2013年01月05日
第1章 ポーツマス会議 1.会議開催
アメリカ合衆国北東部のニューハンプシャー州ポーツマス市。ここを流れるピスカタカ川の中州に、同国初の海軍工廠であるポーツマス海軍工廠がある。
明治38(1905)年8月10日、同工廠の86号棟に4人の男がそれぞれの国家を背負って入っていった。小村寿太郎大日本帝國外務大臣とセルゲイ・ウィッテ露伯爵及び、それぞれの駐米公使・大使から成る日露両国全権である。(他に新聞係や仏語通訳等が参加)
ここに日本の運命を決する一大会議、ポーツマス会議が開かれたのである。

午前10時から始まった会議の冒頭、小村全権はウィッテ全権に対し、日本側の講和条件についてロシア側が条文毎に意見を述べ、逐条審議に移ることを提議した。条件中に承諾出来ないものがあるとして、ロシア側が一括拒否してくるのを予防する為である。
ウィッテはこの提議を承諾、小林はここで初めて12箇条から成る講和条件を手渡した。その日はそれで終了した。
続く第2回会議は、ロシア側の検討時間を考慮し、翌々12日に行われた。
日本側の講和条件に対するウィッテの回答書には、8箇条を条件付きで承諾する、とあった。
即ち、先に閣議決定された「絶対必要条件」である(1)日本による韓国の自由処分、(2)満州からの露軍撤兵、(3)満州の門戸開放の保障、(4)日本軍の満州撤兵、(5)関東州租借権譲渡、(6)ハルピン-旅順間鉄道の経営権譲渡、(7)満州の鉄道の利用目的を商工業に限定、という項目及び「比較的必要条件」である(8)オホーツク海及びベーリング海沿岸の漁業権の付与、である。
軍費賠償や樺太割譲、中立港で抑留されているロシア艦艇の引渡し、ロシアの極東における海軍力の制限、の4箇条については拒否された。
午後からは逐条審議に移った。
第1条は、ロシアは、日本が韓国に対して指導・保護及び監理の措置をとることを妨げないこと、となっていた。ロシア側の回答案では、ロシア人が韓国において最恵国待遇を受ける、日露両国とも露韓国境において相手の領土を脅かすような事実上の措置を執らない、という規定を加えることとなっており、小村はこれを容認した。しかし、日本の韓国に対する措置が韓国皇帝の主権をおかさないこと、という但し書きについては強硬に反対した。
「この一句を加えなければ、露日両国が一独立国を滅ぼす約束をするようで好ましくありません。また、列国から抗議を受けるでありましょう」
ウィッテの主張に対し、小村は自信に満ちた表情で言い返した。
「たとえ列国が抗議したとしても、それは日本と列国の間の問題であります。貴国には何の関係もありますまい」
小村は、会議の前に米英からこの点の了解を得ていたのである。それに、と小村は続ける。
「韓国の主権は、今日既に完全なるものではありません。我が国は、既に同国と協約を締結し、同国の主権の一部は我が国に委ねられています。韓国は、我が国の承諾なくして他国と条約を締結することが出来ない“地位”に在るのです。貴全権の主張は、一方において日本の完全なる自由行動を認める、としながら、この点においてその認めたる自由を制限することとなります」
小村の説明に、ウィッテは苦虫を噛み潰したような顔になった。
結局、将来日本が韓国の主権を侵害する措置をとるときは、韓国政府の合意の上で行なう、という、小村の奇妙な声明を残すことで、第1条についてロシア側との妥協が成立した。
第2条、第3条は14日の第3回本会議で話し合われた。第2条は、ロシアは満州から撤兵し、満州における清国の主権を侵害し、もしくは機会均等主義と相容れない特権や免許を放棄すること、第3条は、日本は遼東租借地を除き、改革及び善政の保障の下に占領地を清国に返還すること、となっていた。
交渉はやや難航したものの、日本側は、改革及び善政の保障の下、という撤兵条件の削除に合意した。更に両条文を1つにまとめ、日露両国は、遼東租借地以外の清国領土から同時に撤退し、清国への完全な返還を約束すること、ロシアは、清国の主権を侵害し機会均等主義に反するような領土上の利益や特権を持たないことを声明する、という条文がつくられた。ここに、戦前に取り交わされた露清密約は無効となったのである。
満州の門戸開放を謳った第4条は、翌15日に話し合われた。内容は、日露両国とも清国が満州の商工業を発達させるため、列国一般に対してとる措置を妨げないこと、となっており、特に問題無く合意出来た。
さて、問題は同日行われた第5条の交渉からであった。
明治38(1905)年8月10日、同工廠の86号棟に4人の男がそれぞれの国家を背負って入っていった。小村寿太郎大日本帝國外務大臣とセルゲイ・ウィッテ露伯爵及び、それぞれの駐米公使・大使から成る日露両国全権である。(他に新聞係や仏語通訳等が参加)
