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Posted by みやchan運営事務局 at

2014年03月09日

「国づくり」の長期的観点を取り戻せ

 2月27日付の産経新聞(九州・山口版)に秀逸な記事が載っておりましたので、全文転載したいと思います。


  人手不足問題に「国づくり」の長期的観点を

 最近、建設業界の人手不足のため、公共工事で施工業者が決まらない「入札不調」が全国で相次いでいます。震災復興や安倍政権の進める「国土強靭化」政策のため、公共投資は増えていますが、人材が集まらず、入札が成立しないのです。

 九州・山口も例外ではありません。公営住宅の耐震化や公共施設の完成などに遅れが生じているそうです。工事が進められなければ、せっかくの財政拡大効果も薄れ、景気回復にもつながりません

 人手不足の原因は、ここ十数年間、公共事業の大幅削減が続いたため、建設業界が縮小し、働く人々が急減したことです。1996年をピークとして安倍政権が成立するまで公共事業費は下降の一途をたどりました。2011年度の公共事業費はピーク時の半分以下でした。GDPに占める割合も3~4%台とヨーロッパ諸国とあまり変わらない水準となりました。

 この数値は、減らし過ぎだったと考えてよいでしょう。日本は公共事業を必要とする国なのです。地震や台風などの自然災害が非常に多く、耐震化や、河川や港の整備が求められます。山地も多く、道路一本通すにも山を削りトンネルを作らなければなりません。公共工事がなければ、今も昔も安定した暮らしを営むのが難しいのが日本の国土なのです。

 人手不足に陥った最大の要因は、長期的観点を失った政治の失敗だといえるでしょう。国土保全のためには、各地の建設業者の維持や人材育成への目配りが必要でした。人材育成には長い年月がかかります。公共事業悪玉論や「コンクリートから人へ」といった安易なスローガンに乗ってしまった政治家やマスコミ、そして我々有権者の責任は大きいはずです。

 人手不足への対処として外国人労働者受け入れの検討が最近本格化していますが、これには大いに疑問を抱いてしまいます。外国人労働者受け入れの理由は、安い労働力の確保ですので賃金は上がりません。建設業界に入る日本人の若者はますます減り、熟練工や職人の育成にもつながりません。治安悪化など社会的コストの増大にも帰結します。

 やはり深刻な人手不足を招いた現状を反省し、短期的な視野に陥りやすい政治のあり方を抜本的に見直す必要があります。

 かつての日本人は、次世代の社会の安寧を今よりも真摯に考えていました。例えば民俗学の祖である柳田国男は、日向の那須山(椎葉山)の吊橋の事例を紹介しています。当地では吊橋を架ける四隅の支柱として杉の大木を植林し活用していました。柳田が訪れた際、現行の支柱の大木はまだまだ長年使えるものでしたが、すでにそれぞれの大木の脇には将来の支柱の役割を果たすものとして杉の苗木が1本ずつ植えてあったそうです。柳田は「苗木が役立つころには、現在の村民は全員代替わりしているはずであるのに」と述べ、山村でも将来世代の生活を心底案じていることに大きな感銘を受けたと記しています。

 現在の日本人も、長期的観点に基づく政治を取り戻す必要があります。今回の問題でいえば、深刻な人手不足の現状を反省し、公共工事の計画的配分、労務単価の一層の引き上げ、建設業界の待遇改善への支援、工業高校や高専への奨学金創設など、遠い将来まで見越した総合的な政策立案が求められるでしょう。一時の風潮に惑わされスローガン政治に陥った過去を反省し、長期的観点を忘れない国づくりの原点に戻る必要があるはずです。

 施 光恒(せ てるひさ)(「国家を哲学する施 光恒の一筆両断」より全文転載)



 まさにおっしゃる通りです。

 長期的視点を忘れた国づくりを長年続けてきた結果、土木・建設の分野は自分達の需要を自分達が供給出来ない事態にまで陥っています。

 需要を供給が満たせない国、これを世間一般では発展途上国と言います。

 例えば豪雪地帯における道路の除雪作業が非常に困難になりました。

 除雪作業は従来、道路管理者が年間契約を結んで建設業者に委託していました。
 そこに、「公共事業悪玉論」が襲い掛かります。

 公共工事は軒並み指名競争入札が排除されました。
 それに取って代わったのが一般競争入札という入札システムです。
 それは入札価格が全ての弱肉強食の世界。
 建設業者は1円でも安い価格を提示せねばならず、自ずと利益率を圧迫していき、最終的には赤字でも請け負わざるを得ない状態となったのです。(従業員を遊ばせておく訳にはいかないので、当然そうなります)

 結果、固定費はどんどん削られていきました

 建設機械は殆どが売却され、必要な時にリース会社から借りるようになったのです。
 除雪機械も例外ではありませんでした。
 1年の内、冬季にしか使用せず、しかもその年に受注出来なければ全くのお荷物と化す除雪機械。必要な建機だと分かっていても、「リストラ」の対象とせざるを得なくなりました

 人も減らされました。
 社内に正社員が1人だけであとは発注に応じて雇い入れる、つまり「1人親方」の会社が日本全国あちこちに発生しました。

 請け負う側がそんな状態まで追い詰められたところに、豪雨や豪雪などの災害が襲い掛かりました。

 民家を押しつぶした土砂を取り除きたくても、リース会社までの道が寸断され、重機は届きません。道路を塞ぐ何メートルもの高さの雪を除雪したくても、除雪機械は手元にありません。
 急な事態なので、人を雇う時間もありません。

 以前なら半日で対応出来ていた事態に、為す術もなくなっていたのです。

 結局、発注側は「除雪機械を保有しているか」を総合評価(一般競争入札に技術や地域貢献などの評価を加えたもの)の加点対象としたり、自前で除雪機械を保有したり(当然、初期投資と維持管理コストがかかる)するなどの努力を続けていますが、根本的な解決には至っていないようです。

 やはり、こういった分野は長期的視点に立ち、随意契約や複数年契約など、受注者側の経営安定を認めるシステムを導入すべきだと思います。



 また、長期的視点を持たなかった結果、莫大な損失を生むケースもあります。
 その典型例が道路の用地買収です。

 必要な道路幅は、基準(道路構造令)が改定される度に車道空間や歩行者空間といった部分で拡がっていきました。

 戦後の構造令が出来た当初(昭和33年)は車も歩行者も混在する、混合交通が認められており、道路幅の節約にはなりましたが、車と歩行者の接触事故が絶えない一因となっていました。
 そこで昭和45年に構造令が全面改訂され、歩車分離が原則となり、必要な道路幅は拡がりました。

 昭和50年代には、公害問題に端を発する生活環境の悪化が問題となり、植樹帯やそれの拡大版である環境施設帯が追加規定されるようになりました。
 植樹帯は標準で1.5mの幅が必要です。
 また、環境施設帯は10~20mの幅が必要となります。

 このように、道路は年々その機能を充実させ、その分、広い幅が必要となってきたのです。
 昨年からは自転車と歩行者の分離が徹底され始めており、そうなると従来の自転車歩行者道ではなく、専用の自転車用通路が必要となってくるのは自明のことです。

 ところが、肝心の道路にそのスペースを確保する余裕がありません。現在でも、昭和33年基準で造られた道路は数多く残っており、交通事故や沿道の環境悪化といった問題を抱えたままになっています。そんな道路に限って沿道には家や商店、ビルなどがびっしりと立ち並び、拡幅には莫大な予算と長期間にわたる用地交渉が必要となっているのです。
 もし、道路を通すにあたって、余裕を持って用地買収をしておけば、後年の拡幅困難といった事態は避けられたかもしれませんし、道路の狭さを補う為に設置されたガードレールや防音壁といった醜悪な構造物は必要無く、水道管やガス管、電線は歩道や植樹帯の下に設置されるので、車道の通行規制は大幅に減っていたでしょう。

 逆に、こんな事例もあります。
 北九州市の戸畑区と若松区を結ぶ若戸大橋のエピソードです。
 若戸大橋の着工は昭和33年ですから、まさに混合交通の時代、人も車ものんびり行きかっていた頃です。
 当時、橋を架けるにあたって、当局は将来の自動車交通増大を見越して片側2車線の橋にしたいと考えました。
 ところが、上(大蔵省?)はそれを認めません。
 「交通量も少ない地方の橋に、片側2車線も要るか!建設費が余計に掛かって勿体無い!!無駄な道路は造らせない!!」
 当局は近い将来、日本でもモータリゼーションが起き、1家に1台のマイカー所有が当たり前の時代が来る、と確信しておりました。
 もし、その予想が当たれば、若戸大橋は完成後10年あまりで大渋滞を引き起こす問題橋になる筈です。そして、再び架橋を考えなければならなくなる・・・長期的視点で見れば、その方が結果的に高くつくことは明らかです。
 しかし、上(大蔵省?)を説得させられるだけの材料が無い・・・
 当局は悩んだ末、ウルトラCの屁理屈を考え出しました。
 「若松区は市内有数の漁村集落です。一方の戸畑区は北九州工業地帯の一角を担い、人口も急増しています。戸畑区の人々の食卓には若松で獲れた魚が並んでいます。もし橋が出来れば、若松区から戸畑区にむけて、魚屋の大八車が列を成すようになるでしょう。遅い大八車が自動車の通行を妨げないように、大八車の専用車線がどうしても必要なのです!」
 こうして、若戸大橋は車道の左側に世にも珍しい大八車専用レーンが設置されることとなりました。
 そして、時代はモータリゼーションに突入し、当局が予想したとおり、若戸大橋で渋滞が始まりました。
 しかし、当局は何も慌てません。十分な幅を確保した大八車専用レーンを廃止し、車道に転換したのです。
 こうして、ほとんどコストを掛けずに若戸大橋の4車線化が完成しました。

