求は南部支線全線の譲渡でありました。償金要求を放棄した今、ハルビンまでの鉄路を手に入れることは経済上、重要なことなのです。また、本線が国際管理になれば、日本がハルビンまでの鉄路を入手しても、貴国に対する驚異にはならない筈です」

 「しかし南部支線は現在、日本軍の輸送に使われています。いざとなれば、日本軍は“中立地帯”を突破して我が国領内に雪崩れ込むのではないですか」

 「現在はまだ戦争中でありますので、軍の輸送は当然でしょう。ロシアが行ったように、我々も占領地の鉄道を軍事輸送に使用しているまでです。だが戦争が終結すれば、南部支線は両国の交易の為に使用される筈です。それは両国にとって利益になるのではないですか?」

 「南部支線が国際管理でも両国に利益を生む筈です。貴国が支線の取得に拘るのは、満洲に侵略の野心を抱いているからではありませんか」

 小村は大笑いした。

  


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2014年12月28日

第1章 ポーツマス会議 15.ゼネスト

 そもそもロシアでは、開戦の前から革命が起こり得る土壌があった。

 農民の多くは零細で困窮していたし、労働者は低賃金で働かされており、経営者に怒りを覚えていた。

 国民の3分の1を占める非ロシア系民族の間では、ロシア語強制やロシア正教布教などの同化政策が、彼らの民族感情を逆撫でしていた。

 こうして、不平不満はロシアの下層社会や地理的縁辺部において醸成され、政治問題と化していた。

 しかし、ニコライⅡ世は専制君主であることを神から与えられた使命と捉え、国民に政治的自由を与えることや代議政治を行うことを拒否した為、それが社会と権力との対立点となった。

 この状況は、戦争によって先鋭化した。

 農民や労働者はもとより、企業家、知識階級といった広範な社会層が、専制体制の廃止、議会政治の確立、民主的権利や自由の付与、民族問題の解決、地主所有制度の撤廃を求めて、積極的に革命に参加した。



 最初の大規模な衝突は、1905年1月9日(旧暦=ユリウス暦。新暦=グレゴリオ暦の1月22日。以下同じ)に発生した血の日曜日事件であった。この事件は、未だ皇帝に尊崇の念を抱いていた一部の素朴な国民に衝撃を与えた。

 同年6月14日(6月27日)には戦艦ポチョムキンにおいて水兵の反乱が起きた。軍隊内で起きた革命運動に、政権は震え上がった。

 そして8月13日(8月26日)、ポーツマス会議決裂を知ったモスクワと首都ペテルブルクの印刷工の間にストライキが発生し、モスクワでは警官隊との衝突が起きた。

 8月15日(8月28日)にはモスクワ市内や近郊の鉄道にも飛び火し、翌日には革命政党の影響を強く受ける全露鉄道同盟によるストライキになった。

 戦争継続の生命線であるシベリア鉄道も動かなくなり、総攻撃準備を行っていたリネウィッチ軍に衝撃が走った。

 ストライキは燎原の火の如く全業種に伝わり、電信・電話、郵便、ガス灯などが停止するゼネストに発展した。

 後の世に言う、8月ゼネストの発生である。

 120の都市で200万人の労働者がストライキに参加した。50以上の都市や労働者居住地区で労働者評議会「ソヴィエト」が設立され、革命闘争を指揮するとともに実質的な行政機関として機能した。印刷工のストライキから1週間後、ソヴィエトはペテルブルクにも現れた。

 初等、中等学校、大学の授業は中止され、銀行や商店は閉店した。

 多くの著名な画家、詩人、作家は、専制を批判する作品を創ることで革命に参加した。

 ゼネスト中、「皇帝政府打倒!」「戦争反対!」「民主共和国万歳!」のスローガンが叫ばれた。

 首都の治安は極度に悪化し、港には皇帝がデンマークに亡命する為の駆逐艦が秘かに用意される事態になった。

 一方、戦費調達に関しても、何より、フランスからの外貨導入が困難になり始めていた。

 最早、戦争継続など不可能であった。



 9月3日。未だニューヨークに留まっていたウィッテら元ロシア全権の下に、本国から電文が届いた。

 「速やかに日本との交渉を再開し、講和を成立させて帰国すべし」

 そして、電文には続きがあった。

 「償金には1カペイカたりとも応じないが、サハリン割譲には応じる準備がある。鉄道に関してはなるべく我が国に有利な条件で妥結せよ。兎に角、一刻も早く講和をまとめて帰国し、国内の治安回復に力を貸してほしい」

