2009年09月30日
国家と謝罪
ここ数日、書き起こしする暇がなく、更新が滞っていました。
今日は新聞コラムを引用する形で、短信にて失礼します。
今後、ちょくちょく、こういうスタイルで更新するかも知れませんので、ご了承を・・・
さて、今日は産経新聞のコラムより「揺れるトルコの国民国家」より。まずは全文をご覧ください。
イスラム教徒が日の出から日没まで断食するラマダン月が今年は20日に終わる。エジプトをはじめとするアラブ世界では、ラマダン中、普段それほど信心深く見えない人も断食を守る。ところが、同じイスラム圏でもトルコのラマダン風景はかなり異なっている。
関連記事
* トルコとアルメニア、国交樹立で基本合…
* 100年の「虐殺」わだかまり トルコ…
記事本文の続き 2年前、長期取材でイスタンブールを訪れたのも、ラマダンの最中だった。「あれ、たばこをお持ちですね。1本いただけますか」。通訳のトルコ人男性がホテルのロビーで打ち合わせ中に、記者の胸ポケットに目をとめたのだ。
断食中だと思っていた初対面の相手に遠慮して水も注文しなかったのだが、何のことはない、通訳氏は「断食をするかは毎年、気分で決めます。今年はやっていません」と苦笑いした。通常、断食中はたばこを吸うこともつばを飲み込むことも許されない。
トルコがアラブ圏と決定的に違うのは、公然と断食を破る人たちが相当数いるという点だ。大都市のイスタンブールに限らない。地方でも土地柄によって濃淡はあるものの、かなり見受けられた。
こうした戒律の“緩さ”の最大の理由は、宗教と政治を厳密に切り離した世俗主義という現代トルコの国是にあるのだろう。
建国の父・ムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)の指導の下、第一次世界大戦(1914~18年)後の欧州列強による国土分割のたくらみと戦って独立を勝ち取り、トルコはイスラム世界初の世俗主義国家へと舵(かじ)を切った。アタチュルクらが目指したのは、近代化に向けた単一の「国民国家」建設だった。「トルコに住む者がトルコ人である」と定義された。
しかし、そのきしみは今、少数民族であるクルド人の問題や長年抑圧されてきた宗教勢力の伸長、イスラム系の与党、公正発展党(AKP)と世俗主義の守護者を任ずるトルコ軍の緊張関係-といったところで表面化している。
≪ホットな論争が続く≫
最近では、高級紙「ラジカル」に掲載された「最大の敵 国民国家」という論評が、トルコのホットな論争を浮き彫りにしていて興味深かった。現地に長く暮らす新実(にいのみ)誠さんという方が“地べた目線”の生活体験記や新聞翻訳を掲載しているウェブサイト「メルハバ通信」で紹介していたものだ。
筆者の女性コラムニスト、ヌライ・メルト氏は、「トルコでは、国民化を図る過程で抑圧された宗教帰属性とクルド人のアイデンティティーが時を経て、国民国家の枠組みを揺るがし始め、その政治的な主張が社会の中で反応を得るに至った」としたうえで、問題の責任はすべて、アタチュルクが作り出した国民国家にあるとする一部の知識人を批判する。
「『私たちの祖先はアルメニア人を殺した。クルド人を弾圧した。そもそも独立戦争なんて大したものではなかったのに大げさに誇張されている。私たちは最悪の民族である。おそらく全世界に謝れば、まともな人間になれる』なんてことを朝から晩まで頭に刻み込んで改善された社会など、どこにもない」
メルト氏は、世俗主義者側にありがちな宗教蔑視(べっし)には批判的であり、クルド問題解決に反対しているわけでもない。だが、「国民国家を問いただすことは、うまくゆかなかったから最初からやり直そう、などという軽い考えでできるものではない」と指摘する。
≪アルメニアと関係改善≫
メルト氏が批判するのは、90年代から台頭し始めた「第2共和制主義者」と呼ばれる旧左翼の世俗主義知識人の一群だ。彼らはアタチュルクの業績をほぼ否定、アタチュルク革命で押さえ込まれた宗教勢力と奇妙な共闘関係にある。
公平を期せば、イスラム系とされる与党・AKPは政権2期目に入り、広範な支持者を抱えるようになり、その宗教的ルーツは問題ではなくなったとの見方が増えている。ただ、AKPに「アタチュルクの共和国」への思い入れが少ないのは事実だろう。トルコが抱える頭の痛い問題の一つに、第一次大戦中に起きたとされるオスマン帝国の「アルメニア人虐殺問題」がある。双方の言い分は大きく食い違っているが、米議会下院外交委員会は2007年、トルコ非難決議を採択し波紋を呼んだ。
それがどうしたことか、AKP出身のギュル大統領が昨年、サッカー観戦のためにアルメニアを初訪問して和解機運が高まり、両国は8月末、国交樹立に原則合意した。10月にはアルメニアのサルキシャン大統領がサッカー観戦のためにトルコを返礼訪問する。トルコ国内には従来の世俗主義陣営を中心に反対論も少なくない。AKPが「虐殺問題」にどうけりをつけるのか。国内の「国民国家論争」との絡みからも、気になるところだ。(中東支局長・村上大介)
(引用終わり)
「『私たちの祖先はアルメニア人を殺した。クルド人を弾圧した。そもそも独立戦争なんて大したものではなかったのに大げさに誇張されている。私たちは最悪の民族である。おそらく全世界に謝れば、まともな人間になれる』なんてことを朝から晩まで頭に刻み込んで改善された社会など、どこにもない」