 この話は学生時代に聞いた話ですが、なまくらの脳裏に気持ちの良いエピソードとして残っていました。



 目先のコスト縮減に拘る上(大蔵省?)と長期的視点で橋のことを考えていた道路当局、どちらが正しかったのか、後世を生きる我々は知っています。
 しかし、今造られている橋や道路、川やダムや港や防潮堤などについて、我々は正しい視点を持って見ているでしょうか。
 「無駄な空港」の1つだった福島空港は、震災後、緊急物資の輸送に大活躍しました。
 「無駄な東九州道」「無駄な国道220号バイパス」「無駄な東九州新幹線」は将来、我々を救うでしょうか、それとも財政破綻の一員として非難を浴びるでしょうか。

 特に小さな政府主義者には考えてもらいたいのです。  


Posted by なまくら at 08:29Comments(0)政策一般

2014年02月03日

異常気象

 ここ何日か、季節外れの暖かさが続いていますね。

 ここで思い出したのが、下記の法則

 大震災の前には異常な暖かさ(あるいは暑さ)となる

です。

 過去3回の大震災(関東、阪神淡路、東日本)が3回とも、直前の夏が猛暑だったり、異常気象となっています。
 去年の夏は記録的な猛暑でした。

 実はこの法則発動にはもう一つ条件があるようで、それは

 悪政が続いている

です。

 関東の時は米騒動が起こるなど、人心が乱れていましたし、阪神淡路の時は村山左翼政権、東日本も管左翼政権でした。
 今回は保守政権と言われている安倍政権ですが、消費増税や新自由主義的経済政策など、どうも”瑞穂の国”には向かない政策に傾きつつあるようです。
 加えて東京都知事選。枡添、細川、宇都宮のサヨク&極左が選挙戦をリードしているようでは、とてもじゃないが東京に、日本に未来はありません。


 法則が外れることを祈っています。皆さん、くれぐれも日頃の備えを怠りませぬよう・・・  


Posted by なまくら at 21:09Comments(0)

2014年01月01日

謹賀新年

 皆様、明けましておめでとうございます。
 新年早々、風邪をひいてしまったなまくらですが、今年も宜しくお願いいたします。

 さて、今年の干支は「甲午(きのえうま)」らしいです。
 ちょっと調べてみたところ、甲はかぶとやよろいを意味し、あるいは草木の芽が殻を破って頭を出した象形文字であるそうです。
 そして、午は陽の極地であるが、一陰が陽を冒して上昇する象、とのことです。
 成程、正午は太陽が最も高い位置にありますが、正午を過ぎると日は陰っていき、夜を迎えます。
 転じて、反対勢力の高まりを示すそうで。。。

 絶好調のアベノミクスですが、消費増税により再びデフレが頭をもたげてくる、ということでしょうか・・・
 そう言えば、相場の格言でも、「辰巳天井、午尻下がり」というのがあるそうです。前回の午年もITバブル崩壊直後だったそうで、投資には向かない年なのでしょうか?

 但し、前回の甲午は昭和29年で、この年の12月から昭和48年11月までを、所謂「高度経済成長期」と呼ぶそうです。まさに殻を破った年だった訳ですね。
 さて、今年はデフレ圧力が勝つか、経済対策によって乗り切り、新しい日本を創るか、いずれにせよ、アベノミクスは今年が正念場になりそうです。

 なお、昭和29年の出来事と言えば、
 ・第五福竜丸事件
 ・洞爺丸事故
 ・映画「ゴジラ」公開
 ・日本民主党結成
などが挙げられます。

 その前の明治27年は
 ・領事裁判権撤廃
 ・日清戦争開戦
など。

 結構、歴史的な事件、事故がある年のようです。
 気になるのは明治27年の日清戦争ですが、120周年となる今年、日中衝突はあるのでしょうか?
 昨今の中共のやり方を見ていると、可能性は十分あるわけで、日本は備えを急がないといけないでしょう。外交でも安全保障でも殻を破る年にしなければならないところです。

 また、忘れてはならないのが、日本列島が未だ、地震の活動期にある、ということです。
 100年前の大正3年1月には桜島が大噴火し、大隅半島と陸続きになっています。小笠原諸島では現在、西之島と陸続きになった新島が活発な火山活動を継続しています。
 東日本大震災で生じた歪が首都直下型地震や南海トラフ地震などに繋がる可能性を指摘する人は多いです。
 備えあれば憂いなし。防災対策を怠らないようにしましょう。



 それでは、今年が皆様にとって良い年になりますように。

 皇期2674(平成26)年1月1日

  


Posted by なまくら at 18:00Comments(0)

2013年12月22日

平成25年を振り返って

 お久しぶりでございます。

 今年も残すところあと10日。
 本ブログの今年の記事数を数えると、今回のを入れて19となりました。相変わらず、更新サボってます。。。(^_^;)
 そんな中、お越し下さった方々には、心から御礼申し上げます。



 少し早いですが今年のブログを振り返ってみますと、数年来(!)の目標であった「先の大戦を経験した方々のお話の記録」を達成出来た事が何よりも嬉しかったです。
 米寿を過ぎられた方なので、本当にお元気な内に記録を残せて良かったと思います。
 それにしても、足腰なんかは、なまくらよりも矍鑠(かくしゃく)としており、先の大戦を生き抜いた方々の力強さには驚かされます。(因みに、農家の方です)

 それから小説の方ですが、滞っております。。。
 当初の予定ではポーツマス会議は史実どおりとしてさらっと流す予定だったのですが、史実を調べていく内に、かなり緊迫感のある会議だったことが分かり、なおかつが出てしまって、ここから「IF」化を始めたところ(どこから手を加えたか、お分かりになったでしょうか?)、収まりがつきにくくなってしまったのでした(*_*)
 もうすぐ方向性を見出せそうなので、今暫くお待ちくださいませ。
 なお、現在のところ、吉村昭氏著の「ポーツマスの旗」と黒木勇吉氏著の「小村壽太郎」を主要史料としておりますが、ポーツマス編が終了してから、参考文献一覧を掲載したいと思います。
 なにしろ、斜め読みを含めて20冊近くあるものですから。(忘れてしまったのもあるかもしれませんが)

 それにしても、こういう歴史を題材に選んでしまうと、自分の薄学さを痛感してしまいますね。
 特に1900年を挟んだ前後約20年間は、第二次世界大戦終結後並みかそれ以上に国際環境や科学技術が劇的に変化した時期ですから、色んな事に注意しながら書き進めないといけないので、非常に難しいです。まあ、それだけに、非常に面白くもあるのですが。
 なんにしても、今後とも宜しくお願いします。

 

 一方、現実世界に目を転じると、何より消費増税決定が挙げられます。
 新自由主義の思想に深く染まってしまった安倍政権。期待していただけに、裏切られた気持ちで一杯です。
 対する野党も同じく新自由主義者の集まりである維新とみんなの党、結いの党、それから準社会主義政党で親中親韓(震撼?)政党の民主党。全く期待出来ません。
 日本国民は再びデフレ地獄を見ない限り、目が覚めないのでしょうか?こうしている間にも、財務省や竹中・三木谷ラインによる日本弱体化計画が着々と進行しているのです。
 彼らにとってみれば財政再建や小さな政府が至上命題であるのでしょうが、それが生み出す結果は意図しようとしまいと、日本弱体化です。
 何とかしなければ・・・

 年の瀬も迫ってきた折、中共は「防空識別圏」という名目で領空拡大宣言を行いました。
 勿論、国際的な認識である防空識別圏と、中共が宣言したそれとは本質的なものは全くことなります。奴らがしているのはれっきとした領空拡大宣言であり、それが尖閣上空を含んでいる以上、侵略行為に他なりません。
 日露戦争時代であれば、日本側から最後通牒を突き付けて撤回を迫り、それが叶わなければ開戦も辞さないところでしょう。
 否、中共は未だ19世紀末の帝国主義的発想で行動をしている国であって、ゆえに、逆にいつ日本に奇襲攻撃をかけてもおかしくない状況と言えるでしょう。
 ある朝目が覚めてネットニュースを見たら、「中国軍が尖閣・石垣島に上陸」「空自那覇基地が奇襲攻撃を受け全滅」などという見出しが躍っている、そんな悪夢が現実になる日が来るのかもしれません。
 中共にとってみれば、日本がF35の配備など、南西方面の防備を固める前が、最も攻撃しやすい状況と言えるでしょう。
 タイミングよく、アメリカは財政問題で防衛費にしわ寄せが来ており、ケリー国務長官をはじめ、オバマ政権は軟弱外交を展開しております。国際環境も、中共の暴走を食い止める力が弱まっているのです。
 まさに千載一遇のチャンス到来と言えるでしょう。(中共にとっては)

 日本はNSCの発足や新防衛大綱の策定などを進めていますが、根っことなる憲法は未だ手つかずです。
 経済問題では安倍政権には最早期待できませんが、ここいらで本当に保守の本領を発揮してもらいたいところです。



 色々と不安の多い年になりそうですが、皆様におかれましては、良い年をお迎えくださいませ。   


Posted by なまくら at 09:52Comments(0)

