2015年02月08日
第2章 日露戦の善後 3.鉄道王の来日
騒擾事件は一段落したが、桂にはもう1つ、急いで片付けなければならない案件があった。
時を遡って9月4日。ポーツマス講和会議が再開されようとしていた、まさにその時、東京では駐日米公使グリスコムが主催する園遊会が開かれていた。
政財界からの出席者が1千名を超える盛大なものとなったこの会に、1人の米国人実業家が招かれていたのだが、その男が席上でとんでもない構想をぶち上げたのである。
エドワード・H・ハリマン。ニューヨーク出身の銀行家であり、ユニオン・パシフィック鉄道を経営する鉄道王として名を轟かせている人物だった。
ハリマンの構想は、極東からシベリア鉄道を経てヨーロッパへ至る、ユーラシア横断鉄道を建設するというものであった。
そして7日、曾禰蔵相の晩餐会にも招かれたハリマンは、より具体的な計画を披露した。
まず東清鉄道の経営に参画し、次いでロシアとの契約でシベリア鉄道の運営・運行権を獲得することで、自身の持つアメリカ大陸横断鉄道及び太平洋郵船と接続し、大連から満洲、シベリアを経由してバルト海まで結ぶ、というものだった。
更には、日本内地鉄道の合同とその広軌化(国際標準軌:軌間幅1435mm)工事への出資や満洲に於ける炭鉱への経営参加、韓国鉄道との接続等、計画の内容は多岐に亘るものだった。
家族旅行という名目で来日したハリマンの真の目的は、大陸利権の分け前に与る為の一連の協定を、日本政府と結ぶことだったのである。
「東清鉄道はいずれ世界的交通の主要幹線となるのは明らかであり、早急に大改良を行う必要があります。しかし短期間の内にそれを可能にするのは、潤沢な資金と技術そして経験を有する私の会社をおいて他にありません。貴国との協定が成立した暁には、直ちに東清鉄道、安奉線及び京義・京釜両路線の改築に取りかかり、3年以内に釜山からハルビンを経て満洲里に至る直通列車を走らすことが可能です」
安奉線とは、戦争中に日本軍が清韓国境の安東県から奉天南郊の蘇家屯の間に敷設した軌間幅762mmの軍用鉄道のことである。
ハリマンは東清鉄道を発展させる為に何を行うべきか、完璧に理解していた。
ハリマンは、その後10日間にわたって伊藤や井上、桂等と会談し、持論を力説して回った。
「日本政府と我が社は、鉄道本体と附属財産に対して共同かつ均等の所有権を有することとしましょう。また、戦時には軍隊及び軍需品の輸送に関して常に日本政府の命令に従い、日本がロシアまたは清国と再戦となった場合の軍事輸送に支障を来さぬようにするつもりです。それだけではありません。国際共同管理となる東清本線は決してロシア軍の輸送を認めないつもりですから、万が一にも日露が再戦となることはないでしょう。ここに、東亜の永久平和が訪れるのです」
桂はハリマンに言質を与えなかったが、伊藤ら元老の反応を見て、ハリマンは大体において成功を確信したのか、19日、南満洲の実状を視察する為、後をグリスコムに任せて戒厳令下の東京を発った。
時を遡って9月4日。ポーツマス講和会議が再開されようとしていた、まさにその時、東京では駐日米公使グリスコムが主催する園遊会が開かれていた。
政財界からの出席者が1千名を超える盛大なものとなったこの会に、1人の米国人実業家が招かれていたのだが、その男が席上でとんでもない構想をぶち上げたのである。
エドワード・H・ハリマン。ニューヨーク出身の銀行家であり、ユニオン・パシフィック鉄道を経営する鉄道王として名を轟かせている人物だった。
ハリマンの構想は、極東からシベリア鉄道を経てヨーロッパへ至る、ユーラシア横断鉄道を建設するというものであった。
そして7日、曾禰蔵相の晩餐会にも招かれたハリマンは、より具体的な計画を披露した。
まず東清鉄道の経営に参画し、次いでロシアとの契約でシベリア鉄道の運営・運行権を獲得することで、自身の持つアメリカ大陸横断鉄道及び太平洋郵船と接続し、大連から満洲、シベリアを経由してバルト海まで結ぶ、というものだった。
更には、日本内地鉄道の合同とその広軌化(国際標準軌:軌間幅1435mm)工事への出資や満洲に於ける炭鉱への経営参加、韓国鉄道との接続等、計画の内容は多岐に亘るものだった。
家族旅行という名目で来日したハリマンの真の目的は、大陸利権の分け前に与る為の一連の協定を、日本政府と結ぶことだったのである。
「東清鉄道はいずれ世界的交通の主要幹線となるのは明らかであり、早急に大改良を行う必要があります。しかし短期間の内にそれを可能にするのは、潤沢な資金と技術そして経験を有する私の会社をおいて他にありません。貴国との協定が成立した暁には、直ちに東清鉄道、安奉線及び京義・京釜両路線の改築に取りかかり、3年以内に釜山からハルビンを経て満洲里に至る直通列車を走らすことが可能です」
安奉線とは、戦争中に日本軍が清韓国境の安東県から奉天南郊の蘇家屯の間に敷設した軌間幅762mmの軍用鉄道のことである。
ハリマンは東清鉄道を発展させる為に何を行うべきか、完璧に理解していた。
ハリマンは、その後10日間にわたって伊藤や井上、桂等と会談し、持論を力説して回った。
「日本政府と我が社は、鉄道本体と附属財産に対して共同かつ均等の所有権を有することとしましょう。また、戦時には軍隊及び軍需品の輸送に関して常に日本政府の命令に従い、日本がロシアまたは清国と再戦となった場合の軍事輸送に支障を来さぬようにするつもりです。それだけではありません。国際共同管理となる東清本線は決してロシア軍の輸送を認めないつもりですから、万が一にも日露が再戦となることはないでしょう。ここに、東亜の永久平和が訪れるのです」
桂はハリマンに言質を与えなかったが、伊藤ら元老の反応を見て、ハリマンは大体において成功を確信したのか、19日、南満洲の実状を視察する為、後をグリスコムに任せて戒厳令下の東京を発った。
第2章 日露戦の善後 2.騒擾(2)
第2章 日露戦の善後 1.騒擾(1)
第1章の結びに代えて
第1章 ポーツマス会議 18.最終会議
第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落
第1章 ポーツマス会議 16.会議再開
第2章 日露戦の善後 1.騒擾(1)
第1章の結びに代えて
第1章 ポーツマス会議 18.最終会議
第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落
第1章 ポーツマス会議 16.会議再開
Posted by なまくら at 09:42│Comments(0)
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