どこかの友愛政党にこの記事送ってください、メルトさん。
今日は新聞コラムを引用する形で、短信にて失礼します。
今後、ちょくちょく、こういうスタイルで更新するかも知れませんので、ご了承を・・・
さて、今日は産経新聞のコラムより「揺れるトルコの国民国家」より。まずは全文をご覧ください。
イスラム教徒が日の出から日没まで断食するラマダン月が今年は20日に終わる。エジプトをはじめとするアラブ世界では、ラマダン中、普段それほど信心深く見えない人も断食を守る。ところが、同じイスラム圏でもトルコのラマダン風景はかなり異なっている。
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断食中だと思っていた初対面の相手に遠慮して水も注文しなかったのだが、何のことはない、通訳氏は「断食をするかは毎年、気分で決めます。今年はやっていません」と苦笑いした。通常、断食中はたばこを吸うこともつばを飲み込むことも許されない。
トルコがアラブ圏と決定的に違うのは、公然と断食を破る人たちが相当数いるという点だ。大都市のイスタンブールに限らない。地方でも土地柄によって濃淡はあるものの、かなり見受けられた。
こうした戒律の“緩さ”の最大の理由は、宗教と政治を厳密に切り離した世俗主義という現代トルコの国是にあるのだろう。
建国の父・ムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)の指導の下、第一次世界大戦(1914~18年)後の欧州列強による国土分割のたくらみと戦って独立を勝ち取り、トルコはイスラム世界初の世俗主義国家へと舵(かじ)を切った。アタチュルクらが目指したのは、近代化に向けた単一の「国民国家」建設だった。「トルコに住む者がトルコ人である」と定義された。
しかし、そのきしみは今、少数民族であるクルド人の問題や長年抑圧されてきた宗教勢力の伸長、イスラム系の与党、公正発展党(AKP)と世俗主義の守護者を任ずるトルコ軍の緊張関係-といったところで表面化している。
≪ホットな論争が続く≫
最近では、高級紙「ラジカル」に掲載された「最大の敵 国民国家」という論評が、トルコのホットな論争を浮き彫りにしていて興味深かった。現地に長く暮らす新実(にいのみ)誠さんという方が“地べた目線”の生活体験記や新聞翻訳を掲載しているウェブサイト「メルハバ通信」で紹介していたものだ。
筆者の女性コラムニスト、ヌライ・メルト氏は、「トルコでは、国民化を図る過程で抑圧された宗教帰属性とクルド人のアイデンティティーが時を経て、国民国家の枠組みを揺るがし始め、その政治的な主張が社会の中で反応を得るに至った」としたうえで、問題の責任はすべて、アタチュルクが作り出した国民国家にあるとする一部の知識人を批判する。
「『私たちの祖先はアルメニア人を殺した。クルド人を弾圧した。そもそも独立戦争なんて大したものではなかったのに大げさに誇張されている。私たちは最悪の民族である。おそらく全世界に謝れば、まともな人間になれる』なんてことを朝から晩まで頭に刻み込んで改善された社会など、どこにもない」
メルト氏は、世俗主義者側にありがちな宗教蔑視(べっし)には批判的であり、クルド問題解決に反対しているわけでもない。だが、「国民国家を問いただすことは、うまくゆかなかったから最初からやり直そう、などという軽い考えでできるものではない」と指摘する。
≪アルメニアと関係改善≫
メルト氏が批判するのは、90年代から台頭し始めた「第2共和制主義者」と呼ばれる旧左翼の世俗主義知識人の一群だ。彼らはアタチュルクの業績をほぼ否定、アタチュルク革命で押さえ込まれた宗教勢力と奇妙な共闘関係にある。
公平を期せば、イスラム系とされる与党・AKPは政権2期目に入り、広範な支持者を抱えるようになり、その宗教的ルーツは問題ではなくなったとの見方が増えている。ただ、AKPに「アタチュルクの共和国」への思い入れが少ないのは事実だろう。トルコが抱える頭の痛い問題の一つに、第一次大戦中に起きたとされるオスマン帝国の「アルメニア人虐殺問題」がある。双方の言い分は大きく食い違っているが、米議会下院外交委員会は2007年、トルコ非難決議を採択し波紋を呼んだ。
それがどうしたことか、AKP出身のギュル大統領が昨年、サッカー観戦のためにアルメニアを初訪問して和解機運が高まり、両国は8月末、国交樹立に原則合意した。10月にはアルメニアのサルキシャン大統領がサッカー観戦のためにトルコを返礼訪問する。トルコ国内には従来の世俗主義陣営を中心に反対論も少なくない。AKPが「虐殺問題」にどうけりをつけるのか。国内の「国民国家論争」との絡みからも、気になるところだ。(中東支局長・村上大介)
(引用終わり)
「『私たちの祖先はアルメニア人を殺した。クルド人を弾圧した。そもそも独立戦争なんて大したものではなかったのに大げさに誇張されている。私たちは最悪の民族である。おそらく全世界に謝れば、まともな人間になれる』なんてことを朝から晩まで頭に刻み込んで改善された社会など、どこにもない」
どこかの友愛政党にこの記事送ってください、メルトさん。
Posted by なまくら at 23:14│Comments(0)