2013年10月15日

講演

 猛暑の夏もようやく過ぎ、秋らしくなってきました。

 68年前の夏も、こんな風に暑かったのでしょうか。
 随分報告が遅くなりましたが、今年の8月15日も、なまくらは護国神社を参拝し、英霊達に民主政権の終焉と尖閣危機を報告し、国を守る決意を誓ってまいりました。

 さて、なまくらは以前から「先の大戦を経験した方々のお話の記録を撮りたい」と年初の挨拶に書いてきました。
 なかなか機会が訪れず、最初の「抱負」から2年半が経過してしまいましたが、ようやく実現しました。

 毎年、夏になるとアレな団体が無垢な小中学生を対象に戦争の悲惨さを「これでもか」と強調し、洗脳する姿を各地で見ることができますが、ここ宮崎でもそういう胡散臭い団体が胡散臭い活動を行っております。
 でも呼ばれた元軍人さんなどは、そんなことを気にもせず、ただひたすら純粋に過去の思い出を語ってくれたりするのでして、そういう人の生の声は非常に貴重なものとなりました。
 今回記録させていただいた声の主も、主催団体の「空気を読まずに」貴重な話をしていただいています。
 御年90歳近くになられるこの方は、駆逐艦「初霜」の乗組員として大東亜戦争のほぼ全期間に亘って参戦された方です。
 記録の中でも触れていますように、何度も九死に一生を得て終戦を迎え、現在は県央の農村でひっそりと農業を営んでいらっしゃいます。
 戦艦「大和」の沖縄特攻にも随行し、目の前で大和が沈むのを見られたという、非常に貴重な経験をお持ちの方でもあり、戦後に連合艦隊司令長官から頂いた特攻感謝状を今でも誇らしく飾っておられます。
 ユーチューブにて、動画と音声の2つを配信します。動画の方は残念ながらメモリー不足から最後の10分程度がありませんが、音声ファイルの方は完全版を聞くことができます。


キスカ島撤退作戦、坊ノ岬沖海戦の最後の生き証人(音声のみ)
キスカ島撤退作戦、坊ノ岬沖海戦の最後の生き証人の講演1(動画)
キスカ島撤退作戦、坊ノ岬沖海戦の最後の生き証人の講演2(動画)
キスカ島撤退作戦、坊ノ岬沖海戦の最後の生き証人の講演3(動画)

ご本人の公開の了解を得るのに時間がかかってしまいましたが、やっと公開することが出来ます。

彼らがいてくれたからこそ、今の私たちがあるということに、改めて感謝申し上げます。
ありがとうございます。  


Posted by なまくら at 22:22Comments(0)大東亜戦争

2013年10月04日

増税に関し、我々が出来る合法的な復讐法とは

先日のブログで、来年3月いっぱいで新聞の購読をやめる旨を書きましたが、同じようなこと考えている人が結構おられるようで。


(前略)消費税増税対策としてのオススメ案は、
1,新聞の購読は辞める
2,NHKとの受信料契約を解除する

(放送法64条に基づいてNHKを「受信しない」「受信できない」環境を作る)
です。

この二つで消費税増税分の負担をきっちりまかなえます。

消費税増税をマンセーしてきたのが日本のメディアですから、
そこへ流れるお金から真っ先に消費税増税対策としてカットするべきです。


10/2付「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」様記事より一部抜粋

まさにそのとおり!!

月々の生活費が10万円の方なら、増税による負担増は3千円になります。

これは、月々の新聞購読料と同じですから、十分に賄えます。

NHK受信料はこちらのブロガー様によると


ちなみにNHKの受信料は、例えばカードの2ヵ月払いで2,450円、衛星契約なら4,340円です。
従って月額では地上契約が1,225円、衛星契約なら2,170円となります。
また新聞の購読料ですが、これを月額約3,000円としましょう。

つまり、あなたは合わせて毎月4,225円という極めて大きな金額を、このドス黒い気分をもたらした政策を全力で後押ししたクソどもに支払っているというわけです。

10/3付「えい坊主の時事ネタ日記」様記事より一部抜粋
と、詳しく解説されております。(笑)

散々飛ばし記事を書いて世論を煽り、安倍首相の外堀を埋めていった憎きマスゴミに、国民の鉄槌を喰らわせてやりましょう!!

なお、購読をやめる際に、

「おんどれら、他人には増税の痛みを強いておきながら、自分達だけ軽減税率で助けを乞うとは、虫が良すぎるんちゃうか?まずはおんどれらから痛みを受けんかい!文句あるなら、おんどれの所の無能な長谷川(※産経新聞経済部長)に言うたれや。奴が財務省の言うことを無批判に垂れ流すからこうなるんや」

とでも言ったら、少しは効果あるかな?


さて、復讐する相手はまだまだおります。ご存じ、経団連です。

ここも増税を煽っておきながら、おめおめと法人減税を要求する(そして何だかんだ理由を付けて賃上げはしない)、恥知らずな団体です。

ご丁寧に50音順の会員企業リストまで作っておりますので、どの企業が会員か、一目瞭然です(笑)

4月以降は極力、会員企業からモノを買わないことにします。

家電製品や車などは難しいですが、その気になれば中古ショップで手に入れることも可能でしょう。

ビールを飲みたいなら地ビールにし、お小遣いが足らなくなれば(笑)台湾産の第3のビールにすれば良いでしょう。

小売業なら選択肢がいくらでもあります。イオンや大手コンビニ、楽天やヤフーなどは絶好の不買ターゲットですね。

携帯電話のキャリアに払う通話料も、可能な限り安いプランにしてしまいましょう。保険料の見直しも欠かせません。

あと、忘れがちですが、常備の処方薬や使い捨てコンタクトレンズを使用されているならば、3月中に購入すべきでしょう。(ただし、医療費は消費税対象外)

JRで通勤・通学されているなら、4月初頭に更新を迎える人が多いでしょうが、3月中に購入すれば、利用開始時期が4月以降であっても、消費税5%が適用されるそうです。

ただ、完全に排除してしまって外国企業(除親日国家)の製品を買うなんていうのは本末転倒ですからね。(因みにサム糞は会員企業です)



なまくらはこれまで、デフレを少しでも食い止めようと、貯蓄はほどほどにして、極力消費、それも地方都市で消費するよう、努力してきたつもりです。

しかし、1日の首相記者会見で、完全にやる気を失いました。

4月以降は「合成の誤謬(一人ひとりの合理的な行動 ―例えばデフレ下での消費抑制など― が全体では不合理な結果をもたらす経済用語)」など気にせず、否、寧ろ大いに推進するような行動を取らせてもらいます。

安倍首相を積極的に支持することもありません。彼が増税の結果を見て悔い改め、増税法を凍結ないし廃止するまでは。



しかし、諸悪の根源の財務省に復讐する手立て(合法的に)が見つからない・・・・・・木下次官に土下座して詫びさせるような方法、ないかなぁ・・・・・・  


Posted by なまくら at 17:41Comments(0)売国法案

2013年10月01日

来年4月の消費増税決定

ほんのわずかな期待も、本日めでたく裏切られました。

安倍首相が記者会見で消費増税を決定したそうです。

デフレ下の増税はありえない、と言っていたのは嘘だったのでしょうか?
それとも、民主党と谷垣合作の時限爆弾に抗しきれなかったのでしょうか?
どちらにしろ、これで再びデフレに逆戻りになる可能性は非常に高まったと言えるでしょう。

さて、問題はマスコミです。
首相決断前から飛ばし記事を書きまくり、世論誘導に奔走していました。
勿論、責任はとってもらいます。
ささやかな抵抗ですが、定期購読していた産経新聞はやめようかと思っています。
今月いっぱいでやめたいくらいですが、どうせなら来年3月末で終わらせるのが奴らにとって最も痛いのでは?などと考えていますが、どうでしょうか。

倍返し!とまではいかないですが、なまくらのささやかな抵抗です。  


Posted by なまくら at 19:51Comments(0)売国法案

2013年08月03日

【拡散依頼】 麻生副総理の発言を180度捻じ曲げた共同、朝日に鉄槌を!!

 良識ある国民の皆様なら、もう知っておられるかと存じますが、共同通信、朝日新聞という2大左翼メディアがまたしてもやらかしてくれました。
 そう、麻生副総理の「ナチス憲法発言」です。

 記事だけ読むと、麻生副総理がナチスがワイマール憲法を変えた手法と同じ手口で自民党も憲法を変えていきたい、と読めます。
 しかし、全文を通して読んでみると、麻生副総理はむしろ、ナチスのようなことになっちゃいけないから、静かな環境で熟議しなくちゃならない、というのが趣旨だったことが分かります。

青山繁晴、麻生太郎副総理ナチス発言撤回にについて
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21489718

 要するに、共同も朝日も(朝日は共同の追っかけで報道した模様)、麻生副総理が伝えたかった事と真逆の事を伝えている!
 まさに、4年前、政権交代前の激しい言葉狩りの時代を彷彿とさせる出来事、まさにマスゴミの横暴、ここに極まれり、です。

 情けないのは、産経新聞までもが後追いで記事を出していることです。
 家族は産経の記事を読んで、完全に誤解していました。
 産経が良識ある新聞を自認するのであれば、ただちに訂正記事を書いて読者にお詫びすべきです。
 否、それだけでは済みません。事態は既に国際問題になりつつあるのですから、英文で釈明記事を世界に向けて配信すべきです。

 共同、朝日は意図してやっているのですから、直接抗議したって効き目ありません。
 ここは一つ、毎日新聞に対してやったように、スポンサーに直接抗議すべきでしょう。
 (なぜ毎日新聞が叩かれたかの経緯は、「毎日新聞WaiWai変態記事事件」で検索してみてください)
 共同は配信先の地方紙に抗議の電話を入れるか、それでもダメな場合は地方紙のスポンサーに抗議すべきでしょう。
 新聞社の利益はほぼ100%がスポンサーからの広告収入ですから、これは効きます。

 また、この記事をお読みの方でツイッターやFBなどSNSのアカウントをお持ちの方、ブログやHPをお持ちの方は、どんどん拡散をお願いします!!

