2009年12月16日

第2次日米戦争

 先日12月8日は、大東亜戦争開戦68周年でした。
 それに寄せて、この日の「正論」に学習院大学の井上寿一教授が寄稿していた論文が興味深かったので、一部転載させていただきます。



【正論】「12月8日」に寄せて 学習院大学教授・井上寿一

 ■国策遂行に必要な「戦略構想」

 1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃から、すでに70年近くの時間が経過している。それにもかかわらず、日米開戦をめぐる歴史論争は、合意を形成することなく、続いている。陰謀史観が横行し、対米開戦通告遅延の責任問題もかまびすしい。戦争の名称すら、「太平洋戦争」、「大東亜戦争」など諸説あって定まっていない。この戦争に対する評価は対立したままである。ここでは主要な論点を3つに整理しながら、「対米開戦とは何だったのか」、再考を試みることにする。

 第1は「持てる国」(アメリカ)対「持たざる国」(日本)の対立図式である。この図式に従うと、「持たざる国」からの戦争は、やむを得ない「自衛戦争」ということになる。しかし植民地のフィリピンの独立を約束していたアメリカは、アジアにおいてほかに帝国主義的な権益がなく、「持てる国」ではなかった。「持てる国」とは、東南アジアに植民地のあったイギリスやオランダなどの国のことである。これらの国との帝国主義的な対立がエスカレートして、戦争に至ったかもしれない。しかし日米間には戦争を必然化する争点はなかった。

 ≪日本の自主的な決定≫

 第2はイデオロギー対立である。日米戦争は「ファシズム」対「民主主義」、あるいは「全体主義」対「自由主義」を争点とする戦争だったのか。この対立図式も日米開戦の原因を説明するには不十分である。アジアにおいて具体的な権益を持たないアメリカが、イデオロギーのために対日戦に踏み切って、国民を犠牲にすることはできなかった。国内は孤立主義のムードが色濃かった。対独戦準備を優先させるアメリカは、その軍事戦略上も二正面戦争を避ける必要があった。他方でアメリカ経済に依存しながら、対中戦争を継続している日本も、対米戦争は回避しなくてはならなかった。イデオロギー対立が日米開戦を必然化させたと考えることは無理がある。

 第3は開戦回避の可能性である。第1と第2の点から明らかなように、日米間には戦争を不可避とする争点はなかった。言い換えると、開戦回避は可能だった。これは戦後早くからこのテーマに取り組んできた、実証主義の日本外交史研究の結論でもある。この通説的な見解によれば、「ハル・ノート」は最後通牒(つうちょう)ではなかった。文言のなかの「中国大陸」に満州国が含まれているか否か、アメリカ側に確認を求める価値はあった。アメリカは「満州国は『中国大陸』に含まれない」と示唆するだろう。そこに暫定協定が成立する。日米開戦は回避可能だった。

 以上を踏まえて、「対米開戦とは何だったか」、3点にまとめる。

 第1に、対米開戦は日本の自主的な決定だった。陰謀史観は真珠湾奇襲攻撃「免罪」論と結びついて、日本の開戦責任をあいまいにする。開戦通告の遅延がなければ、真珠湾攻撃は戦時国際法から逸脱しない範囲内での軍事作戦であり、「自衛戦争」として正当化できるはずだった。開戦決定の歴史的な責任は、他国に転嫁することなく、日本が引き受けるべきである。

 ≪合法の「自衛戦争」でも≫

 第2に、対米開戦は大衆民主主義の影響だった。仮に東条(英機)首相が「独裁者」だったとすれば、和戦いずれも選択できた。しかし実際の東条は、外交交渉と開戦の両論併記の決定を下した。

 その東条を開戦へと後押ししたのは、大衆民主主義だった。外交交渉を続ける東条のもとに「何をぐずぐずしているのか」と非難する投書が殺到した。ところが開戦後、首相官邸には「よくやった」と電話が鳴り止まなかった。東条は「大衆は自分の味方なり」と開戦決定に自信を深めた。他方で東条は大衆の拘束を受けることになる。

 第3に、対米開戦はグランド・ストラテジー(戦略構想)不在の決定だった。たとえ手続き上、合法な「自衛戦争」だったとしても、グランド・ストラテジーがなくては戦争を続けることはできなかった。

