2013年01月14日

第1章 ポーツマス会議 4.ウィッテの抵抗

 15日午前の会議は、第5条の樺太割譲の件が妥結されないまま終了し、昼食と休憩を挟んで、午後3時半から第6条の討議に入った。

 第6条は遼東租借権についてである。

 ウィッテは、遼東租借権については清国の同意を必要とする、という代案を示してきた。

 それでは遼東租借権は清国の不同意を口実にロシアが拒否することが出来てしまう。小村は反対したが、結局、租借権に関してはウィッテの主張を認め、但し書きで日清交渉の余地を残すことで妥協し、この日は散会となった。



 翌16日の第5回本会議では、第7条と第8条が討議された。第7条は東清鉄道のハルピン-旅順間の経営権譲渡、第8条は満州の鉄道の利用目的を商工業に限定する、という内容である。

 これに対しウィッテは、鉄道の権利については日本軍の占領下にある部分のみの譲渡とし、譲渡部分についても露清間の敷設契約に則って、清国からの買収代金収入を日本に交付する、という代案を示してきた。

 つまり鉄道は清国のものとなり、日本は代金を得るのみで終わってしまう。小村は強く反対し、鉄道に関しても第6条と同様の形式とすることを提案した。

 ウィッテは東清鉄道が民間会社であることを理由に反対したが、小村が露清間の秘密条約を暴露したことから軟化し、妥結するこことなった。

 妥協により、譲渡する区間は日本軍占領地域北方の長春以南となったが、長春-吉林間の敷設権や付属炭鉱等も含めて一切を日本が取得出来た。第8条に関しては、簡単に妥結出来た。



 17日の第6回本会議は、いよいよ第9条、即ち賠償金についての討議である。

 ウィッテは開口一番、断固拒否の姿勢を見せた。

 「回答書に記したように、我が国はこの条件を拒絶します。議論の必要はありません」

 「討議すら拒絶するとは、理解できません」

 小村は射るような眼差しをウィッテに向け、非難の声を上げた。

 「このような要求を受け容れるのなら、寧ろ戦争を継続した方が良い!」

 ウィッテはテーブルを拳で激しく叩き、捲し立てた。

 「償金を支払うのは、完全に戦争に敗れた国のすることである。モスクワかペテルブルグが攻略されたというならばいざ知らず、今はそのような状況にはない」

 「我が軍はともに大勝利を得ているが、それにもかかわらずこのような温和な講和条件を出しています。もし立場が逆であれば、貴国の要求は厳しいものになっていた筈です」

 「ニェット!もし我が軍が東京を攻略したならそうするだろうが、それ以前に講和会議が開かれたならば、償金要求のような過酷な要求はしません」

 「過酷ではありません。穏やかな条件であることは、全世界の意見でもあります」

 「そのような意見があることなど、わたしは知りません」

 暫し応酬が続いたが、ウィッテは譲歩の気配を見せない。小村は第9条も後回しにして、次の討議に移ることを提案し、午前の会議を終えた。


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Posted by なまくら at 11:02│Comments(0)創作
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