 4年前は、一部の良識ある方がブログで記事を書くだけでした。国民の大多数は捏造記事に騙され、踊らされ、結果として悪夢の政権交代劇を引き起こし、日本の弱体化に加担しました。
 第一次安倍政権において、安倍さんに孤独な戦いを強いたのは我々国民でした。
 上記政権の退陣後、「麻生クーデター説」なる捏造記事(読売新聞発)が流れた際も、麻生さんに孤独な戦いを強いたのは我々国民でした。
 麻生さんが総理大臣に就任してから、マスゴミが徹底的に揚げ足取りや言葉狩りを行った時も、麻生さんに孤独な戦いを強いたのは我々国民でした。

 もう二度と、4年前の過ちは繰り返してはいけません。
 良識ある皆様は、徹底的にこの問題を糾弾すべきであり、麻生副総理、安倍総理を支えていただくよう、心からお願い申し上げます。
 日本をこれ以上弱体化させないために。
  


Posted by なまくら at 08:12Comments(0)マスコミ

2013年06月23日

現在の育児議論は不毛、あらゆる手をつくせ。財源は国債で問題なし

 先日、「たかじんのそこまで言って委員会」の「女性だらけの委員会」の回を見ました。
 また、6/14付の産経新聞・金曜討論では、保育所の横浜市方式(「認定保育所制度」や株式会社の参入)を全国展開することの是非について討論がされていました。

 それらを見てて思ったのが、保育所をもっと整備して女性の社会進出を進めるか、子供を3歳までは家庭で育てるべきか、などという二者択一の議論は何か不毛だな、と。



 乳幼児を母親の手元で育てることが本当に子供の情緒などにとって良いことなのか、悪いことなのかは、十分に研究結果が出ているわけでもないし、個々の家庭にとってケースバイケースだと思います。

 例え母親が付きっきりで子育てをしても、それで育児ノイローゼになったり虐待を始めたりしてしまえば元も子もないです(津川さんが似たようなことを発言されていました)し、経済的な問題で共働きしないといけない家庭もあります。

 逆に、専業主婦で良いと思っている人に「会社に復帰しろ」も大きなお世話でしょう。

 保守派の意見で多いのは、所謂「3歳児神話」ですが、個々の家庭の事情も顧みずに保育所を批判するだけでは「保育所に預ける母親は駄目な母親」というレッテル貼りに陥る危険性があり、フェミニズムに批判的ななまくらでも引いてしまいます。

 委員会で医師の友利さんがおっしゃっていたように、「選択肢を拡げる」のが、最も穏便な解決法ではないでしょうか。

 保育所を増やして待機児童を減らすと同時に、産経新聞で長田氏が書かれていたように、「育児休業3年」や「未就学児対象の子育て広場」、親への経済支援のパッケージ政策を進めれば、ぐんと選択肢は拡がります。


 なまくらがそう思うのは、教育制度と同じように捉えているからです。

 戦前の教育制度は今のような「6・3・3・4」の単線式制度ではなく、中学校に進学出来ない子供達にも別の選択肢があるなど、複線式でした。安倍内閣における教育制度改革議論では、この複線式を視野に入れた議論が始まっています。それは、硬直化した単線式の制度では、必ずそこから脱落する人が出てくるなど、制度が想定出来ない状況が生まれるからです。

 育児支援も同じだと思います。家庭保育か保育所かの二者択一の議論がいつまでも続くようでは、子育て世代にとって不幸です。それぞれの家庭の事情などに応じて、どちらも選択出来るようにすべきだと思いますし、そうすることによって少子化対策も進むと思うのです。



 そう言うと必ず「財源はどうするのか」「高齢者への手厚すぎる福祉を削って子育て世代に回すのか」という声が聞こえてきそうです。

 確かに年金や健康保険など、高齢者向けの福祉は少々手厚すぎるのではないか、とも思いますが、なまくらは高齢者向けの福祉財源を子育て世代に振り向けるという考えには組しません。それは、不毛な世代間闘争に繋がるからです。

 財源は国債で賄えば良いと思います。

 と言っても、財源不足を賄う「赤字国債」ではありません。

 例えば「教育・保育国債」などの名称で新しいタイプの国債発行を認めるように法律を改正するのです。

 現在では、建設国債だけが法律上認められた唯一の国債です。赤字国債は原則認められておらず、故に毎年度特別法を制定しているわけです。(そして、それが政争の具に使われる・・・)

 何故、建設国債だけ認められているのか、と言うと、それには理由があります。

 道路や港湾などのインフラストラクチャーは、建設後も何十年(法律上は60年)にも亘って国民の生活に寄与する性質のものです。つまり、世代を超えて国民が恩恵を受けるものです。

 故に、その負担も、世代を超えて分かち合い、特定の世代が過大な負担を背負わない為に、国債発行が認められているのです。

 では、「教育・保育国債」はどうか。

 教育は国の礎です。

 きちんとした教育を受けた子供達が成長し、社会に進出することで国が発展します。

 なので、教育を受けた子供達は、国にとって一番の財産であり、少子化や周辺国の発展などの影響を受け、その資産価値は年々高まっています。

 教育は世代を超えて国民が恩恵を受けることになります。まさに無形のインフラと呼べるでしょう。

 保育はどうか。

 これも同様でしょう。健全な児童・学生の基本は乳幼児期に確立します。

 故に、乳幼児に対する支援も重要な国策になってきます。

 少子化対策という観点も必要でしょう。

 子育て支援が少子化対策に直結するのであれば、それは世代を超えて国民が恩恵を受けることになります。

 教育・保育が無形のインフラだとすれば、その負担も世代を超えて分かち合い、特定の世代が過大な負担を背負わないよう、国債発行を認めるべきです。要は、建設国債と同じ扱いなのです。




 「子供は国の宝」

 保守派のみならず、殆どの国民が感じていることでしょう。国には早急な対策を望みます。

  


Posted by なまくら at 09:53Comments(0)少子高齢化

2013年05月03日

第1章 ポーツマス会議 10.ウィッテの計略

 8月23日、日露両国全権は13回目となる最終会議に臨んだ。

 小村は、樺太を二分し、その代償金として12億円の支払いを要求する覚書をウィッテに渡した。ウィッテはそれに目を通すと

 「12億円はサハリンの北半分を返還する代償、とあるが、それは償金の名目を変えたに過ぎません。我がロシア政府は、一切の金銭支払いに絶対に応じられません。日本は償金の考えから一切脱却して、何らかの妥協案を成立させることが出来る考案をすべきであります」

と答えた。小村は

 「我々が提出した方案は、樺太島譲与と軍費払戻の二大問題の解決に関する一切の難題を排除する為に作成されたものです。一方において我が国がその領有を重要視し、しかも現に占領中である事実に鑑み要求している樺太島問題に関する妥協となり、他方においては貴国が償金名目で支払うことが出来ない、とする軍費問題に関する妥協となります。なおかつ本案の形式は、貴国が頗る強固に維持している異議を排除し、同時に樺太島北部を貴国に還付する一方法であります。そして日本はその還付に関し妥当な金額を要求しています。よって軍費払戻要求の撤回は、覚書にも書いてあるとおり、本妥協案の受諾を条件としなければ行われないものであることを省慮して下さい」

と述べ、

 「要するに我が方においてはこれ以外に妙案が無いのであって、もし貴国に案があれば喜んで考量を加えたいと考えます」

と続けた。

 「本国政府の承認を経た考案は何ら持ってはいませんが、わたし個人があくまで参考として問いたい点があります」

 ウィッテはそう言い、小村を見据えた。

 「もしサハリン全島を日本に譲った場合、貴国は金銭の支払い要求を撤回する意思はありませんか」

 これはウィッテの策だった。

 彼は、日本は軍費支払い要求を絶対に放棄しないだろう、と確信していた。ならば、日本側から償金放棄を拒否するという言葉を引き出そうと考えたのである。彼の提案を本国政府が了承する見込みは無かった。だが、ロシアが最後の妥協を試みたことは事実として残り、日本が金銭の為に戦争をしたのだ、と全世界に宣伝出来る。

 つまり、講和破綻の全責任を日本に押し付け、世界中の世論をロシア寄りにさせる為の一大演技だったのだ。

 (そう来たか)

 小村は眼前の大男の提案に、内心小躍りした。

 もとより償金放棄は東京からの指示である。しかも、同時に放棄を指示された樺太島については全島の領有まで視野に入ってきたのであるから、何ら異存は無かった。

 だが、彼はまだ首を縦に振る気は無かった。ウィッテの示した案は彼個人の提案であり、ロシア政府からは何の許可も得ていないものである。易々とそれに乗っかり、梯子を外される愚は避けたかった。それに、本国から支持された再交渉については、まだ何も提示していない。

