2014年12月31日

第1章 ポーツマス会議 18.最終会議

 翌6日、両国は最終会議に臨んだ。

 数日前からポーツマスでは雨が降り続いていのだが、今日は久しぶりに雨がやんでいた。まるで、会議の行く末を暗示するかのように。
 
 日本全権は早めに朝食を済ませ、工廠でウィッテ達を待つことにした。

 開始予定時刻は午前10時だったが、9時50分になってもロシア全権は姿を現さなかった。

 小村の脳裏に、嫌な予感が浮かんだ。

 9時58分、硬い表情をしたウィッテ達が、ようやく入室してきた。

 内心ホッとした小村だったが、感情を表に出さぬよう努めながら、軽く会釈した。

 10時00分、ロシア全権が着席して会議が始まったが、先に口を開いたのは小村だった。

 「まずは、昨日の討議に関する貴国の回答を示していただきたい」

 ウィッテは覚書を小村に手渡すと、静かに言った。

 「皇帝陛下は、貴国の要求を全面的に認めた」

 覚書には、ハルビン以南の東清鉄道支線とその付属地を日本に譲渡すること、東清鉄道本線をフランスが参加する国際シンジケートに委ね、ロシアは鉄道管理権を放棄すること、サハリン島を全島日本に割譲すること、如何なる理屈でも金銭の支払いは行わないこと、が列挙されていた。

 「では、我が国の最終的な回答を提示します」

 小村は、無表情でウィッテに覚書を手渡した。

 そこには、償金要求を撤回することの他、樺太、鉄道に関する事項がロシア側の回答に近い形で明記されていた。

 ウィッテは一読すると、
 
「我が国が提示した回答は、貴国の覚書とほぼ同じ内容になります。よって、我が国はこれを受諾するしかありません」

と言って立ち上がり、小村と握手を交わした。そして、随員の控室に入り、静かに口を開いた。

 「諸君、平和が決まったぞ。帰国の準備をしたまえ」

 その言葉には、大仕事を成し遂げた高揚感も、安堵もなかった。交渉の長期化がロシア全土の革命という最悪の事態を招き、日本側の要求を押し切る下地を失ったことに対する自己嫌悪の情が先立っていた。

 (屈辱的な外交を強いられる結果とはなったが、落ち込んでいる場合ではない)

 彼は軽く首を振ると、すぐに気を取り直して言った。

 「休んでいる暇は無いぞ。次は宮廷に巣食う守旧派との戦いが始まるんだからな」




 日露両全権は短い休憩を挟んだ後、両軍の満洲からの撤兵方法や東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議を行った。

 撤兵方法に関しては、撤兵期限や鉄道守備兵力の扱いについて議論した。

 日本側は条約批准後10ヵ月以内の撤兵完了を提案したのに対し、ロシア側は在満の日露両軍司令官の協定に任せれば良い、との考えを示した。

 また、鉄道守備兵を1kmあたり5人以内に限定するとの日本側提案に対しても、ウィッテは

「両国共、事情は異なる訳ですから、具体的な兵数を定めるのは難しいと思います。満洲の現状に鑑み、それぞれが適当と思われる兵力に制限すれば良いのではないでしょうか」

と反対した。

 このようなロシア側の不明瞭な態度に、小村は不信感を抱いたが、結局、撤兵期限18ヵ月、鉄道守備兵1kmあたり15人以内とし、細目は現地軍司令官同士の協定に依ることで妥協が成立した。

 続いて、東清鉄道の経営権の割り当てに関する審議に移った。

 「まずは、この講和会議を斡旋したアメリカに花を持たせるべきだと思います。また、アメリカの鉄道技術は本家イギリスを追い越す勢いであり、資本力も十分であります。アメリカを筆頭株主とすることを提案します」

 小村が提案すると、ウィッテは

「同意します。ただ、フランスには、アメリカに匹敵する資本参加を求めたい。洋の東西を結ぶ大動脈が出来れば、西側の終点がパリになるのは必然です。また、世界一周輸送路が出来るとするならば、欧州からアメリカに渡る起点もやはりフランスになるでしょう。よって、アメリカとフランスは同列に近い出資とすることを希望します」

と言った。

 ウィッテの提案がロシアの債権国フランスに対する配慮であることは明らかだったが、小村はそこには触れずに頷いた。

 「了解しました。但し、その場合はイギリスも資本参加させるべきでしょう。昨年、協商が成立したとは言っても、長年対立してきた英仏どちらか一方を参加させてもう一方を排除するのは、両国の対立を再燃させるようで好ましくありません」

 勿論、これは同盟国イギリスに対する日本の配慮であった。

 「また、清国領内を通る鉄道であることから、清国も入れざるを得ないでしょう」

 審議の結果、シンジケートの予定比率をアメリカ40、フランス35、イギリス20、清国5の割合とし、日露は資本参加しないことで決定した。その他、樺太に軍事基地を設けないこと、間宮海峡と宗谷海峡における両国船舶の自由航行を承認し合った。

 午後5時に全討議が終了し、後は条文の作成を残すのみとなり、最終的な講和締結は1週間後の9月13日に行われることとなった。

 両国全権はホテルに到着すると、講和成立を知った記者や避暑客達の拍手によって迎えられた。

 小村もウィッテも笑顔で彼らと握手しながらホテルに入った。

 たった数週間で小村がアメリカ世論の操縦方法を体得した事に、高平は内心呆気にとられていた。記者達が会議前半に抱いていた日本全権に対する不満や不信感は、今や完全に払拭されていた。

 両国全権は本国へ至急電を打ち、それからバーに入ってシャンパンを開け、日露両国とアメリカの繁栄を祈って祝杯をあげ合った。

 夜も更け、ようやく散会して部屋に戻る途中、高平は小村が呟いた言葉に、思わず吹き出しそうになった。

 「今日だけは我慢して付き合ったが、帰国したら二度とこんな真似はせんぞ」




 こうして、動員兵力100万人以上、戦死傷者50万人以上、戦費15億円以上という代償を支払った一大戦争は終結したのである。


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Posted by なまくら at 17:09│Comments(0)創作
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