 皇帝自ら、講和締結を認め、ウィッテに助けを求めた内容であった。実はウィッテ起用を進言したのは皇太后マリアであったのだが、勿論ウィッテ達は知る由も無かった。

 交渉決裂以来1週間、ウィッテは押しつぶされそうな不安感の中で日々を過ごしていたが、それが一気に消え去ったのを感じた。すぐさまローゼンがルーズベルト大統領と会談し、交渉再開を告げた。

 「皇帝陛下は未だ戦端が開かれていない今が、和平への最後の機会だと申しております。日本に平和への意志があるのであれば、再度ポーツマスに戻って会議を再開したいと考えております」

 この内容はルーズベルトから金子を通じ、小村の下に伝えられた。

 「これで随分、楽に交渉できるぞ」

 金子からの電文を受け取った小村は高平にそう言うと、窓際に立って外を眺めた。

 窓の外では、ニューヨーク市民が忙しそうに歩き回っていた。

  


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2014年12月26日

第1章 ポーツマス会議 14.戦闘再開か?

 翌日の米紙上には、「講和会議決裂」の見出しが躍っていた。

 どの新聞も、戦闘再開となった場合の日露双方の出方や被害等の予測記事を掲載している他、会議決裂について、頑ななロシアを責める新聞があれば、ロシアを挑発し、尊厳を傷つけた日本を責める新聞もあった。また、自国での講和会議を斡旋しておきながら何の調停努力もしなかったルーズベルト大統領に対する批判記事も散見された。

 このような最新のアメリカ世論は駐米公使を通じ、日本にいる桂の下にも届けられた。

 「見て下さい。どの新聞も『日本は少なくとも沿海州全部を占領するだろう』と書いてあるらしいですぞ」

 桂は閣僚達にそう言って高平からの電文を渡した。

 「勝手なことばかり書きよって…新聞の商業主義は万国共通ですな。煽るだけ煽って、責任は取らなくて良いのだから、気楽な商売です」

 寺内陸相は苦笑しながら答えたが、すぐに表情は強張った。

 「しかし、拙いことになりました。ロシア軍の精鋭部隊に対し、我が方は兵員も弾薬も補充が追い付いていません。これではハルビン占領どころか、既占領地の防衛すらままなりませんぞ」

 山縣も苛立ちの表情を見せた。

 「小村君は一体どういうつもりだ?ウィッテが償金放棄と引き替えに樺太全島割譲を提案してきた時点で交渉をまとめておけば、こんなことにはならなかった。欲を出して東清鉄道の全線放棄など迫るものだから、かえってロシアの反発を招いたではないか。こうなったら、交渉を決裂させた小村君には即刻辞表を出させ、高平君を立てて会議再開を請うしかないのではないか」

 「そんな事をしたら、益々ロシアが増長するに決まっているじゃないですか」

 「では、この難局をどうやって乗り切れと言うのだ!いくら海軍が制海権を確保しても、我が方には輸送出来る弾薬も兵員も無いのだぞ!」

 山縣は山本海相を一喝し、返す刀で桂にも食ってかかった。

 「大体、ハルビンまでの南部支線取得を再交渉せよ、と命じたのは桂君ではないか!まさか、小村君には本線の放棄要求まで指示していたのか!?」

 「いえ、そこまでは」

 桂は首を横に振り、続けた。

 「本線放棄の要求は小村君の独断ですが、なかなか巧妙な提案だったのではないでしょうか。巧くいけば、向こう30年間はロシアの南下を恐れずに済みます。まあ、会議が決裂してしまっては元も子もありませんが、きっと小村君は打開策を考えている筈です。あっさり交渉決裂に至らせたことが、何よりの証拠です」

 「随分と小村君を買い被っているようだが、確証はあるのかね?ルーズベルト大統領の調停を考えているとするならば、とんだ期待外れになるぞ。ロシア皇帝は既に誰の意見も聞く耳持たなくなっているようだからな」

 睨め付ける山縣に、桂は涼しい顔で答えた。

 「しかし、兵站と軍資金の補充が出来なくなれば、流石のニコライも調停に応じる他ないでしょう」

 「何か、策があるのか?」

 訝りながら訪ねる伊藤に、桂は不適な笑顔を見せた。

 「見ていて下さい。数日後には、ロシア側から会議再開を請うてくる筈です」
  


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2014年12月23日

平成26年下半期の総括

暫く更新を放ったらかしにしていたら、また世の中が変わりましたね(汗

衆院選、知事選と、立て続けに選挙がありました。
知事は河野さんが再選されるのは分かり切っていたのですが、衆院選は残念な結果になってしまいました。
次世代の党が壊滅的な打撃を被り、民主、共産が議席を増やしてしまったことです。