 小村は暫く考え込んだ後、答えた。
  


Posted by なまくら at 09:25Comments(0)創作

2013年04月29日

第1章 ポーツマス会議 9.本国政府の訓令

 現地時間21日、金子からルーズベルトとの会談内容の報告を受け取り、翌22日の会議を1日延期することが決まった直後、本国から小村宛に至急電が舞い込んできた。

 「政府は貴官らの報告に対し、最も慎重な考量を加えたる結果、以下の妥協案によって会議を成立させるよう指示する。米大統領の勧告にロシア側が耳を傾けず、あくまで代償金支払いを認めない場合は、遺憾ながら速やかに償金を放棄し、樺太割譲に注力するものとする。但し、交渉を円滑に進める為、北樺太獲得には拘らないものとする。それでも妥結の見込み無き場合は、南樺太の割譲要求も放棄するものとする。いずれにしても貴官らの適切な努力で妥協の道が開かれたことは政府において最も満足する所であるが、未だロシア側と妥結に至っていない項目は比較的必要条件であることからして、いたずらに交渉を長期化させて当初の戦争目的が水泡に帰すことは厳に慎まなければならない・・・・・・」

 暗号文の翻訳が進むにつれ、全権団の目に涙が浮かんできた。

 「なんという弱腰だ・・・・・・我々がこれまでしてきた折衝の努力は何だったのか!」

 「政府は国民がどんな思いでこの戦争を戦ってきたのか、分かっているのか!」

 「継戦に打って出て死中に活を求めることこそ、講和への近道である!」

 全文の翻訳を終えた高平副全権らは口々に政府を罵った後、小村の待つ部屋へ入っていった。

 小村は電文に目を通すと、眼を真っ赤に泣き腫らした高平らに何時もと変わらぬ表情で座るよう言い、翌日の会議に臨む打ち合わせを行った。

 「本国政府がこのような訓令を寄越してきた理由は、代償金については殆ど絶望的で、割地についても望みが薄い、と考えているからだろう。俺もルーズベルト大統領の勧告にロシア皇帝が応じる見込みは殆ど無いと思う。しかし、次の会議で両要求を撤回するのは愚策ではないか。ロシア側に足元を見られ、政府の言う再交渉まで頓挫することは必至だ。それは日本の外交的敗北であり、今後の関税自主権回復交渉にも影響を及ぼす恐れがある。両要求の撤回は、ロシア側の更なる妥協案を待ってから行うべきだ」

 小村の言に、皆が首肯した。小村は彼らを見渡して言った。

 「一つ、根競べしようではないか」



 一方その頃、ロシア全権にも本国から入電があった。

 「皇帝陛下におかれては、一握りの地も1カペイカの金も譲歩してはならぬ、と仰せだ」

 こう書かれた本国からの電文に、ウィッテは顔を顰めた。さらに

「談判打ち切りの勅命は、恐らく明日22日夕刻に打電されるだろう」

と記されていた。

 ウィッテは

 「サハリンは現に日本軍が占領しており、我が軍が奪回することは不可能と思われます。日本側の譲歩も拒絶して談判打ち切りを宣言すれば、我が国は全世界から非難されるでしょう」

と抵抗したが、翌朝のラムスドルフ露外相からの返電は

「皇帝陛下は、日本が要求の全てを放棄しないことを確認したので、ここに談判打ち切りを正式に貴官に命じた。償金問題はもとより、サハリン問題についても、これ以上の討議は不要である。貴官はこの勅命を受けたことを米大統領に告げ、これまでロシアに示してくれた好意に感謝の言葉を伝えよ。ロシア政府は談判打ち切りを声明するので、打ち切りの正確な日時を報告せよ」

という冷淡なものだった。

 ウィッテは絶望しながらも返電を発した。

 「勅命に従い、明日の会議で声明を発するが、大統領は皇帝陛下に宛てた親電に対する陛下の返電を受け取っていません。それなのに談判打ち切りを宣言すれば、大統領の感情を損ねるでしょう。それを避ける為、最後の会議を引き伸ばしする策をとることを許していただきたい」
  


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2013年04月27日

第1章 ポーツマス会議 8.閣議(2)

 色々忙しくて更新を怠っていたら、最後の投稿から2ヵ月以上が経過してしまいました。TPPや選挙制度など、物申したいことは色々あるのですが、取り敢えず静観を続けたいと思います。
 しかし、2ヵ月も放ったらかすと書き方を忘れてしまいますね(^_^.)

 という訳で再開です。(またすぐに止まるかもしれませんが・・・・・・)







第1章 ポーツマス会議 8.閣議(2)



 講和の方針は固まった。しかし、何をどこまで妥協して講和をまとめるのか、議論は容易にはまとまらなかった。

 曾禰大蔵大臣は、あくまで償金を要求するよう求めた。

 「戦後の財政立て直しを考えると、償金を放棄するには忍びありません。12億円が無理でも8億円、いや6億円までなら譲歩出来るのではないでしょうか」

 「もし6億以下、あるいは代償金の支払い自体ロシア皇帝が認めない場合は?」

 桂の反問には、海軍大臣の山本権兵衛が答えた。

 「結論は先ほど出た筈です。戦争継続は不可能、よって、その場合は償金を放棄すべきであることは当然です」

 不満そうな顔付きの曾禰に対し、山本は一喝した。

 「我々は、金銭を得る為に戦争をしたのではない!」

 山縣や寺内正毅陸相も同調したので、曾禰は反論出来なかった。

 ここに、償金放棄を含む大幅譲歩の方針が決定した。



 次いで、議論は樺太割譲問題に移った。

 「樺太はあくまで求めていくべきだと、予は考えます。樺太は現在、我が軍が完全占領を果たしている上、歴史的にも日本領であったことは疑いない地です。また、戦勝国として割地を要求するのは当然であります」

 償金放棄を主張した山本も、樺太は譲らなかった。

 「ロシア皇帝は、一握りの土も日本に渡してはならぬ、と厳命しているそうです」

 桂は冷静に、ロシア国内の情勢について意見を述べた。

 「ロシア国内の混乱は激化しており、革命の兆しすらあります。しかし、ロシア政府内部では日増しに強硬意見が高まっており、講和会議打ち切りの意見が大勢を占めているそうです」

 「予が得た情報も、ほぼ同じだ。真に憤慨に堪えぬが、樺太割譲を要求することは、戦争継続に直接繋がる。講和の成立を実現させる為には、この問題においても大譲歩をする以外に無い」

 山縣も同調したが、山本は尚も割地に拘った。

 「山本さん、貴方は割地を譲るべきではないとの考えだが、北海道と宗谷海峡の防衛以外、樺太を得る際立った利点はあるのですか?」

 桂はそう言い、諭すように続けた。

 「望みのない交渉を幾度にも亘って行った挙句、償金も領土も放棄したとなると、我が国が受ける外交上の失点は計り知れません。戦争は外交の継続でありますが、外交もまた、戦争の継続であります。ロシアは、例え戦場で敗北しようとも、その後の交渉で如何様にもなる、と考えるのは必至。即ち、講和が成立したとしても、その実行は覚束ず、事実上講和条約は空文に帰するでありましょう。そうなれば、戦後の我が国の立場は著しく不利となり、不平等条約の改定などの課題処理に少なからぬ悪影響を与えるでしょう」

 「・・・・・・確かに、閣下の仰るとおりです」

 「ロシア海軍がほぼ壊滅した今、樺太を安全保障の観点から手に入れる必要性は薄れました。冷静に考えるならば、森林開発くらいしか経済的恩恵を受けない土地の取得に、継戦の覚悟を持って挑むべきでしょうか。予は交渉の原則から言って、妥結の見込みの無い要求は早期に取り下げるべきだと考えます」

 「埒のあかない要求は可能な限り早期に撤回し、外交上の失点を阻止する、桂君の言うとおりだと思う」

 伊藤も同調し、ついに山本も折れた。

 会議室に緊張した空気が広がった。皆、桂が重大決心をした上での発言を待った。

 「ロシア政府の正式回答では、代償金案は恐らく拒否される筈です。その場合は速やかに見切りをつけて要求を撤回するよう、小村君に指示するつもりです。次回会議では樺太の割譲について全力を注ぐが、北半分は放棄もやむなし、南半分についてもロシア側が断固応じない場合は、これもまた断念する他ないでしょう」

 予想された答えとはいえ、皆、落胆の色を隠せなかった。

 「余りに・・・・・・余りに屈辱的な内容ですが、致し方ありません。世界最強の陸軍国と渡り合って競り勝ち、12ヶ条の要求の内、8ヶ条まで呑ませたのだから、これで良し、とすべきでしょう」

 陸軍大臣の寺内正毅が、涙ながらに発言した。

 「但し、それで簡単に講和を成立させてしまっては、我が国の継戦能力を疑われてしまいます。最終会議はあと1回延ばし、最後に、妥結済みの案件についてロシアとの再交渉を指示するつもりです」

 桂の意外な提案に、全員の視線が彼に集中した。
  


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2013年02月16日

第1章 ポーツマス会議 7.閣議(1)

 第7回本会議の議事録と、秘密会で提案のあった妥協案への指示を求める日本全権からの電文が届いたのは、日本時間の19日早朝であった。

 首相兼臨時外相の桂は電文を一読すると、早速諸元老と主要閣僚並びに満州軍関係者を霊南坂の枢密院議長官邸に集め、協議を始めた。



 「小村全権からの報告では、樺太を北緯50度で南北に分割し、北半分をロシアに返還する代償として、12億円の支払いを要求する、という内容ならば、妥協が成立する可能性がある、とあります」

 出席者一同、驚いた。前日に届いた電文では、会議決裂が迫っている、と書かれており、ルーズベルト米大統領の調停が成功することを祈るのみだったのだから、これはまさに急展開だった。