 緒戦の勝利がもたらす高揚感と解放感の酔いから国民が醒(さ)めるのは早かった。急速に悪化する戦局のなかで、「大東亜共栄圏」を正当化する「八紘一宇」の理念は、対外的にはもちろんのこと、国内においても空虚に響いた。これでは対米戦争に勝つことはできない。グランド・ストラテジー不在の戦争の末路は、日本の国家的な破滅だった。

 対米開戦は今とは無縁の遠い過去のことではない。対米開戦の失敗の歴史が今日に示唆するところは、基本国策を決定する際のグランド・ストラテジーの重要性である。その基本国策は、国民の人気を得られなくても、推進しなくてはならない。

(以上、MSN産経ニュースより一部転載)



 最後まで読んで、今の日米関係にそっくりそのまま投影できるのでは、と思い、以下の文に直してみました。↓

 1960(昭和35)年1月19日の日米安保条約発行から、すでに50年近くの時間が経過している。それにもかかわらず、日米をめぐる同盟論争は、合意を形成することなく、続いている。国連至上主義が横行し、国際社会への貢献問題もかまびすしい。この危機に対する評価は対立したままである。ここでは主要な論点を3つに整理しながら、「日米同盟の危機とは何だったのか」、再考を試みることにする。

 第1は「持てる国(貿易黒字国)」(日本)対「持たざる国(貿易赤字国)」(アメリカ)の対立図式である。この図式に従うと、「持たざる国」からの制裁は、やむを得ない「自衛」ということになる。しかし現地工場を多数建設し、産業の空洞化が進行した日本は、「持てる国」ではなくなった。「持てる国」とは、人為的な通貨安と低賃金を武器に、大量の対米黒字を確保している中国などの国のことである。これらの国との対立がエスカレートして、危機に至ったかもしれない。しかし日米間には危機を必然化する争点はなかった。

 第2は地位の不平等問題である。日米同盟の危機は「日米地位協定」を争点とする危機だったのか。この対立図式も日米同盟の危機の原因を説明するには不十分である。台湾危機、半島危機への準備を優先させるアメリカは、その軍事戦略上も同盟国との軋轢を避ける必要があった。他方でアメリカ経済に依存しながら、台湾危機、半島危機を継続している日本も、日米同盟の危機は回避しなくてはならなかった。「日米地位協定」を巡る対立が日米同盟の危機を必然化させたと考えることは無理がある。

 第3は日米同盟の危機回避の可能性である。第1と第2の点から明らかなように、日米間には危機を不可避とする争点はなかった。言い換えると、危機回避は可能だった。

 ここで、「日米同盟の危機とは何か」、3点にまとめる。

 第1に、(日米同盟の危機をもたらした要因の一つである)インド洋での給油活動撤退は日本の自主的な決定だった。国連至上主義は給油活動「違憲」論と結びついて、日本の責任をあいまいにする。社民党や民主党幹部の無理解と暴走がなければ、給油問題は憲法の規定から逸脱しない範囲内での自衛隊活動であり、「国際貢献」として正当化できるはずだった。危機を招いた歴史的な責任は、他国に転嫁することなく、日本が引き受けるべきである。

 第2に、(日米同盟の危機をもたらした要因の一つである)普天間基地移設問題は大衆民主主義の影響だった。
 鳩山を県外移設へと後押ししたのは、大衆民主主義だった。
 鳩山は来年早々に行われる名護市市長選の結果を見て、決めたい腹積もりだ。移設反対派が勝利したならば、鳩山は「大衆は自分の味方なり」と県外移設決定に自信を深めるだろう。他方で鳩山は大衆の拘束を受けることになる。

 第3に、(日米同盟の危機をもたらした要因の一つである)東アジア共同体構想はグランド・ストラテジー(戦略構想)不在の決定だった。たとえ目先の上で有益な「経済圏構想」だったとしても、グランド・ストラテジーがなくては国益を維持し続けることはできなかった。
 総選挙の勝利がもたらす高揚感と解放感の酔いから国民が醒(さ)めるのは早かった。急速に悪化する日米関係と中国の膨張主義のなかで、「東アジア共同体」を正当化する「友愛」の理念は、対外的にはもちろんのこと、国内においても空虚に響いた。これでは日米同盟を維持し、中国の覇権を牽制することはできない。グランド・ストラテジー不在の外交の末路は、日本の国家的な破滅だった。


 見事なまでに、符合しますね。(笑)
 いや、笑っている場合ではないのですが。
 歴史は繰り返す、であってほしくないです。


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Posted by なまくら at 00:53│Comments(0)売国政党
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