ここに日本の運命を決する一大会議、ポーツマス会議が開かれたのである。

午前10時から始まった会議の冒頭、小村全権はウィッテ全権に対し、日本側の講和条件についてロシア側が条文毎に意見を述べ、逐条審議に移ることを提議した。条件中に承諾出来ないものがあるとして、ロシア側が一括拒否してくるのを予防する為である。
ウィッテはこの提議を承諾、小林はここで初めて12箇条から成る講和条件を手渡した。その日はそれで終了した。
続く第2回会議は、ロシア側の検討時間を考慮し、翌々12日に行われた。
日本側の講和条件に対するウィッテの回答書には、8箇条を条件付きで承諾する、とあった。
即ち、先に閣議決定された「絶対必要条件」である(1)日本による韓国の自由処分、(2)満州からの露軍撤兵、(3)満州の門戸開放の保障、(4)日本軍の満州撤兵、(5)関東州租借権譲渡、(6)ハルピン-旅順間鉄道の経営権譲渡、(7)満州の鉄道の利用目的を商工業に限定、という項目及び「比較的必要条件」である(8)オホーツク海及びベーリング海沿岸の漁業権の付与、である。
軍費賠償や樺太割譲、中立港で抑留されているロシア艦艇の引渡し、ロシアの極東における海軍力の制限、の4箇条については拒否された。
午後からは逐条審議に移った。
第1条は、ロシアは、日本が韓国に対して指導・保護及び監理の措置をとることを妨げないこと、となっていた。ロシア側の回答案では、ロシア人が韓国において最恵国待遇を受ける、日露両国とも露韓国境において相手の領土を脅かすような事実上の措置を執らない、という規定を加えることとなっており、小村はこれを容認した。しかし、日本の韓国に対する措置が韓国皇帝の主権をおかさないこと、という但し書きについては強硬に反対した。
「この一句を加えなければ、露日両国が一独立国を滅ぼす約束をするようで好ましくありません。また、列国から抗議を受けるでありましょう」
ウィッテの主張に対し、小村は自信に満ちた表情で言い返した。
「たとえ列国が抗議したとしても、それは日本と列国の間の問題であります。貴国には何の関係もありますまい」
小村は、会議の前に米英からこの点の了解を得ていたのである。それに、と小村は続ける。
「韓国の主権は、今日既に完全なるものではありません。我が国は、既に同国と協約を締結し、同国の主権の一部は我が国に委ねられています。韓国は、我が国の承諾なくして他国と条約を締結することが出来ない“地位”に在るのです。貴全権の主張は、一方において日本の完全なる自由行動を認める、としながら、この点においてその認めたる自由を制限することとなります」
小村の説明に、ウィッテは苦虫を噛み潰したような顔になった。
結局、将来日本が韓国の主権を侵害する措置をとるときは、韓国政府の合意の上で行なう、という、小村の奇妙な声明を残すことで、第1条についてロシア側との妥協が成立した。
第2条、第3条は14日の第3回本会議で話し合われた。第2条は、ロシアは満州から撤兵し、満州における清国の主権を侵害し、もしくは機会均等主義と相容れない特権や免許を放棄すること、第3条は、日本は遼東租借地を除き、改革及び善政の保障の下に占領地を清国に返還すること、となっていた。
交渉はやや難航したものの、日本側は、改革及び善政の保障の下、という撤兵条件の削除に合意した。更に両条文を1つにまとめ、日露両国は、遼東租借地以外の清国領土から同時に撤退し、清国への完全な返還を約束すること、ロシアは、清国の主権を侵害し機会均等主義に反するような領土上の利益や特権を持たないことを声明する、という条文がつくられた。ここに、戦前に取り交わされた露清密約は無効となったのである。
満州の門戸開放を謳った第4条は、翌15日に話し合われた。内容は、日露両国とも清国が満州の商工業を発達させるため、列国一般に対してとる措置を妨げないこと、となっており、特に問題無く合意出来た。
さて、問題は同日行われた第5条の交渉からであった。
第2章 日露戦の善後 3.鉄道王の来日
第2章 日露戦の善後 2.騒擾(2)
第2章 日露戦の善後 1.騒擾(1)
第1章の結びに代えて
第1章 ポーツマス会議 18.最終会議
第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落
第2章 日露戦の善後 2.騒擾(2)
第2章 日露戦の善後 1.騒擾(1)
第1章の結びに代えて
第1章 ポーツマス会議 18.最終会議
第1章 ポーツマス会議 17.ウィッテ陥落
Posted by なまくら at 13:19│Comments(0)
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