 「妥当な判断だと思う。賠償金は全面的に拒絶しているのだから、樺太北半分の代金として12億円なら、ロシア政府も納得するのではないか」

 伊藤博文枢密院議長が発言し、同調する声が広がった。

 「但し、ロシア側が代償金を10億円以下にするよう主張した場合は、直ちにポーツマスを引き揚げる、ともあります」

 桂の報告に、閣僚達の間から賛否両論が沸き起こった。

 「それでも仕方ない、講和を結ぶべきだ」

 「否、賠償金の代わりとしては、安過ぎる。決裂覚悟で、強硬に要求を押し通すべきだ」

 室内が騒然となる中、桂は

 「山縣参謀総長、満州はどのような状況だったでしょうか」

と、陸軍参謀総長の山縣有朋に問うた。山縣は7月21日から満州に赴き、派遣軍の状況と将兵の士気調査を行って先日帰国していた。

 「大山総司令官以下の情報を統合して検証した結果、ロシア軍の増強は予想以上に進み、リネウィチ総司令官の指示の下、戦線の整備も着々と整えられているようだ」

 「ロシア軍の総兵力は?」

 「歩兵538大隊、騎兵219中隊、砲兵207隊。これは我が方のおよそ3倍に達する」

 一同は呻いた。しかも、増強されたロシア軍将兵は欧州方面から送られた精鋭部隊で、連敗の汚名を返上しようと戦意も盛んであるという。

 「例え我が軍がハルビン攻略を目指しても、途中に3つの堅固な陣地があるそうだ。1つ占領するのに死傷者2~3万人は覚悟しなければなるまい」

 「よく分かりました。曾禰さん、現在までの戦費と、外債の募集額は幾らになっていますか」

 今度は大蔵大臣の曾禰荒助に問うた。

 「戦費は約18億2千万円、外債は4回の募集で合計8200万ポンド(約8億円)となっています」

 「もう2、3度、募集出来る見込みは?」

 「前回の募集の際、欧米銀行団には、これが最後だという旨を伝えて募集を掛けています。それなのにまた募集となると、彼らは担保に不安を抱くかもしれません。後は、高橋副総裁の交渉に掛かっています・・・・・・」

 「仮にハルビン、ウラジオストク攻略作戦を行うとして、後どの位の戦費が必要になりますか」

 「まず、ハルビン攻略自体が、上手くいっても年末まで掛かるだろう。ウラジオまで進軍するとなると、1年以上の継戦は覚悟しなければなるまい。そうなると、17、8億円でも足りるかどうか・・・・・・」

 「17、8億円ですと!?現在でも死力を尽くして18億円を捻り出しているのに、更に同額を準備せよ、と・・・・・・!!不可能です、財政は完全に破綻するでしょう!!」

 悲痛な叫びを上げる曾禰に頷くと、山縣は声を張り上げた。

 「はっきり言って、ウラジオ占領でも講和が成立しない場合、それ以上の進撃は不可能だ。ロシア軍を再起不能にさせることは望めず、万が一、戦費調達に支障を来すようなことがあったら、弾薬も糧食も底を突き、全軍が大陸の原野に立ち往生しなければならなくなるだろう」

 「戦争継続は到底不可能、ということで宜しいですか」

 桂が結論を求めた。反対意見は、無かった。

  


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2013年01月20日

第1章 ポーツマス会議 6.秘密会議

 18日午前10時、第7回会議が開催された。

 小村はウィッテに、前夜作成した覚書を手渡した。そこには、樺太割譲と償金支払に応じるならば、第10条の抑留艦艇引き渡しと第11条の海軍力制限を撤回する、と書かれていた。

 ウィッテは驚いて顔を上げると、改まった口調で小村に話しかけた。

 「両国全権のみで秘密に話したいことがあります。書記官等に席を外させ、秘密会を開きたい」

 小村は受諾した。両国全権の4名を残して全員が退室すると、会議室は静寂に包まれた。

 小村は、ウィッテが話を切り出すのを待った。俄然、期待が高まる。

 「わたしは本国政府から、サハリン割譲と償金支払については絶対に受け入れてはならぬ、と厳命を受けています。しかし、このままでは会議は決裂以外にありません。わたし個人としては、是非講和を成立させたいと願い、打開案を求めようと思っています」

 「わたしも講和を成立させたいと願っています」

 小村はウィッテに同調し、続く言葉を待った。

 「・・・・・・妙案が無くて、困っています。まず、償金に関しては、我が国は完全に敗北した訳ではありませんから、絶対に応じられません。ただし、サハリンに関しては、もしかしたら妥協の道があるかも知れません」

 ウィッテはそう言うと、前屈みになって小村の目を見据えた。

 「あくまでわたし個人の考えですが、サハリンを南北に分割領有する案はどうでしょうか?北部は我が国がアムール川一帯を防衛するのに必要ですが、南部は漁業資源が豊富なので、日本が領有すれば都合が良いでしょう。どうでしょうか?」

 「樺太に対する国民の愛着は深いものがあります。しかも、現在我が軍が占領しています」

 小村は無表情で答えた。ウィッテの顔が曇ったのが分かったが、一呼吸置いて続けた。

 「しかし、ロシアの事情も同情出来るので、貴国が一歩譲る気持ちがあるのであれば、我が方も一歩譲歩しないでもありません。わたし個人の考えを述べさせていただくならば、樺太を分割して北半分をロシアに返還する場合、それ相当の代償を支払ってもらわねばならない、と考えています」

 「一理あります」

 「その金額は、少なくとも12億円以下では日本政府も承諾しないと思われます。また、樺太を分割するとしたら、境界線は北緯50度が適当であろうと思われます」

 「境界線については同意出来るが、代償については本国政府が承諾しないでしょう」

 ウィッテは答えたが、話し合いの末、代償案に合意するならば、日本側と妥結に達する旨を本国に伝えることを約束した。





 昼食を挿んで協議を重ね、午後2時半、秘密会議は終わった。その後、両国書記官も加わった本会議が再開され、第12条の漁業権について話し合われたが、対立点も殆ど無く短時間で妥結し、講和条件全ての討議が終了した。

 残すのは21日月曜日の最終会議のみであったが、ここでウィッテは1日延期を提案し、小村もそれを承諾して、午後4時半に散会した。

 ホテルに戻った小村達は、早速、妥協案について本国の指示を仰ぐ電文を打った。

 翌朝、ロシア側副全権のローゼンはルーズベルトからの電報を受け、ホテルを発った。同じ頃、金子も小村からルーズベルトに会うよう指示され、ローゼンと鉢合わせしないよう21日に大統領の別荘を訪れた。

 ルーズベルトは、ローゼンとの会談が不調に終わったことを憮然とした顔付きで金子に話したが、金子から前日の秘密会議で出た妥協案を聞かされ、眼を輝かせた。

 「日本側の大きな譲歩だ。ロシア皇帝に、妥協案を受諾するよう勧告しよう」

 ルーズベルトは、日本側の妥協案を全面的に支持し、また、金額面のさらなる譲歩も準備するよう、金子に伝えた。
 
 最終会議は、ルーズベルトの調停が入ったことで更に1日延期され、23日に変更された。

 その日の内に、まずは日本側に本国から至急電が届いた。
  


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2013年01月19日

第1章 ポーツマス会議 5.手詰まり

 午後からの討議は第10条と第11条、即ちロシア軍艦の引き渡し要求とロシア海軍力制限に関してだったが、これも折り合いが付かず、結論は持ち越しになった。

 「明朝、第11条の意見書を交換し、第12条の討議を行いましょう。明後日土曜日と日曜日は休会とし、月曜日午後3時に最後の会議を開きたいと思います」

 ウィッテの提案を小村は承諾し、散会となった。



 ホテルで夕食を済ませた小村らは、取り敢えずその日の会議結果等を本国に打電した後、高平副全権らと協議を始めた。

 「第12条は兎も角、妥結していない残りの4条件については、ロシア側は受諾しないだろう」

 小村は疲れた表情で高平らに語った。

 ロシア政府がウィッテ達に対し、会議を即中止して帰国せよ、と命令しているという情報ももたらされていた。

 最終会議まで、あと4日しかない。

 小村は電信主任に、次のような内容の電報を本国、それからニューヨークの金子宛に発信させた。

 「樺太割譲と償金について、ロシア側は絶対に拒絶の態度を崩さないと判断される。その為、抑留艦艇引き渡しと海軍力制限の2条件を撤回し、樺太及び償金の受諾を強く求めるが、それでもロシア側が受け容れる望みは殆ど無い。ロシア側はニューヨークに引き揚げる模様なので、日本側もこの地を離れ、ルーズベルトの最後の手段に任せようと思う。それも殆ど効果は期待出来ない情勢で、その時には遺憾ながら戦争継続もやむを得ない。もし、これについて指示あるならば、21日月曜日前に発信されたし」



 ニューヨークの金子に電報が届いたのは、その日の深夜だった。

 驚いた金子は、夜明けと共に急いでルーズベルト大統領の別荘に向かい、電報を大統領に見せた。

 「わたしからロシア皇帝に親電を送り、譲歩の精神で会議を進めるよう勧告する。ただしウィッテの立場も考え、まずはローゼン副全権をここに招いて、そのことを伝えよう」

 ルーズベルトは暫く思案した後、こう言って秘書官にウィッテ宛の電報を打たせた。





 その頃、ウィッテも本国政府に指示を迫っていた。

 「償金要求はあくまで拒否するが、サハリン割譲の件については、我が国が同島を領有する以前に日本が権利を持っていたこともあり、割譲も考えられる。その場合は、同島を軍事基地化しないことを条件とする・・・・・・」