共産党の議席が増えるということは、有権者の多くが安倍・竹中内閣の新自由主義路線に「NO」と言っているということではないかと思います。自民党は、このことを真摯に受け止めてほしいと思います。
また、与党が2/3の議席を確保しましたが、護憲派の公明=創価学会党を入れて、の話なので、次世代が壊滅的打撃を受けた今、改憲発議はかえって難しくなったのではないでしょうか。中・韓に対する外交の腰砕けも気になるところです。

さて、次世代の党、解党の話まで飛び出していますが、ここは踏ん張ってほしいと思います。
元々、小さな政党でしたし、結党から日がなく、認知度も低いままだったのが、今回の敗因だと思います。自民党の新自由主義路線をきちんと批判できなかった為、他の野党の中で埋没してしまったのではないでしょうか。
党首の平沼さんや、今回残念ながら落選してしまった田母神さんは保守でありながら、新自由主義には批判的でデフレ脱却への道を正しく理解している人たちです。(というか、本当の保守であれば、新自由主義やグローバリズムには批判的である筈なのですが・・・)
今回の選挙を機に、アントニオ猪木など、「なんでこの人が?」と思うような人物がいなくなったことを奇貨として、党の綱領を見直し、より「平沼色」を強めてはどうでしょうか?
今までは石原さんの顔色を見て、行政改革など緊縮財政的政策も盛り込んでいましたが、平沼さんが思うように党を再編し、「この指とまれ」的に人を集めなおせば、いずれ党勢回復の機会があったとき、真の意味で自民党の右に立つ柱になり得るでしょう。
それまでは我慢の時です。郵政解散以来、10年近く野党暮らしをして信念を曲げない人です。たった1回の敗北にめげずに、頑張ってほしいと思います。



話は変わりますが、ガソリンが安くなってきましたね。
ウクライナでの新冷戦勃発を機に、アメリカ・サウジ連合が原油安を仕掛けている(減産の拒否)からだそうですが、ガソリンだけではなく、原発が再稼働していない今、天然ガスの価格低下を通じて貿易赤字の縮小に役だってほしいです。(日本が輸入する天然ガスの価格は原油価格に連動している)
ところで、川内原発、いつ再稼働するのでしょう?さっさと国主導で再稼働してもらいたいものです。


またまた話は変わりますが、いよいよリニア新幹線が着工しました。
構想以来40年以上が経過しましたが、ようやく日の目を見ることになった中央新幹線。完成すれば、国土開発のみならず、世界中に再び衝撃を与えることになるでしょう。
そして忘れてはならないのが、中央新幹線への乗客のシフトによって生まれた東海道新幹線の余裕を使って、大規模修繕工事が実施できる、ということです。
東海道新幹線は、開業から50年が過ぎ、施設の老朽化が顕在化していますが、超過密ダイヤのおかげでなかなか橋梁架け替えなどの大規模修繕工事が難しい状況にあります。
中央新幹線開業後、減便が実施できれば、ダイヤを規制しつつ、工事を行うことができます。
また、生まれた余裕を利用して、貨物新幹線を走らせることも出来るかもしれません。そうなれば、東海道の物流コストは大幅に低減できるでしょう。すなわち、生産性の向上です。
問題は、既存新幹線に比べて高い輸送コストとトンネル掘削に伴う地下水変動などの環境問題、そして安全性です。
輸送コストの大部分は超電導状態を保つ為にコイルを冷却する電気代でしょうが、高温超電導物質の開発に期待したいところです。
また、環境問題も、試行錯誤しながらクリアしていかなければならない問題でしょうが、解決は可能でしょう。
問題は、安全性です。
超電導の磁場が人体に与える影響は、これまでの試験でクリアできたでしょうが、問題は、中央新幹線が日本有数の断層地帯を通過するということです。
時速500kmで走行中に断層帯を震源とする地震が起き、軌道がずれるようなことがあったら、大事故はまぬがれないでしょう。トンネルだと、崩壊まで至らなくても、覆工コンクリートの剥離くらいはあるでしょうから、これが走行中のリニアに当たれば、やはり大事故は避けられません。
未知の新技術であるリニアには、隠れたリスクが潜んでいないとも限りません。いたずらに開業を先延ばしするべきではありませんが、様々な角度からリスクを洗い出し、対策を講じてもらいたいものです。
いずれにせよ、開業の暁には鉄道業界のみならず、土木建築業界にも金字塔を打ち立てるでしょう。
無事開業することを祈ります。

更新をさぼっていた間に思っていたことを一度に吐き出して(まだ吐き出しきっていませんが)しまいましたので、なんだかまとまりのない文章になりましたが、これで終わります。

次回からは、これまたさぼっていた小説書きに戻ります。年内にはきりのいいところまで書き終えたいです。
それではまた。  


Posted by なまくら at 08:26Comments(0)