2015年01月03日

第2章 日露戦の善後 2.騒擾(2)

 こうして迎えた9月13日午後1時、東京市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 日比谷公園では、これまでで最大規模の抗議集会が開かれていた。

 当初、芳川顕正内務大臣はこの集会を禁止し、公園を封鎖するつもりだった。しかし、桂の

「大衆の不満の捌け口も少しは用意してやらねば、暴発してしまうぞ」

という意見に、集会を認めたのだった。

 その結果、集会に参加者した人数は空前の3万人となった。

 公園の周囲では、サーベルを帯刀した警官隊350人余りが睨みを効かせ、更に警官隊を取り巻くように、近衛師団が配置された。




 集会は30分程で散会したが、群衆はそのまま公園を出て行進を始めた。

 「弱腰政府!」「講和条約破棄!」「打倒ロシア!打倒桂内閣!」

 口々にスローガンを叫びながら行進する群衆に、警官と軍は手を出さずに見守っていた。

 省庁や官邸、教会、各国公使館は、近衛師団と第1師団による厳重な警備がされていたおかげで、群衆は侮蔑の言葉を投げかけて通り過ぎるだけだった。

 しかし、警備が手薄な国民新聞社の前を行列が通りかかった時、1人の男が隠し持っていた石を投げたのである。

 講和反対の世論が沸騰する中にあってただ1紙、講和条約支持を唱えていた国民新聞社は、「政府の御用新聞」、「非国民新聞」と痛罵され、集会関係者から秘かに標的とされていたのだった。

 男の投石を切っ掛けに、周囲の者が次々に身近にある物を投げ始めたので、派遣されていた30名の警官が慌てて制止に入ったが、興奮した男達が先頭の警官を殴り倒し、腰のサーベルを奪い取ったものだから、ついに警官隊も抜刀、群衆に斬りかかった。

 暴徒は全く怯まずに応戦し、一帯は大乱闘の場と化した。

 社の入口は破られ、輪転機が破壊された。

 それに飽き足らない暴徒は、社内に居た数名の社員や警官をステッキや素手で殴打して重傷を負わせた上、書類等を床や路上に放り出して火を点けた。

 1時間程して、ようやく第1師団の1個中隊が応援に駆けつけると、暴徒は

「陸軍万歳!」

と叫んで散り散りになった。

 その後も、幾つかの派出所、市電等が襲撃され始めたので、政府は午後4時、ついに戒厳令を敷き、新聞・雑誌の発行停止、夜間の外出禁止措置を執った。

 しかし、騒擾は横浜や神戸等にも飛び火した。

 騒ぎは1週間程続き、安立警視総監と芳川内務大臣が責任を取る形で辞任することで、ようやく全国の騒擾は収まった。

 この騒擾で検挙されたのは800人を越え、重傷者も20名程出たが、死者は出なかった。

 幸い、このことで日本の評価が大きく損なわれて日本公債が急落することは無かったが、この騒擾事件は桂を始めとする政府首脳に民衆の力を思い知らせたのであった。
  


Posted by なまくら at 08:19Comments(0)創作