  


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2013年01月14日

第1章 ポーツマス会議 4.ウィッテの抵抗

 15日午前の会議は、第5条の樺太割譲の件が妥結されないまま終了し、昼食と休憩を挟んで、午後3時半から第6条の討議に入った。

 第6条は遼東租借権についてである。

 ウィッテは、遼東租借権については清国の同意を必要とする、という代案を示してきた。

 それでは遼東租借権は清国の不同意を口実にロシアが拒否することが出来てしまう。小村は反対したが、結局、租借権に関してはウィッテの主張を認め、但し書きで日清交渉の余地を残すことで妥協し、この日は散会となった。



 翌16日の第5回本会議では、第7条と第8条が討議された。第7条は東清鉄道のハルピン-旅順間の経営権譲渡、第8条は満州の鉄道の利用目的を商工業に限定する、という内容である。

 これに対しウィッテは、鉄道の権利については日本軍の占領下にある部分のみの譲渡とし、譲渡部分についても露清間の敷設契約に則って、清国からの買収代金収入を日本に交付する、という代案を示してきた。

 つまり鉄道は清国のものとなり、日本は代金を得るのみで終わってしまう。小村は強く反対し、鉄道に関しても第6条と同様の形式とすることを提案した。

 ウィッテは東清鉄道が民間会社であることを理由に反対したが、小村が露清間の秘密条約を暴露したことから軟化し、妥結するこことなった。

 妥協により、譲渡する区間は日本軍占領地域北方の長春以南となったが、長春-吉林間の敷設権や付属炭鉱等も含めて一切を日本が取得出来た。第8条に関しては、簡単に妥結出来た。



 17日の第6回本会議は、いよいよ第9条、即ち賠償金についての討議である。

 ウィッテは開口一番、断固拒否の姿勢を見せた。

 「回答書に記したように、我が国はこの条件を拒絶します。議論の必要はありません」

 「討議すら拒絶するとは、理解できません」

 小村は射るような眼差しをウィッテに向け、非難の声を上げた。

 「このような要求を受け容れるのなら、寧ろ戦争を継続した方が良い!」

 ウィッテはテーブルを拳で激しく叩き、捲し立てた。

 「償金を支払うのは、完全に戦争に敗れた国のすることである。モスクワかペテルブルグが攻略されたというならばいざ知らず、今はそのような状況にはない」

 「我が軍はともに大勝利を得ているが、それにもかかわらずこのような温和な講和条件を出しています。もし立場が逆であれば、貴国の要求は厳しいものになっていた筈です」

 「ニェット!もし我が軍が東京を攻略したならそうするだろうが、それ以前に講和会議が開かれたならば、償金要求のような過酷な要求はしません」

 「過酷ではありません。穏やかな条件であることは、全世界の意見でもあります」

 「そのような意見があることなど、わたしは知りません」

 暫し応酬が続いたが、ウィッテは譲歩の気配を見せない。小村は第9条も後回しにして、次の討議に移ることを提案し、午前の会議を終えた。
  


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2013年01月13日

第1章 ポーツマス会議 3.樺太割譲交渉(2)

 ポーツマス会議は第5条の樺太割譲を巡り、最初の暗礁に乗り上げた。

 沈黙が会議室を支配する中、小村は桂首相からの内命を思い出していた。



 「『比較的必要条件』を放棄してでも、必ず講和を成立させてくれ。我が国には、最早戦う力は残っていない」

 桂は、今にも泣き出しそうな顔で小村に言った。

 事実、奉天の日本軍は激戦による消耗の結果、僅か20万。弾薬は当初見積もりの10倍を超え、現地司令部からはあと1年以上の弾薬備蓄が無いと戦えない、との報告さえ来ていた。一方のロシア軍は、着々と体制を立て直し、満州北部に軍を終結させつつある。彼我の差は日増しに拡大しているのだ。

 「講和の件、しかと承りました。しかし、事情はロシアも同じです」

 桂の言葉に、小村は素っ気なく応えたのである。

 欧州方面からの情報によると、ロシア国内における動乱は最早手が付けられない状況にあり、革命の危機に陥っているらしい。軍内部にも反政府思想が浸透し、士気も著しく低下しているという。戦争続行など出来る訳が無く、会議が決裂すれば、ウィッテ自身も政治生命を絶たれることは容易に想像出来た。



 (そうだ、苦しいのは我が国だけではない。ロシアも我々と同じか、それ以上に苦しい筈だ)

 目の前の大男を見据えながら、小村は講和会議におけるこれまでの成果を考えた。

 今、講和会議は中盤に差し掛かり、講和条件の内、「絶対必要条件」は一部を除いて妥結した。残された条件の中にも必ず受諾に漕ぎ着けられるものもある。

 (弱味を見せてはならぬ)

 小村は押し黙ったままだった。自分から口を開けば、会議の流れがロシア側に有利になってしまう、そんな思いで沈黙に耐えた。

 暫しの静寂の後、それに耐えきれず先に口を開いたのは、ウィッテの方だった。

 「会議を決裂させることは、わたしの本意ではありません。それを避ける為、本条件の討議を一旦後回しにし、他の条件に移ることも考えられるが、貴殿はどのようにお考えか」

 「やむを得ないが、穏当な提案だと思います」

 場の空気が緩んだ。会議開始より、2時間半が経過していた。
  


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2013年01月08日

第1章 ポーツマス会議 2.樺太割譲交渉(1)

 ポーツマス講和会議4日目となる明治38(1905)年8月15日は、第4条に引き続いて第5条が話し合われた。

 第5条の内容は、樺太の日本への割譲である。樺太島は樺太千島交換条約により日露混住の地からロシア領に移っていたが、小村が日本を発つ前日の7月7日から31日にかけて、原口兼済陸軍中将率いる第13師団が文字通り最後の力を振り絞って占領していたのであった。



 ここで、ウィッテは激しく抵抗した。

 「領土を割譲するなどということは、ロシアの栄誉ある歴史を傷つけることだ!」

 「栄誉を傷つけられるとおっしゃるが、欧州では大国が敗戦の結果として領土を割譲したことは数知れません。割譲は決して大国の栄誉を損なうものではありません」

 小村は平静な口調で説得したが、ウィッテは尚も続けた。

 「確かに先例はあるが、それは戦争継続の余力も無くなる程、決定的敗北を喫した国に限られます。我がロシアは、そのような状態とは全く違う!」

 ここで小村は、樺太の歴史を語り始めた。ロシアが植民を開始したのは日本人よりも後だったこと、それによって日露間の居住区を巡る紛争が始まり、1875年に樺太千島交換条約が締結されたこと、等を説いていった。
 
 「条約によって樺太がロシア領になったのは事実ですが、半ばロシアに脅迫されて結んだ条約であり、日本国民は侵略と感じています。国民の樺太への愛着は深く、同島の回復を強く求めています。同島はロシアにとっては辺境の地であり、日本本土に近いのだから、利益の問題でしかないが、我が国にとっては安全の問題であります。樺太は現在日本が占領しているのだから、ロシアは、占領の継続を黙認するか割譲するしかないのではないですか」

 「条約は合法的であり、それによってサハリン(樺太)がロシア領になったのは揺るぎ無い事実です。小林全権は日本の安全上、割譲せよと言われるが、ロシアはこの島の領有以来、日本侵略の基地として軍備を施したことはありません。それを貴国に譲渡したとすれば、あなた方こそ同島に軍事基地を設け、シベリアに銃口を突き付けるのではないですか。但し、あなた方が我々よりもサハリンの経済的利益を重視していることは理解出来るので、漁業権を譲ることは考えています」

 さらにウィッテは、領土の割譲が双方に長らく怨恨を残すこと、逆に領土的要求をしなかったことで両国が親密な関係を持つことを、歴史上の先例を持ち出して語った。

 小村も負けてはいない。

 「貴国も過去にしばしば隣国の領土を要求していることを思い起こしていただきたい。領土割譲によって両国間に悪感情や怨恨が残るのは、それ相応の理由があるからです。樺太の場合には当然の理由があり、そのような感情を引き起こす筈がありません。言うまでもなく、我が国は永遠の平和を希望するもので、樺太を貴国に対する侵略基地とするようなことは決してありません」

 ウィッテは不機嫌そうに反論した。

 「貴殿の言われる通り、我が国は他国の領土を割譲させたことがあるが、それは長い間の紛争の結果だ。永遠の平和から考えて、サハリンの割譲には正当な理由がない。両国間に悪感情を残すだろう。また、ロシア帝国の威厳、ロシア人の名誉を傷つけるものであり、断じて承諾出来ない」

 「あらゆる記録から見て、樺太を最初に領有したのはロシアではなく日本である。それを条約でロシアが領有出来たのは、ロシアの圧力の結果であり、日本人はそれを侵略行為として考えている」

 「サハリン南部にロシア人が入植した時、日本人は1人もいなかった。それは日本人が同島を軽視していたからで、少しも愛着など抱いていなかった」

 「樺太は日本列島に連なる島で、日本にとって重要な地であるが、逆にロシアにとっては遠方の僻地に過ぎない。これを放棄しても、貴国の運命に大きな影響があるとは思えない」

 両者の応酬は語調も次第に鋭くなり、議論は長時間に及んだ。ついに、

 「これ以上会議を続けても無意味だ」

 ウィッテが会議の決裂を宣言した。

 沈黙が、流れた。
  


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2013年01月05日

第1章 ポーツマス会議 1.会議開催

 アメリカ合衆国北東部のニューハンプシャー州ポーツマス市。ここを流れるピスカタカ川の中州に、同国初の海軍工廠であるポーツマス海軍工廠がある。

 明治38(1905)年8月10日、同工廠の86号棟に4人の男がそれぞれの国家を背負って入っていった。小村寿太郎大日本帝國外務大臣とセルゲイ・ウィッテ露伯爵及び、それぞれの駐米公使・大使から成る日露両国全権である。(他に新聞係や仏語通訳等が参加)

 ここに日本の運命を決する一大会議、ポーツマス会議が開かれたのである。




 午前10時から始まった会議の冒頭、小村全権はウィッテ全権に対し、日本側の講和条件についてロシア側が条文毎に意見を述べ、逐条審議に移ることを提議した。条件中に承諾出来ないものがあるとして、ロシア側が一括拒否してくるのを予防する為である。

 ウィッテはこの提議を承諾、小林はここで初めて12箇条から成る講和条件を手渡した。その日はそれで終了した。

 続く第2回会議は、ロシア側の検討時間を考慮し、翌々12日に行われた。

 日本側の講和条件に対するウィッテの回答書には、8箇条を条件付きで承諾する、とあった。

 即ち、先に閣議決定された「絶対必要条件」である(1)日本による韓国の自由処分、(2)満州からの露軍撤兵、(3)満州の門戸開放の保障、(4)日本軍の満州撤兵、(5)関東州租借権譲渡、(6)ハルピン-旅順間鉄道の経営権譲渡、(7)満州の鉄道の利用目的を商工業に限定、という項目及び「比較的必要条件」である(8)オホーツク海及びベーリング海沿岸の漁業権の付与、である。

 軍費賠償や樺太割譲、中立港で抑留されているロシア艦艇の引渡し、ロシアの極東における海軍力の制限、の4箇条については拒否された。



 午後からは逐条審議に移った。

 第1条は、ロシアは、日本が韓国に対して指導・保護及び監理の措置をとることを妨げないこと、となっていた。ロシア側の回答案では、ロシア人が韓国において最恵国待遇を受ける、日露両国とも露韓国境において相手の領土を脅かすような事実上の措置を執らない、という規定を加えることとなっており、小村はこれを容認した。しかし、日本の韓国に対する措置が韓国皇帝の主権をおかさないこと、という但し書きについては強硬に反対した。

 「この一句を加えなければ、露日両国が一独立国を滅ぼす約束をするようで好ましくありません。また、列国から抗議を受けるでありましょう」

 ウィッテの主張に対し、小村は自信に満ちた表情で言い返した。

 「たとえ列国が抗議したとしても、それは日本と列国の間の問題であります。貴国には何の関係もありますまい」

 小村は、会議の前に米英からこの点の了解を得ていたのである。それに、と小村は続ける。

 「韓国の主権は、今日既に完全なるものではありません。我が国は、既に同国と協約を締結し、同国の主権の一部は我が国に委ねられています。韓国は、我が国の承諾なくして他国と条約を締結することが出来ない“地位”に在るのです。貴全権の主張は、一方において日本の完全なる自由行動を認める、としながら、この点においてその認めたる自由を制限することとなります」

 小村の説明に、ウィッテは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 結局、将来日本が韓国の主権を侵害する措置をとるときは、韓国政府の合意の上で行なう、という、小村の奇妙な声明を残すことで、第1条についてロシア側との妥協が成立した。



 第2条、第3条は14日の第3回本会議で話し合われた。第2条は、ロシアは満州から撤兵し、満州における清国の主権を侵害し、もしくは機会均等主義と相容れない特権や免許を放棄すること、第3条は、日本は遼東租借地を除き、改革及び善政の保障の下に占領地を清国に返還すること、となっていた。

 交渉はやや難航したものの、日本側は、改革及び善政の保障の下、という撤兵条件の削除に合意した。更に両条文を1つにまとめ、日露両国は、遼東租借地以外の清国領土から同時に撤退し、清国への完全な返還を約束すること、ロシアは、清国の主権を侵害し機会均等主義に反するような領土上の利益や特権を持たないことを声明する、という条文がつくられた。ここに、戦前に取り交わされた露清密約は無効となったのである。

 満州の門戸開放を謳った第4条は、翌15日に話し合われた。内容は、日露両国とも清国が満州の商工業を発達させるため、列国一般に対してとる措置を妨げないこと、となっており、特に問題無く合意出来た。

 さて、問題は同日行われた第5条の交渉からであった。

  


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2013年01月03日

序章(2)

 明治37(1904)年2月8日の旅順港外における日本海軍の夜襲を発端として開戦した日露戦争は、日本の為政者達にとって悲壮な覚悟であった。

 伊藤博文枢密院議長は、世論工作の為渡米する金子堅太郎に対し「露軍が大挙九州海岸に来襲するならば、自ら卒伍に列し、武器をとって奮斗するだろう。軍人が全滅するも博文は、一歩も敵を国内に入れない覚悟である。兵は皆死に、艦は皆沈むかも知れん」と漏らし、児玉源太郎陸軍参謀次長も「5度は勝報、5度は敗報の電報を受け取る覚悟でいてくれ」と述べ、山本権兵衛海相も「まず、日本軍艦は半分は沈没させる覚悟だ」と語っている。さらには明治天皇も「事萬一蹉跌を生ぜば、朕何を以てか祖宗に謝し、臣民に対するを得ん(この戦争が万が一失敗すれば、わたしはどうやって祖先にお詫びし、国民に顔向け出来るだろう)」と涙を流された、という。

 桂もまた、同様であったが、ただ単に悲観に暮れているだけでは首相は務まらない。彼は戦闘そのものには殆ど口を出さず陸海軍に一任する一方、外交や国内の治安維持に尽力した。先に述べたように、アメリカには金子を派遣して親日世論喚起に当たらせ、東欧にはロシア公使の明石元二郎大佐を派遣し、ロシア国内の内乱工作を命じた。肝心の戦費調達では、イギリスに日銀副総裁の高橋是清を派遣する等、外債発行を滞りなく実行出来るよう万全の布陣としたのである。

 一方で戦局の方はと言うと、初戦はロシア側の日本軍に対する過小評価もあり、トントン拍子で進行していった。開戦初頭に黄海の制海権を確保したことにより、仁川に上陸した陸軍第1軍(黒木為楨大将)はやすやすと朝鮮半島を突破して5月1日には鴨緑江を渡り満州に侵入、5日には陸軍第2軍(奥保鞏大将)も遼東半島に上陸した。

 その後、第1軍、第2軍に陸軍第4軍(野津道貫大将)を加えた3軍による遼陽会戦(8月24日~9月4日)や陸軍第3軍(乃木希典大将)による旅順攻囲戦(8月19日~翌年1月1日)において多大な犠牲を払いながらも辛勝し、上記4軍に第3軍から改編された鴨緑江軍(川村景明大将)を加えた5軍で奉天に迫った。

 日露戦争最大かつ最後の会戦となった奉天会戦では、日露双方合わせて60万にも及ぶ将兵が激突した。明治38(1905)年2月21日から始まった会戦は、18日間に及ぶ激戦の末、日本軍が勝利したが、人員、物資共に消耗しきった日本軍は、最早これ以上進軍することが出来なくなった。

 しかし一方で、ロシア側でも講和ムードが拡がっていた。会戦直前、ロシアの首都サンクトペテルブルクで厭戦デモ隊に対する発砲事件(血の日曜日事件)が起き、それを契機としてロシア第一革命が起きる等、ロシア国内は騒然としていた。明石大佐の内乱工作が功を奏し始めていたのである。
 
 戦費調達の面でも変化があった。

 相次ぐロシアの敗退は、欧米資本家をしてロシアに対する外債発行を躊躇させた。逆に、日本の外債発行条件は好転していた。戦前に紙屑同然まで値下がりしていた日本国債だが、高橋がクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフと出会ったことが僥倖であった。彼がユダヤ人であり、反ユダヤ人政策を遂行するロシアを敵視していたことから、日本の外債引き受けを承諾したのである。以来、他の米英資本家も追従し、日露の戦費調達競争は日本戦勝の度に日本有利に傾いていった。

 ロシアは、あらゆる面において追い詰められつつあったのである。

 5月27日からの日本海海戦(~28日)に日本海軍の連合艦隊(東郷平八郎大将)が完全勝利を果たすと、ロシアはついに講和のテーブルに着くことを決定した。アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、ポーツマスにおいて8月10日より日露講和会議がスタートすることとなった。

 日本側全権は外相の小村寿太郎と高平小五郎駐米公使であり、一方のロシア側全権は元蔵相のセルゲイ・ウィッテ伯爵と元駐日公使のロマン・ローゼン駐米大使であった。

 講和条件として日本側は、(1)日本による韓国の自由処分、(2)満州からの日露両軍の撤兵、(3)関東州租借権とハルピン-旅順間鉄道の経営権譲渡、(4)軍費賠償、(5)樺太割譲、等を提示したが、この内、「絶対必要条件」であるとしたのは(1)から(3)であり、(4)、(5)は「比較的必要条件」となっていた。この条件は日本海海戦に先立つ4月21日に閣議決定、裁可されたものであったのだが、海戦の大勝利にも拘らず踏襲されたのである。



 7月8日、小村は万歳の歓呼の声に送られて、新橋駅を出発した。

 「帰ってくる時には、人気はまるで正反対でしょう」

 小村が桂に対してこう呟いたように、その後の交渉結果は国民の期待を裏切ることとなったのである。
  


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